ショッキングピンク・ビューティー
星花女子プロジェクトという名の百合メイド喫茶紹介回です。
エヴァンジェリン・ノースフィールドの麗しい声を聞いた瞬間、智良は条件反射的に背を向けて、全力で逃走をはかった。だが、二歩目で彼女の願いは無残にも打ち砕かれた。何もないところで躓き、固い床の上につんのめる。
自身のラッキースケベに青春をかけている智良が私服でズボンを選ぶことはまず有り得ない。ご自慢のプリーツミニスカートを勢いよくひるがえし、その中身をあられもなく金髪の英国少女の前へと晒してしまう。
「まあ、おしりにクロネコさんがプリントされてますのね! とても可愛らしいですわ」
背中にどっと疲労感が加重されて、智良は床に沈み込みそうになった。だが、それをしては清楚な変態淑女に下着を披露し続けることになってしまうので、膝の痛みをおさえながらなんとか立ち上がる。逃亡を断念し、うんざりしたように異邦少女と正対する。
「……なんで、エヴァがここに来るのさ」
「あら、もちろん運命がわたくしとチラちゃんを引き合わせたからに決まってますわ♪」
その運命の神様はずいぶんと一方を贔屓しているらしい。
智良は溜息を吐きながら落っことしたヒャンタの缶を拾い上げ、そこでエヴァが再び何か言ってきた。
「それでチラちゃん。例のメイド喫茶で働くという件、ちゃんと考えていただけました?」
「考えたさ! それでお断りしますって何度も言ってるじゃん!」
一方的に智良と仲良くなったエヴァンジェリンは、しょっちゅう智良をメイド喫茶で働かないかと誘いかけてくる。まず都内という時点で地方のお嬢様学校の寮生である智良は有り得ないと思っているが、それ以前にエヴァの紹介するメイド喫茶自体が問題なのであった。
いつだったか、エヴァは智良に一枚のチラシを突きつけた。
「こちらをご覧くださいなっ」
その紙面に映っていたのは、クラシカルなメイド服を身につけた少女たち。個性こそは違うが、それぞれ美少女で、一見すれば普通のメイド喫茶の求人である。ただ、住み込みかつ給与も高いという好条件がどうにも智良に胡散臭さをおぼえさせ、しかも紹介したのが稀代の変態さんであると考えると、ただのメイド喫茶であるとは思えない。
「お姉様がかつてここで働いていましたの。今はイギリスに帰ってしまいましたけど、そこでの出来事は何にも代えられない大切な思い出であると語ってくれましたわ」
エヴァに姉がいることは智良にとって初耳だが、所詮は違う世界の住人である。しかもエヴァの血縁者と考えると、正直、興味より敬遠したい気持ちのほうが大きかった。
実際、そのメイド喫茶のサービスは、さすがエヴァンジェリンが用意した話題だと、かえって感心させられるものであった。
面接の内容は、メイドリーダーにキスをして胸を揉むこと。その時点で智良は『もうおなかいっぱい』の心情であったが、エヴァにとってはこの程度の事実はまだオードブルですらなかった。
一見、小学生っぽく見える赤髪ツインテールのメイドは、実は舌を絡めるキスをはじめ、食べ物飲み物の口移しのテクニックに長けていて。
一見、清楚そうに見える栗色の髪のメイドは、前メイドリーダーであったエヴァの姉の意志を継いで、お客様にご自慢のお胸をもみくちゃにされ。
一見、健全そうに見える(もはや、この手のフレーズもギャグにしか聞こえないが)現メイドリーダーの少女は、一糸纏わぬ肢体の局部に料理を乗せるという、いわゆる『女体盛り』のサービスも提供しているという。
エヴァはまだまだ喋り足らなさそうなようすであったが、その前に智良がのけぞっていた。
「なんだよそれ! メイド喫茶を騙ったただのふーぞくじゃん!」
「ふーぞくじゃありません。乙女の聖域ですっ!」
間髪入れずにエヴァは反論したが、智良の不信感は拭えるどころかますます深まるばかり。
もっとも、いかがわしい聖域の伝道者たる少女は智良の警戒心を気にしてないようすで、豊満な胸の前で腕を組んで呟いている。
「わたくし、チラちゃんのおぱんつを見た瞬間から、並々ならぬ素質を感じてましたの。チラちゃんがあのメイド喫茶でラッキースケベを提供すれば、集客力はうなぎ登り間違いなし。あるいは、わざとドジして全身をクリームまみれにしてお客様や先輩のメイドさん方にぺろぺろされるのも悪くないですわね。『皆に汚されちゃった……』みたいな感じで」
「そこまで思いつくなら、いっそエヴァがそのメイド喫茶で働いたら?」
そうすれば、エヴァは持て余し気味の性欲を遺憾なく発奮できるし、智良としても変態淑女の動向にいちいち身構えなくて済む。ウィン・ウィンな提案ではないかと智良は思ったが、金髪碧眼の美少女は提案者ほど乗り気ではなかった。
「それも悪くありませんけど、わたくしはすでにお姉様とは異なる道を歩むと決めてますから」
「ふーん、どんな?」
「こちらになりますわっ」
素手と思われたエヴァがどうやって用意したのか、手には薄い冊子が握られている。
「わたくし、同人誌で世界を百合色で染め上げたいと思ってますの!」
意を決するエヴァの顔は美しかったが、同時に突き出された同人誌の表紙を見た瞬間、智良は音を立てて顔を背けた。
表紙だけで中身が容易に想像できそうな冊子である。画力も内容も、十五歳の少女のものとは思えない。画力は無条件で称賛されうるものだが、あまりにも過激な内容が智良に鑑賞する能力を奪い去った。
表紙に描かれていたのは女の子二人だ。向かい合って手を繋いでおり、そこまではいいのだが、二人ともレースの下着を脱ぎかけている状態であったのだ。二人の少女は顔を紅色に恍惚させ、ペロリと出した舌を銀の唾液の糸で繋いでいる。ブラから解き放たれた乳どうしを互いに押し当て、全身は香油でも塗ってあるかのようにテカっている。
『ふたりよがり』と表題に書かれた冊子を突きつけた英国少女は、恥じらうどころか得意げであった。
「わたくし、幼い頃からお姉様とお母様がイチャイチャしてたのを絵に描いてましたの。そうしましたら、自然と上手になりましてね。絵を描きながら感じちゃったことも何度もありましたっけ」
「あー、もう、十分わかったから……」
強引に話を打ち切って、このときの智良は逃げるようにエヴァのもとを去ったが、エヴァは懲りるようすもなく智良に何度も絡んできて、百合カルチャーの素晴らしさを宣教してくる。
今日の日も例外ではなかった。
「チラちゃんも一度、そのメイド喫茶におもむけば百合の素晴らしさが自然とわかるはずですわ。唇を重ね、肌と肌とが触れ合えば、あとはもうこちらの世界。指を絡め、秘めたる部分を濡らし、お互いを深く強く求めるばかり……」
「あたしは根っからのノンケじゃい!」
「うふふ、強がる子を懐柔させるのは嫌いじゃありませんわ……」
エヴァの笑みが深くなり、智良が思わず首をすくめたそのとき、寮の入り口から新たな声がかかった。
「おお、智良ちゃんやないの。エヴァちゃんとずいぶん仲良しさんなんやね」
「もちろんですわ♪」
「誰がッ!!」
二極に分かれた反応を河瀬マノンは楽しげな笑顔で受け入れたが、反応を示した後の二人は『なぜ菊花寮の彼女がここに?』と無言で疑問を呈したものだ。
「うちは智恵ちゃんの代理でエヴァちゃんに会いに来たんや」
智恵というのは、五行姫奏の後を継いで生徒会長になった高等部二年の江川智恵のことである。就任時の挨拶で智良も彼女の姿は見たことがあった。黒髪をまっすぐ伸ばし、眼鏡をかけた真面目一辺倒の先輩というのが第一印象だが、正直、五行前会長の威光が強すぎたせいで、どちらかと言えば印象は地味である。顔立ちやスタイルはむしろ華やかなはずなのであるが。
智良は音もなく視線をエヴァにはしらせた。エヴァの態度は身に覚えがあるというより、最初から現会長に会うためにここへ訪れたかのように思われた。しかし、生徒会長に呼ばれるなど、この変態英国淑女はいったい何をやらかしたのか。いや、突っ込まれる要素は多々あるが、ありすぎるが故にかえって絞れないのであった。
「智良ちゃんは知らんかもしれへんけどな。今年から文化部の作品は生徒会が事前にチェックすることになってるんや」
なんでも去年の文化祭で、情操教育上よろしくない作品が展示されて問題になったそうである。健全な文化祭を目指すために検閲を強く主張したのは前会長の五行姫奏で、このときばかりは智良は元会長の手腕に敬意を表したものである。
それにしても……と智良は溜息を禁じ得ない。去年と言えば、異邦少女エヴァンジェリンはまだ来日していないはずだ。検閲がおこなわれるとしても、それは間違いなく来年かと思われたものだが、物騒な作品を残すのはどうやらエヴァの他にもいるらしい。