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エピローグ・フラグメンツ Ⅶ 『五行姫奏』

 十月の半ばのある日、理純智良は呼び出しを受けて、放課後、生徒会室へ向かった。校内放送による呼び出しでなく、五行姫奏の恋人である御津清歌が誰もいないことを確認してからそっと打ち明ける点に、話の内容の輪郭ぐらいはうかがえそうである。つまり、オオヤケにできないような話をするというわけだ。報告し終えた後、清歌はやたらと「二人で何を話すつもりなの?」と訴えがちな顔をしていたが、それは恋人に直接訊けばいいと思う智良であった。


 生徒会室は特に大きな学校行事を控えておらずとも、江川智恵会長を始めとする役員が頻繁に出入りするものであるが、このときばかりは五行元会長の『人払い』が行き届いているせいか、廊下は非常にしんみりとしたものだ。


 誰もいないのが、かえって厳かな緊張感を肌身に感じさせ、やってきた智良は落ち着かないようすでスカートとニーソックスを整えた。


 姫奏が来たのは智良が着いてからおよそ二分後のことであった。相変わらず秀麗なお姿で、二年後輩の智良に対して向けた笑顔もあでやかなものだ。


「清歌から話はいってるみたいね。はぐらかされたらどうしようかと思ったけど安心したわ」

「それで、こっそり呼び出して何を話すつもりです?」

「まあ、それは中に入ってからにしましょう」


 そう言って、彼女が導いたのは生徒会室ではなかった。その隣にある小さな部屋で、過去のファイルが敷き詰められた棚が狭い空間をさらに圧迫している。机も椅子もなく、小さな窓が一つあるだけだ。


 この元会長なら清歌をここに連れ込みかねないな……と思いつつ、智良は、窓を背にした姫奏の言葉を待っている。逆光を背中から受ければ非常に絵になるかもしれないが、あいにく今日の天気はしとしとと、乾燥がちな大地を潤しにかかっていた。天恵なのだろうが、智良としては天気が崩れるたびに姉の体質のことを思わずにはいられない。


 ややあって玲瓏な声が流れた。


「マノンから聞いたのだけど、あなた、茶道部室のど真ん中でもおぱんつをあっぴろげていたそうね」


 姫奏がまだ生徒会長として活躍していたら、智良の奇行に対して容赦なく制裁おしおきをくだしていたであろうが、すでに会長じゃないと割り切っているせいなのか、今では彼女の奇癖に強い関心を寄せており、それどころか「いったいいつになったら私の前で事故を起こしてくれるのかしら?」とからかう始末である。智良は呆れたが、時の運のおかげで命拾いをしたと思うと、五行先輩のフレキシブルさに感謝しないわけにはいかなかった。


 そんな智良も、先輩からその話題を繰り出されたときは憮然としたものだ。なじられたと気分を害したわけではなく、こんなことを話すためにわざわざ清歌をけしかけてまで呼び出したのかと嘆息を禁じ得なかったのである。


 十月上旬のことだ。姫奏の親友である河瀬マノンが半ば強制的に智良を茶道部主催の定期茶会に誘ったのだ。智良としてはいくら参加自由で、なおかつお茶菓子が食べ放題と言われても、正座して苦いお茶を飲まされることに充足感があるとは思えなかった。実際、大して面白みを感じさせない時間であったが、宴たけなわに差しかかったとき、不遜な娘はわびもさびも完全に無視したような行為に及んだ。


 退席する際、智良だけが極端に動きが鈍かった。膝立ちになり、そのまま立ち上がることができない。足が痺れた芝居をしていたのだ。


 部長さんが起こそうとしたとき、智良は次の行動に移っていた。ブレザーに包まれた上半身だけを畳に突っ伏して、小振りなお尻が、今の智良の最も高い位置にあった。そのお尻を包むべきであったチェックのプリーツミニスカートは重力によってひらりとまくられており、カルピスソーダを連想させる青い水玉模様のおぱんつを一同に示していた。


 連れてきたマノンは親友の痴態に引きつった笑みを浮かべ、たまたま同席していた弓道部の少女は、それこそ射抜かんばかりの視線でふざけた小娘を無言で糾弾していた。茶道部側の二人だけが智良の望む反応をしており、部長のそばに控えていた少女は純情な赤面を浮かべながら全身をそわそわさせており、その就任したばかりの副部長さんは呆然と立ち尽くしながら「あまかけりゅおぱんちゅのひらめき……」などと意味不明なことをつぶやいていた。


 終わってから、誘ってきたマノンが物騒な笑みでたしなめられたので智良としてはあまり後味のいい結末とは言えなかった(完全に自業自得であるが)。麗しい元会長さまに余計なことを詮索される前に、ラッキースケベな娘は強引に話の方向性を変えていく。


「あたしの話はどうでもいいじゃないですか。五行先輩こそ最近ウワサの中心にいるわけですけど、大丈夫なんですか?」


 生徒会を引退してもなお燦然たるカリスマを誇る姫奏であったが、ここ最近、親友のマノンとの仲が疑われ始めていたのであった。険悪になったというよりは、以前よりも繋がりが希薄になったというべきか。しかも、ファンクラブの話によれば、姫奏のほうから灰色髪の元腹心に対して距離をおいているのではないかという疑惑が蔓延していたのだ。


 お互いにいちおう受験生という身の上であるが、学力がすでに高水準に達している二人は大学の二次試験の対策さえしていれば、気分は一足お先に大学生という有様だから、時間がとれないというのは通らないし、そもそも、仲の良い二人がそれぞれ別の大学に進学するというのも二人の仲の良さを知っているものからすれば信じられないことであったらしい。


 彼女たちの疑念を姫奏は真っ向から否定したそうである。たとえ道を違えようと、私たちの友情は何よりも尊いものである、と。


 だが、智良の懸念を、姫奏は同様に一蹴したりはしなかった。沈黙のなか、疑惑の渦中にあるお姉さまは深い笑みをたたえるだけだ。幽境に引きずり込まれるような空気が醸成されて、智良は思わず胸が騒いだ。


 ややあって、姫奏は伏し目がちに言う。


「さあ、一体どうなることかしらね……」


 驚いた。決して深い付き合いわけではないが、それでもこの先輩からこんな投げやりな発言が繰り出されるとは思わなかったのだ。


 姫奏は智良に背を向け、小降りの空を眺めながら独り言のように続けた。


「私とマノンは親友だった。中等部の一年から、今までずっとよ。でも、私は本当にあの子のことを思ってやれたのかしら……」


 ……フランスに帰るかどうか、あなた自身が決めるべきことよ。


 あのとき、あの子をそう促したのは果たして本当に正しかったのだろうか。


 口にしたとき、私は自分の正義を疑わなかった。マノンにとっては苦渋の選択であろうが、先のことを思えば、重要な決定を他人に任せることは後悔しか生まれない。お互い、生徒会の要職に就いていた身としてそのことはよく理解していたはずである。


 だが後々、親友の立場で考えたら、あの発言は、弱り切ったあの子を突き放しただけの結果に過ぎないのではないだろうか。


 仮にフランスに帰ることを選択したとて、それはマノンの意思決定したものとなぜ言い切れる? 空っぽのあの子を私が渡仏の方向に後押ししただけではないか。あの子がいなくなっても私は彼女の意志を尊重するつもりであったが、そもそも本当にその彼女に意志は存在していたのだろうか。


 もしかしたら、あの子があのとき求めていたのが無難な回答なんかではなく、親友としての私の本音だったのかもしれない。あるいは、空の宮に残る決心をつけてほしくて、とりあえず何が何でも引き留めるよう、うながしていたのだろうか。いずれにせよ、私はあの子の期待に沿うことができなかったのだ。その状態であの子の親友を誇るのは笑止というものではなかろうか。


「……私、あの子の友だち失格ね」


 智良の胸中に不吉な汗が落ちた。唐突な前提の転換は動揺と困惑を招くもので『姫奏とマノンの友情』という前提が崩れた暁には、星花女子たちの影響と混乱は計り知れない。加えて、生きた伝説たる先輩がとても冗談を言っているように聞こえない点が、よりいっそう智良の心を慄然とさせた。


「理純さん」


 姫奏が振り返る。


「マノンと仲良くなってくれてありがとう。そして、あの子を空の宮にとどめてくれて、本当に感謝してるわ。なんか私よりも、理純さんあなたのほうがマノンの親友にふさわしい気がしてきたわ」


 後夜祭の顛末を聞き、姫奏は心の底から安堵し、同時に智良に深い感謝の念を抱いたものだ。


 ラッキースケベの彼女は灰色髪の小さな少女のためによくしてくれた。マノンの心の奥底にある本当の気持ちをとらえ、彼女を星花に留まらせることに成功したのだ。たとえ結果論だったとしても、後先を顧みずにマノンを強引に押しとどめることは自分にできたのだろうか。いや、曖昧な表現を用いずとも温泉でのやり取り、そのときの自分の回答がすべてであったはずだ。


 そう考えると、河瀬マノンの友人の座はラッキースケベな彼女こそふさわしいように思われたが、当の彼女が元会長の言葉に頷かなかったのだ。


「ふざけんなよ。先輩にとってマノンはそうやってホイホイ手放せる相手なのかよ。それに、もし先輩が身を引いたら清歌はどうなるんだ」


 先輩に対する礼節を欠いた反応と問いかけに、姫奏は素直に面食らった。


「どうしてそこで清歌の名前が出てくるの?」

「先輩が清歌と親密になるために、マノンを捨てたという話がひそかに出てるんだよ」


 この噂は、智良としても決して他人事ではないのであった。姫奏とマノンの不仲の原因として清歌が責められるのは言語道断の所業であるし、元副会長と親しくなっている智良も立場の危うさでいったら清歌とそう変わらないのだ。


 智良の報告を受けて、姫奏は驚愕し、そこまで行き当たらなかった自分に対して舌打ちしたい気分であった。その思いが、立ち尽くす彼女の周りに危うい熱気と冷気を立ちこめさせる。


「……なんですって」


 溶岩を薄氷で包むような先輩の声に智良はぎょっとしたが、姫奏はなんとか自らの感情を鎮めてみせると、落ち着き払ったようすで口唇を開いた。


「……マノンについて、あなたにお礼を述べるだけのつもりだったのに、こんなときでも片付けねばならない仕事がくるなんてね」

「先輩の仕事はマノンとの関係について、みんなの誤解を解くことじゃ?」

「わかってる。すぐさまマノンと話し合って、こんなふざけた噂を根絶やしにしてくれるわ」


 精彩を取り戻してくれたのはいいが、双眸にきらめく光があまりにも物騒すぎて、智良は噂を流した面々に強い同情の念を抱かざるを得なかった。


 使命感を帯びた姫奏さまによって秘密の対談は打ち切られ、ラッキースケベの娘はやれやれという感じで部屋を出ていった。元会長は彼女の後をすぐには追わなかった。入り口とは違う扉を開け、誰もいない生徒会室を訪れる。


 かつて、自分とマノンが思う存分才覚を発揮させてきた思い出の場所。そう、この部屋にとって五行姫奏という優秀な少女はすでに過去の存在なのだ……。


 溜息を吐き、この部屋のかつて中心にいた美少女は、明かりをつけないままテーブルに近づいた。正確には、自分が座っていた席の隣の椅子である。副会長の座るところである。


 姫奏は背後から椅子の背もたれに手をついた。智良と対面したときとは打って変わり、瞳には深い色をたたえ、視線の先は、ゆるふわな灰色の後ろ髪を幻視するかのようだった。


「マノン……」


 背もたれを握りしめたまま、姫奏の姿勢が低くなる。清歌と恋仲になったが、姫奏の星花の六年間は小さくも聡明な少女とともにあったと言ってよい。その思い出が姫奏の心の薄い膜を張り裂けさせ、身体を支える気力でさえ、根こそぎ奪い去ったかのようであった。


 少女は両膝を床に着き、うなだれた頭を椅子の背に押し当てた。肩の震えが腕にまで伝染して、彼女の感情の奔流ぐあいは厚手のカーテンに遮られ、しとしととした雨天でさえ、うかがい知ることはかなわなかった。


「よかった……あなたがここにいてくれて、ほんとによかった……っ!」


 ややあって、ガラス窓を境にした内外の『雨』がそれぞれおさまると、姫奏はゆっくりと立ち上がり、カーテンと窓ガラスの両方を開けた。


 重苦しい灰色の雲に亀裂がはしり、そこから天使のはしごが降り注がれる。湿気を薙ぎ払う一陣の風に長い髪をもてあそばれながら、姫奏はかけがえのない思い出たちを胸に抱えた状態で静かにまぶたを閉ざした。


 ありがとう。ほんとうに、ありがとう。


 私は本当に幸せ者ねと、少女は改めて感じていた。


五行姫奏ごぎょうひめか

キャラクター考案:五月雨葉月様(https://mypage.syosetu.com/700661/)

主要登場作品:あなたと夢見しこの百合の花(https://ncode.syosetu.com/n4278dw/)


 なめぇ調べで『腕組みがサマになっている星花女子ランキング』第一位に選出された姫奏元会長さまですが、実は第一話で名前を登場させてから一番印象が変わっていったキャラでもあります。


 最初はとりあえず美貌にあふれた厳格な元生徒会長さんで書いとけばええやんと思ったのですが、生徒のみんなに慕われるなら、ただ厳しいだけじゃダメかと思い直して、会長としてのカリスマ性もありながら、どことなく愛嬌をうかがえるような性格になっていきました。葉月様の作品では清歌ちゃんとイイ感じにイチャイチャしてますが、生徒会長としてどうかというよりは、トップに立つもの色事ぐらい達者でなければならぬという考えがなめぇの中では強かったですねえ。なんのこっちゃ。


 カリスマ性のある女の子はなめぇの大好物であり、同時に書くのに一番神経を使うタイプでもあります。高い官職やスペックをべたべたコーティングするだけでは読んでくださる方にその威厳を実感させづらいので、セリフや行動や考え方、それを踏まえた他の登場人物との衝突とその結果をうまくはめ込ませるのが苦しくもあり楽しくもありという感じでした。他のキャラクターでもそうなのですけどね。


 姫奏さまのキャラは、なめぇが割と自由になめたけないずしちゃったせいもあって、後半からは割とぶれずにスラスラ書けました。ただ最後に、マノンちゃんとは本当に親友であるという証も記したくて、姫奏さまの乙女らしい一面ものぞかせておきました。個人的にお気に入りのシーンです。


 さて、次話で『純情チラリズム』は最終話となります。最後までよろしくお願いいたします。


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