エピローグ・フラグメンツ Ⅳ 『智恵・邑・莉那』
生徒会の業務をひとしきり片付けると、現会長の江川智恵は足取りも軽やかに教員の官舎を訪れた。彼女の内面が知性に富んだ顔にも反映されているようで、彼女の淡くも健やかな波が来訪を歓迎した倉田邑先生の微笑を誘った。
「あの、邑さん。これを受け取ってもらえますか」
柔らかな空気の中での対話もそこそこに、智恵はカバンから純白のハンカチに包まれた何かを取り出した。するりと結び目がほどけ、その中にあったものに邑は感心したような声を上げたのだった。
「ほう……ずいぶんと綺麗な石なのだな」
邑のつぶやきどおり、ハンカチにくるまれていたのは河原の中にうずもれているような美しい二つの石であった。いびつだが角はすっかり丸まっており、喩えるなら『石の形をした白真珠と黒真珠』というべきものだった。
つややかな光沢を帯びた黒い石をつまみながら。邑は言った。
「これほどの代物なら、取っておきたくなるのもわかるな。……智恵がわざわざ拾ってきてくれたのか?」
「いえ、これは櫻井さんがコレクションの中から譲ってもらったものなんです」
「二つもくれるとはずいぶん気前のいいことだな。智恵はいい友人に恵まれているらしい」
「いえ、そんな……」
智恵は謙虚に身をよじらせた。普段通りの智恵の反応にみえたが、表情と眼鏡の奥の瞳に何やら感情のしこりがうかがえたので、ツナギの先生はわざとらしく目をしばたたかせた。
「どうかしたのか」
「えっ……?」
「なんとも言えない表情をとってたからな。私が気に障る態度をとったのではと思っちゃったんだ」
「とんでもない! ただ、少しつまらない考えが頭をよぎっただけでして……」
実際、つまらないことだと思う。邑さんは私のことをどう思って「友人に恵まれている」と言ったのだろう。邑さんから友人の話は聞いたことはないけど、もし、その人のことを親しげに語るのなら、私は「友人に恵まれている」と心から言えるだろうか。
……無理だと思う。
私は邑さんが、今の邑さんのままであってほしくて。私の心をざわつかせるようなものなどほしくなくて。せめて、この間だけは、私と邑さんだけのまじりけのない世界であることを強く願っている。
邑さんはどうなのだろう。ああ言うってことは、私が他の子と一緒にいることがそれほど気にならないのかな。大人の女性だから焦りが出てこないのか、あるいは私のことをそれほど意識していないのか……。
(……サイテーな女だ。私ったら……)
邑さんのことを独り占めしたいあまり、ものすごいひどいことを考えてしまったような気がする。邑さんにだって、いろいろと都合だってあるはずなのに、私は私の理想を押しつけてばかりでいる。そもそも、邑さんは何気なく友人と言っただけに過ぎないのに、どうして私はそのていどの言葉でとらわれてしまうのだろう……。
「……おい、智恵。本当に大丈夫なのか?」
「あっ、すみません。邑さん……」
智恵ははっとなり、顔を上げて眼鏡を直した。邑さんを置いてけぼりにして思いつめて黙っていたと思うと、自己嫌悪がさらにふくれて胸が苦しくなってくる。
倉田先生はいたわるように智恵に声をかけた。
「無理して全部話す必要はないが、あんまり一人ですべてを抱え込もうとするな。私も、智恵のおかげで誰かに打ち明けることで心を軽くことを知ったからな。智恵も気兼ねなくそうであってくれると嬉しい」
「は、はい。何か申し訳ありません……」
ただ自分勝手なことをめぐらせていただけなのに、ここまで気を遣われてしまうと、かえって恐縮してばかりもいられない。姿勢をあらためると、乳白色に包まれた石を手にとって邑に示した。
「櫻井さんが私と邑さんに一つずつ、って……。どっちがよろしいでしょうか?」
「なんとも悩ましいな。そもそも風紀委員長が私に贈り物とはまったく想定していなかった」
智恵はふふ、と微笑んだが、これは先ほど邑に言われたことを意識してのことである。これもまたうまい形で話せる自信がなかったので、黙秘を決め込むことにしたのだが、秘密を抱えることへの後ろめたさを顔に出さないため、笑みのポーカーフェイスを予防線として張ったというわけである。
智恵が風紀委員長の櫻井莉那から二つの石を賜ったのは、実は学校を後にするほんの数分前のことであった。
「闇の同胞よ、貴公に残念な話がある」
智恵のクラスメイトでもある櫻井風紀委員長は自身のことを邪神・ユースティティアと名乗る奇癖があり、仕草や言葉遣いがそれ相応になることがしょっちゅうだ。噂によれば、後輩の間でも彼女の『眷属』が増えつつあるとのことだが、個性豊かな星花女子の面々と比べればそれほど特筆すべき事項ではなかった。
廊下で呼び止められた智恵は、長い黒髪をひるがえして奇抜な言葉遣いをする莉那と正対したが、まるでかんばしくない戦況を聞かされたときのようなしんみりとした表情に驚きの表情をとったものだ。
「櫻井さん、どうしたの。残念な話っていったい……?」
「実は貴公が我の闇の同胞ではなかったことが判明した」
さっき『闇の同胞』と呼びかけたのはなんだったのだろう。智恵は思わず真剣に考え込んでしまったが、憂色の邪神サマはお構いなしに語り出した。
「我が貴公を同胞と評したのは、私と比類するほどの闇を放っていると感じたからだ。だが、あるとき我は知ってしまったのだ。貴公は闇を解き放っているのではなく、闇に取り込まれていた側であることを」
芝居のはずなのに、ものものしい内容に智恵は息を呑んでしまった。
「私が、闇に……?」
「偶然、貴公が青いツナギの法衣を着た女性と話し込んでいるのを見たのだ。……我はうずきを抑えることができなかった。すました顔をしているが、見誤ることなど有り得ぬ。彼女の周りにわだかまる圧倒的な闇を。貴公は我が闇の同胞と見紛うくらいだ。このまま完全に闇に呑み込まれる前に、何らかの対抗策を……」
「櫻井さん!」
生徒会としての面を押し出して智恵は声を張った。邪神を自称する同学年の少女は首をすくめた。普段は温厚そのものの江川会長が明敏さをひらめかしたときの凄みを、莉那はよく知っていたのだった。
邪神が退散し、普通の星花女子生に戻った莉那はしどろもどろになって弁解したのであった。
「あ、あの……智恵さんに言ったのははちょっと誇張が入ってたから、私の口上は本気にしないでいただけると……」
「冗談でも、あまり言わないでほしいな。あなたからすればいつもの邪神さまのつもりなんだろうけど、本気で傷ついちゃう子もいるでしょう?」
自分の受けたショックを一般的な事柄に広げて注意すると、莉那はたちまち縮こまってしまった。あまりの弱りっぷりに智恵も同情をおぼえたが、自分の言ったことに間違いはないはずである。
霜が降り立ちはじめた心理状況で生徒会長が背を向けると、そこに邪神の顔が剥がれた莉那の声が追いすがる。
「智恵会長、待って……!」
「櫻井さん……?」
改めて振り返ると、必死な莉那の顔があった。まるで贖罪を求めるかのような表情で、そのようすのまま、彼女は語りはじめた。
「確かに、邪神うんぬん言ってたけど、倉田先生を見たときに不思議な感覚があったのは確かなんだ。私、昔から勘が鋭かったから……」
「そう、なんだね」
「智恵会長、これ……受け取ってくれない? 気を悪くしたお詫びもあるけど、私は自分の感覚に目をつむりたくないから」
莉那はカバンから小さな巾着袋を取り出した。和風でもガーリィでもなく、麻でできたお粗末なシロモノだ。まあ、中世ファンタジーの冒険者が身につけてそうなもので、莉那が気に入るのは理解できなくもないが、女子高生や邪神との親和性は完全に未知数である。
巾着袋から滑り落ちたものが、智恵の手のひらに受け止められる。白と黒の美しい石たちだ。磨かれたように照り輝いているが、悪く言うと、それ以上のことではなく、智恵は困惑気味にクラスメイトの顔に視線を注いだものだ。
「昔、河原で拾ったものなんだけどね。歩きながら『これぞ運命!』と感じたものをたくさんコレクションして、本に書かれていたおまじないの呪文を唱えながら丁寧に磨いて、少しでも特別な効果が出るようなふうに仕上げたんだ。気休めと言われたらそれまでだけど、智恵会長と倉田先生のお守りにどうかなと思って……」
邪神と言うより魔女の所行である。
いずれにせよ、彼女がいまだに邪神ユースティティアとしてあったなら、大げさな口上をもって二つの石を稀少価値の高い魔道具として語ったに違いないが、今は智恵と邑のことを慮り、莉那の説明はかなり謙虚なものだった。
なめらかな輝きが持ち主の労苦を想起させられ、智恵はその二石を手の中におさめることができなかった。
「そんな、悪いよ。櫻井さんの大事なコレクションのはずでしょう」
「まだまだたくさんあるから問題ないよ。それに、さっきも言ったけど、二人を見て胸騒ぎをおぼえたのは確かだし、そのことを会長に隠しておきたくなかったからね。伝えた以上、不安にさせたままにするわけにもいかないし、それを抑えるものとして倉田先生とペアで持っててくれると嬉しい」
「そうなんだ……ありがとう。そういうことなら、お言葉に甘えていただいちゃおうかな」
智恵は二つの石を自分の白いハンカチに包み、自分のカバンにしまいこんだ。一足先に立ち去った莉那の背中を見送りながら、智恵は密かに元・同胞の莉那に感心したものだ。ただ一方的に情報を押しつけるだけでなく、ちゃんとその先も考えている。邪神を決めていながらも、五行先輩が彼女に信頼を置いているのもわかる気がする。
私が櫻井さんの立場なら、嫌な予感があっても言わずに抱え込んじゃうんだろうな……。
結局、石をもらうまでの経緯を智恵は邑に話さなかった。どういう流れで邑先生の闇に行き着くか知れたものではないからだ。それを明かしてしまうことは、お互いにとって喜ばしいものではなかった。
「どっちがいい? 智恵が先に選んでくれないか」
黒の石を白い石の隣に戻して邑は言った。智恵は自分が先に選んじゃっていいのだろうかと一瞬ためらったが、心はすでに決まっていた。
「では、私は……」
二つの石に向かってしなやかな指を伸ばす。
「こちらの、黒い石をいただいてもよろしいでしょうか」
黒真珠のような光沢の石を示すと、邑はやや驚いた表情を見せた。
「ちょっと意外だな。うまくは言えないが、白を選ぶと思った」
「そうでしたか?」
「ああ。何て言うか、智恵に暗い色のイメージがないからな」
しかつめらしく言ってから、邑は白い石を手に取った。
「あの……もしかして取り替えたほうがよろしいでしょうか?」
おずおずと智恵が申し出ると、邑は小さく微笑みながら首を振った。
「いいや、こっちのほうが智恵がずっとそばにいるような気がしていい」
「邑さん……っ」
一瞬で、頬がぽふっと熱くなってしまった。いきなり私の心の均衡を崩しにかかるなんて、ずるい。しかも、邑さんはまったくよろめかせるつもりがないはずだから、このもんもんをどうすればいいのか、わからなくなってしまう。
邑さんが石をつなぎのポケットにしまう。それに触れることによって、私のことを意識してくれるのかな。
私も邑さんのことを思いながら、艶やかな黒い石をブレザーのポケットに入れる。あなたの闇を分かち合います……。心の中でひそかなる誓いを立てながら。
江川智恵
キャラクター考案:しっちぃ様(https://mypage.syosetu.com/772600/)
主要登場作品:咲いた恋の花の名は。(https://ncode.syosetu.com/n2064dj/)他
智恵さんはしっちぃ様の書かれるぽふぽふ具合が気に入り、続いてビジュアルがエヴァさんに並んでなめたけの好みであったため、純チラでもけっこう出しましたし百合テロでも出張っていただきました。現生徒会長というだけあって出す機会も多かったですね。
今話においては、しっちぃずむのなめたけ風味を出したくて、本文中にちょこちょこ智恵さん一人称の場面が出ています。人称を混ぜると混乱を招きそうですが、大丈夫でしたでしょうか?
莉那さんとは、今話において闇の同胞を解消されましたが、なんだかんだで今後も接する機会は多いことでしょう。白い石が邑先生のもとにおさまったのは、彼女に智恵さんという光があるという暗示です。
倉田邑
キャラクター考案:壊れ始めたラジオ様(https://mypage.syosetu.com/536581/)
主要登場作品:同上
実は純チラでは最初の話に出ただけで、以降それっきりの邑せんせーなのでした。名前すら出てなかったし。むしろ私の中では、しっちぃ様に送りつけたゆうちえ百合テロ作品の印象が強かったり(汗)。ラジオ様によって捻出された邑先生の闇に関しては詳しくは語りませんが、そういう側面があってこその邑先生なんだろうなーと思い、その一部分を切り取ったような色合いの石は智恵さんに託されることになりました。完全に真っ黒にしなかったのは闇の中に光が当てられているというイメージであると今決めました。
櫻井莉那
キャラクター考案:五月雨葉月様(https://mypage.syosetu.com/700661/)
主要登場作品:ユースティティアにおまかせあれ!(https://ncode.syosetu.com/n2470ef/)
黒き邪神サマも最初からキャラがしっかりしていたので書きやすかったのですが、素の莉那さんの状態のときの口調で正直なところ手こずりました。邪神の口上は書くのは楽しかったですけどね。今回は少ない気がしますが。
実のところ、この子のビジュアルがまったく思い出せなくて困惑しきりという点は正直ありました。黒髪ツインテールくらいしか情報が見つからなくて……。もっとも、それを上回る個性の持ち主だから勢いでごまかすことができましたが(汗)。
智恵さんとの関係は、私の中では『盟友』のイメージです。本命の湯足さんがいるわけですので、智恵会長と過剰に親密にさせる意図はありませんでした。もっとも、姫マノの関係性に対する憧れもあって、会長にはいろいろと助力を惜しみたくないとは思っているでしょう。