純情チラリズム(前編)
星花女子学園の文化祭、通称、星花祭は九月上旬、二日間にわたって開催される。
もっとも、一般向けに開催されるのは二日目のみで、初日は星花女子学園の中だけで行われる。初日は言わば先行披露宴というものであり、体育館に集まった全校生徒の前でいくつかの文化部が自らの演目を発表するのであった。合唱部、吹奏楽部、軽音楽部、演劇部、落語部、漫研(漫画研究部ではなく漫才研究会である)、アイドル研究会など。お昼の休憩を挟んですべての出し物が終了すると、残りの時間は明日に向けての最終調整に用いられる。
一般公開日こそ文化部にとって最大の見せ場と言っても過言ではない。合同誌の改訂版が無事に審査が通り、漫研部のエヴァンジェリンはテンションを突き上げさせ、文芸部の須川美海も昨年の屈辱を台にして改めて決意を固めるのであった。
文化部に所属していない生徒も研究発表やらゲーム大会やら出店やらへの参加を余儀なくされている。その中には当然、帰宅部歴三年以上の理純智良も含まれているわけだが、服飾科のクラスの出し物は他とは少々毛色が異なる。
まず服飾科では設立以来、表立った展示をおこなっていない。クラス単位ではなく、いくつかのグループに分かれて衣装製作に取り組むのだが、その衣装は星花祭の一般公開日にモデルが着ることになっている。高等部一年はまだ専門的な技術まで行き着いていない生徒が大半だから、既製服のシャツにレースを足したり、スカートの裾にフリルを付けたりするていどでも評価はもらえたが、学年が上がるにつれて要求される水準は高くなり、中には評価関係なしに趣味が高じて、一からメイド服やチャイナドレスなどを作り上げてしまうとんでもグループも存在するのだ。
智良はデザイナーである母の血が濃かったらしく、洋裁についての技術はなかなかのもので、意欲に関してはおよそ食事睡眠以上自作自演ラッキースケベ未満と言ったところである。智良グループのモデルに選ばれたのは、智良のルームメイトの占部麻幌であり、占術同好会として出店するためにふさわしい衣装を見事こしらえたのであった。ラッキースケベにうつつを抜かすばかりの少女ではないのである。いちおうは。
智良と麻幌の寮部屋で前祝いを兼ねたお披露目会が行われたが、衣装を着せられた麻幌は照れながらも内心まんざらでもないようすであり、解散した後、寝る寸前の智良に対して「理想的なラッキースケベ用のスカートも作れるんじゃない?」とこぼした。彼女なりに褒めたつもりらしい。
基本、するべきことは前日までに完了してしまうため、衣装のトラブルでも起きない限り、開放日は服飾科生徒は実に暇なのである。もっとも、その日は智良はやって来る両親の対応に追われて、それだけで午前中を費やしてしまった。噂によれば姉の諸美も恋人のあたるを連れて母校を訪ねていたそうだが、智良は会っていない。姉ちゃんだって会うことを望んでいないだろうし、だいいち会ってやれる余裕すら今の智良にはなかったのであった。
両親を満足させて帰すと、智良は脇目も振らずにマノンの姿を探し求めた。夏休みの始めに「最高の文化祭にしてほしい」と口にした当人がやって来ないとはどういう了見かという思いは当然あったが、そもそも待ち合わせ場所も時間も決めていなかったこちらにも落ち度があるわけで。だが、その罰がボイコットというのなら超過裁量にもほどがあるというものだ。
智良としては別にそこまで積極的にマノンと文化祭を楽しむつもりはなかったが、姫奏から彼女がフランスへ帰ってしまうという話を聞いてしまった以上、無視することはできない。姫奏ほど可憐な仏蘭西少女に思い入れはないにせよ、何も言わずにお別れになるのはさすがに目覚めが悪すぎた。
五行姫奏はマノンとの温泉プチデートを終えた数日後に、またしても智良を呼びつけたのであった。このときは夏休みは終わっていたから、校舎内にある小会議室への呼び出しである。しかも今回は江川会長も櫻井風紀委員長もおらず、本当の一対一の対談で、二度目なのに智良は姫奏の雰囲気に慣れるどころか逆に緊張を倍加させたのであった。
実際、麗しの元会長はかなり深刻そうな顔でマノンが渡仏するかもしれないことを伝えたのだった。
「お父上がね、フランスで交通事故に遭われたの。自活が困難になって、その理由でご家族を呼び戻そうとしているのよ」
智良の衝撃は智良自身が思っていたよりも大きかった。あの先輩とは苦み渋みのはしった関わりのほうが多いはずなのに、それでも「ざまあみろ」とはとうてい思えなかった。突然の喪失のはなしは智良の心を無残にえぐったのであった。事実を否定したくて険しい顔で抗議した。
「こう言っちゃ悪いけど、なんで事故ごときで呼び戻したりなんかするのさ? 入院して手術しちゃえば治るもんじゃないの?」
「治せないのよ。損傷がひどくて二度と歩くことができないと言われて」
ニーソックスに包まれた脚が激しい恐怖感でこわばり、姫奏もさらに表情を重苦しくさせた。
「私もその父君に会ったことはないけれど、マノンの話では健康健全を絵に描いたような人物だったらしくて、それだけに二度と歩けないという宣告は身体面以上に彼の精神を強く打ちのめしたようなの。私は今までに死の恐怖に直面したことはないし、するつもりもないけど、そういう人が異国に置いていった妻や娘を側に置きたいと強く願うのは割と自然なことじゃないかしら。だから私もマノンに残れと強く言えなかった……」
「そのマノン先輩はどうなんです? 素直に帰りますわとか言ったんですか」
「わからない。父のことを気にかけているのは当然として、家族のことと星花のことで板挟みになってるみたいだけど……やはり、最終的には名残惜しいけどフランスに帰ってしまうんじゃないかしらね」
姫奏はマノンの行き当たりばったりの家出計画のことは話さなかった。あまりに非常識であるし実現は不可能と思っていたからだ。
智良はこれまでにないくらい思いつめた表情をし、若干恨みがましげに姫奏を睨みながら言うのだった。
「……そんなことをあたしに話してどうすんです?」
「逆に聞いてみたいわ。あなたはこれを聞いてどうしたいの?」
「…………」
「私があなたにこのことを話したのは、黙っておくのはあなたに対して良くないと思ったからよ。あなたがマノンについて何を考えているかはわからないけど、いなくなってしまう前にいろいろ言いたいことはあるのではなくて?」
大ありだ。とりあえず今までそういう素振りを一切見せなかったことが智良は気に食わなかった。すぐにでもとっ捕まえて言い分を吐かせてやろうと思ったのだが、智良は智良で衣装製作の追い込み等で自由がきかなかった時期でもあった。グループ単位での評価だから、ひとりがコケると誰かがサポートに回らねばならず、そういうのは手先の器用な智良がメインにおこなっていたのだ。ラッキースケベばかりの少女ではないのである。そして完成したらしたらで、完成祝いに付き合わされたり、それ以前に勉強がおろそかになりがちで菊花寮の彼女に会うことがなかなか叶わなかったのである。
まあ文化祭当日のほうが情緒があっていいかなと、当時のラッキースケベの少女は楽観的にとらえていたが、一般客が撤退する時間になってしまったときには、そんな余裕などたちどころに消えていたのだった。江川会長や櫻井風紀委員にも手を貸してもらったが、それでも収穫はなく、智良はルームメイトの麻幌の占いを頼ることにした。
「マノン先輩の居場所を今すぐ占ってくれ」
占部麻幌は最後の生徒の占いを終え、ちょうど店の片付けをおこなおうとしていたところであった。鬼気迫るルームメイトを見て、うらべぇは露骨にうんざりとした顔になった。というのも開会時間からひっきりなしにお客が訪れてすっかりくたくたになっていたのである。
麻幌は智良のグループが作った衣装をまだ着ていた。全体的なコンセプトは砂漠の国の占い師であり、パフスリーブと胸当てを除けば上半身はほとんど裸であった。腕と鎖骨と、何ともなまめかしいくびれが白い肌とともにあらわになっている。露出をあまり好まない麻幌にしてはきわめて珍しい格好だ。
ほとんど無防備な上半身に対して下半身は鉄壁で、脚の線を完全に隠したハーレムパンツを穿いている。ぱっつんの前髪を額冠で飾り、口元を透過性のある紫の布で覆い隠している。なんとも神秘めいたその口布を外すと、麻幌は智良に対して固い口調で言った。
「智良、悪いけどそれには応じられないわ」
「なんで!? ちょっと占ってくれればいいだけなのに」
「その『ちょっと』が積み重なればさすがに疲れも出るわよ。それに……」
切れ長の視線が気まずそうに逸らされる。
「……河瀬先輩にそれを占うのを止められているのよ。昨日、頼まれてしまってね」
「な……」
智良はよろめいた。あの先輩、自分がルームメイトを尋ねることを予想して先手を打っていたということか。
行方をくらました先輩にも当然腹が立ったが、それ以上に苛立ちをおぼえたのは、それに唯々諾々と従っている麻幌に対してだった。
「なんで麻幌が先輩との関係をもつ?」
凄みさえ感じられる智良の態度。『うらべぇ』呼びをされなかった麻幌は内心ひるみながらも果敢に反撃してみせた。
「それはあなたも同じでしょう。ただの高等部のあなたがどうして先輩の姿を追うの? 五行先輩や江川会長ならともかくとして」
ぐ、と言葉に詰まった智良である。確かに事情を知らぬ者からすれば、自分とマノンは何の関わりのないふたりなのである。いっそ捨て台詞を残して他を当たろうかと思ったが、麻幌のややこわばりがちな表情を見たとき、ある確信が芽生えた。
「うらべぇ……あたしと先輩の関係を占いで知ったな?」
「…………」
「わかった。もうマノン先輩のことは聞かない。あたしが目的のことを達成するには次に誰のもとへ尋ねたらいい?」
「ずいぶんと漠然としてるわね……」
ぼやきながらも、ルームメイトの態度に麻幌も腹をくくったようである。椅子に座り直して机の上の水晶玉に向き合う。
智良からすればあまりにも焦れったい時間であったが、現実においてはそれほど大した長さではなかった。水晶玉に何がうつったのだろう、麻幌が大きくよろめいた。
「どうして……」
「何が見えたのさ」
「智良。最初に断っておくけど、私は自分の占いに誇りを持っている。河瀬先輩にああ念を押されたけど、智良を嵌めたいという意志は決してないとここに宣言するわ。そのうえで答えるわ。……須川さんの姿が見えた」
「美海ぃ?」
確かに麻幌が面食らうのも納得だ。智良が言えることではないが、文芸部の須川美海と元副会長のマノンに関係性があるなんて誰が予想できたか。
「もう少し時間をくれたら、それについて詳しく見れるかもしれないけど……」
「いい、時間がない。美海に直接訊けば済むことだ」
智良は風のように、今は文化部棟に使われている旧校舎へ向かい、文芸部室に押しかけた。ほとんどの部員は後夜祭に出かけたのだろう。残っていたのは美海だけだ。
在庫を整理していた美海は、血相を変えている智良の姿を見て顔をしかめた。
「智良、あなたいったいマノン先輩に何をしたのよ」
責めるような口調である。そっちこそマノン先輩と何があったんだと言いたい気持ちもあるし、それ以上にマノン先輩は彼女に何を言ったというのだろう。とりあえず智良は自分の用件を果たすことにした。
「マノン先輩はどこにいる?」
「さっきまでここでかくまっていたわ。あなたから逃げたがってたみたいだから、清掃用のロッカーでもいいって言い出して聞かなかったから……まあ、なるべく綺麗にしてから入れてあげたの。でも、さすがにそろそろ部室を閉めねばだから、ちょうど今しがた先輩にはお引き取りいただいたけど……」
猫顔を険しくさせて智良に無言で詰問する。美海は智良とマノンのあいだに何があったのかいっさい知らないため、ただならぬマノンの反応から事情を問いただしたい気持ちに駆られるのは当然のことだったが、美海はこれから放送部員の恋人と後夜祭に見る予定がある。すみやかに智良を追い出し、施錠をして立ち去った。マノンがいない以上、智良も文芸部室には用はないのである。
それにしても、マノンはなぜ文芸部の美海に助けを求めたのだろう。隠れるだけなら、使われていない無人の教室は旧校舎にはいくらでもあるのに。そこまで考えて、智良は気分が悪くなった。麻幌や美海には声をかけたのに、自分だけ意図的に排除されている。ふいに思い出された。いつぞやの麻幌の占い「星花祭当日、あなたは悲しい泣き方をする」という言葉が現実に追いすがってきたようで、こみ上げてくる熱が脳天を衝く。
一階まで駆け足で下りて、左右の廊下を見回した智良は思わず声を上げてしまった。トイレの陰からあからさまにこちらをうかがっている少女がいる。即座に引っ込められたが、わずかにのぞかせる灰色の髪を智良は見落としたりはしなかった。
「ま~~の~~ん~~っ!!」
獰猛にうなりながら怒り肩で智良はトイレに乗り込んだ。照明はついていないが、入り口と窓から漏れる光で、視界の不自由は感じない。たった一つの窓は逃走に使えるほど大きくはないため、逃げ出した彼女はいずれかの個室で息をひそめていることだろう。
智良はいちいち一個ずつ扉を調べるようなまだるっこしいことはしなかった。空間の真ん中あたりに立つと、どこかに隠れたマノンに向けて思いの限り大喝した。
「出てこいよ、マノンッ!!」
数秒後、鍵の外れる音がした。扉が開き、よろめきつつ現れたのは、すっかり憔悴しきった灰色髪の元生徒副会長さまであった。
「あ……ちら、ちゃん……」
「逃げるなよ。せっかく星花祭をめぐるつもりだったのにばっくれやがって」
逃げるも何も、智良はマノンの腕に自分のを絡めて自由を奪っていたのであった。マノンはわめきながら激しくもがき、一度は振りほどくことに成功したが、逃げようとしたところをすぐに智良に押さえ直されてしまったのだ。智良としても、とっさの反応であった。伸ばした腕は辛うじてマノンのチェックのスカートを掴むのに成功していた。
「ふみゃわあっ!?」
奇声を上げながら、マノンは芸術的な転び方をした。床に這いつくばりながらぜえぜえと息を整える灰色の後ろ髪を見て、智良も狼狽した。今までの怒りが吹き飛んでしまうほどのものだった。
今のマノンは、数十秒前と明らかに姿が変わっていた。白いブラウスの裾を押し込んでいたタータンチェックのスカートがなくなっている。そして同一のものは現在、ラッキースケベの少女の右手に握りしめられている。
「うう~っ、智良ちゃんにスカート脱がされたあ~っ!」
半泣きかつ非常に恨みがましい声を受けて智良が焦るのは当然だった。智良のしでかしたことは意図的ではないにせよ、もし第三者がこの情景に居合わせたら弁解などできようはずもない。このまま逃げ出されて大声で助けを求められたりしたら非常に面倒なことになる。
自身のラッキースケベを極めんとしていた智良は、この大事な場面で相手に対して超弩級のラッキースケベをかけてしまったのである。
ブラウス一枚の格好にさせられたマノンは、純白のおぱんつに包まれた小尻を勢いよく突き出している。それもまた智良をドギマギさせる要因となっていた。過去に水着姿や、挙げ句の果てにすっぽんぽんの格好まで拝見しちゃったわけだが、それがおぱんつに慣れる理屈には決してならず、みずみずしくもいやらしいお尻に智良は自分の優位性を完全に失ってしまったのである。
とりあえず目のやり場に困る光景に、智良は勢いよくスカートを突き出した。
「わざとじゃないけどごめんって。だから早くスカートを穿いてってば!」
うめきながらマノンはよれよれと立ち上がったが、智良の要求を聞くどころか、彼女の方を振り返ろうとすらしなかった。背を向けたまま、怒っているというよりふてくされたような声を出した。
「……いやや」
「へ?」
「うち、しばらくこの格好のまますごすー」
「はあっ!?」
気でも違ったかこの先輩!? とばかりにあんぐりと口を開けた智良に、マノンはまるで意に介さないようすで再びトイレの個室に向かっていった。鍵はかけておらず、智良はひとり取り残されることはなかった。もっとも、先輩も彼女が来ることは想定済みのようだった。
照明がついていないと、個室は驚くほど暗い。そして向き合う相手に淫靡な濃い陰を投げかけるのであった。マノンは身長と胸部が残念なものの、それを除けば五行姫奏に匹敵する可憐さを誇っている。ましてや今はブラウスと白いおぱんつだけというせくしーなお姿で、まっくら密室で二人きりというシチュエーションは、智良の呼吸と心音をますます困惑させる。
さっきまでとは打って変わり、灰色髪の先輩は妙に落ち着き払った笑顔を少女に向けた。
「ごめんな智良ちゃん。もういいで。うち、智良ちゃんの声、いっぱい聞きたい気分や」
すべてをさとったような優しい口調で言うて、そっと腕を伸ばして内側からトイレの鍵をかけたのだった。