智良、OG(オフビート&グラマー)と出会う(前編)
翌日、理純智良は午前中に文化祭のモロモロの用事を済ませ、昼食を摂り終えてから星大行きのバスに乗り込んだ。智良の姉・諸美は星大近くのアパートで星花女子学園時代の恋人とルームシェアしているという。今回の狙いは姉よりも、むしろ彼女の同居人であるわけで。
須川美海と赤石燐の情報によれば、同居人の名前は架葉あたる。先代の文芸部部長で、驚異的な文才の持ち主だそうだが、破壊的な思考回路によって文芸部の経歴に大きな傷跡を残したとされている。まあ、天才の頭がどこかおかしいのはどの世界でも有り得る話なのだろう。
最寄りのバス停に着いたとき、空の宮市の西隣にある橋立市の夏空は分厚い雲の層に覆われていた。午前中はうんざりするほど晴れていたというのに、今すぐにでも雨が降り出さんばかりだ。もっとも、日差しは弱まったところで湿度は変わらず、バスの冷気に浸されていた智良は天然のサウナと化した街並みを歩くことになった。
(ああ、もう。バッカみたいに暑いし、汗でシャツの中がジトジトするし、だいたい天気が悪くなるって話、あたしは聞いてないしっ。イカサマ天気予報士なんか皆クビになれってのー!)
汗やら雨やらで着ているシャツが透けてしまうというラッキースケベも思いつかないほど、智良は苛立っていた。そもそも、智良がラッキースケベにこだわるのは同世代の恥じらう乙女に対してだけであって、不特定多数に見せつけられるほどお安いものではないのだ。加えて、胸を用いるラッキースケベは巨乳である姉との落差をまざまざと思い知らされて極力避けたいのである。
帰りに雨が降り出したら姉ちゃんの傘を借りようかなと思いながら、智良はくだんのアパートまでたどりついた。
メゾン・ド・リス。それがアパートの名称で、看板には名称に続いて『星大女子専用』と銘打ってある。さすがに若い女性向けあって、外装はアパートにしてはかなりオシャレであるが、親の支援なしでは家賃の面でかなり苦戦を強いられそうである。
聞いた話では諸美とあたるは三階の角部屋に住んでいるという。見たことも話したこともない架葉先輩はもちろんのこと、実姉の諸美とでさえここ最近ロクに話したことがなかったから、どちらが出てきても智良は緊張してしまうのであった。深呼吸をしてからインターホンを鳴らすと、即座に反応があった。
「……なんだね」
姉じゃなかった。喩えるなら青年役を演じる女性俳優と言うべき声に智良は一瞬怯んだが、すぐさま名乗りを上げた。
「理純諸美の妹の智良です。ちょっとお話があって来たんですけど……」
勢いで口にしたが、文芸部のスキャンダルを興味本位で知りたいわけだから『お話がある』という口上は決して嘘ではなかった。
インターホン側の相手は智良の言葉に興味を引かれたようだ。
「諸美クンの妹とな? ……わかった、すぐに開ける」
随分とあっさりとしたものだ。言葉通り、すぐさま扉が開かれて、現れた人物を智良はざっくりと観察した。
声にふさわしい中性的な美貌をもつ女性だった。背は高く、顔立ちは怜悧であり、黒い髪は短く切り揃えられている。下はジーンズ、上は黒のハイネックのタンクトップを身につけており、身体の線はむしろ女性モデル級であり、タンクトップを押し出す胸の線も、巨大ではないがずいぶんと形の良いものであった。
この人が天才作家の架葉あたる先輩か。正直、見た限りでは後輩の美海を憤慨させるほどのねじ切れた性格の持ち主とも思えないが、実際はどうなのだろう。
「ちょうど諸美クンからバイト上がりのコールが来たところなのだよ。じきに戻ってくるだろうし、しばらく中でくつろいでくれたまえ」
智良は喜んでその申し出を受け入れた。というのも、外は雨が降りそうなどころか、今しがた遠雷の音まで響いていたからだ。美海たちの話でかなり懸念していたが、少なくとも雨が降り出しかねない空の下に放り出すほどの外道ではないようである。
だが、玄関を上がり、部屋までやって来ると、その内部はとてもくつろげるようなものではなかった。
まず目についたのは壁に掛けられたお面だ。大きな楕円形の板で、頭にけばけばしい色の羽がついている。両目と口の部分だけがくり抜かれており、原色の塗料で化粧されている。どこの部族のものかは知るよしもないが、少なくとも華の女子大生の部屋にふさわしいインテリアではない。
奇抜なのはお面だけではなかった。部屋の隅にあるのは天井にギリギリまで届きそうなトーテムポールであり、その隣に古いタイプのジュークボックスが置かれてある。さらに、棚の中にあるのは一昔前の戦隊モノの変身ベルトで、フクロウをモチーフにした木彫りの置物、金メッキのほどこされたオモチャの剣、ハリセン、ピコハンマー……。さすがの智良もこんなところに住まわされている姉に同情したくなった。
「このあたりのものは私が通販で買ったものだ。大作家たるもの、常にインスピレーションを働かせねばな」
説明をしてから、あたるはソファに腰を下ろす。自称大作家にふさわしい偉そうな座り方をすると、智良に対して悠然と手を差し伸べた。
「……ということで。さ、出したまえ」
「へっ? 出すって何を……」
「色紙だよ。SHI・KI・SHI☆ 決まってるだろ。智良クンも諸美クンから私の名声を聞いてここまで来たんじゃないの。偉大なる大作家の前とはいえ、過度に臆する必要はない」
この時点で智良は、美海がなぜ先輩に対してあれだけ憤慨していたのかを理解することができた。なるほど、これほど唯我独尊な文芸部長なら周囲の反対を押し切って猥雑な作品を一般合同誌に載せたがるのもうなずける。
「いや、サインじゃなくてお話が聞きたいんだけど……」
「なぬ、取材とな? なるほど、さすがは母校の新聞部、いい観察眼をしている」
「だから新聞部でもないっての!」
苛立ちとともに智良は叫んだ。こんなふざけたOGだと知っていたら、わざわざ尋ねにこなかったのに! という感情がアカラサマに顔に出ている。すでに変人ということは聞かされていたが、自分の都合から外れた変人など迷惑以外のナニモノでもなかった。
まあ、取材という点はあながち間違いではなく、智良は喧嘩腰全開でさっさと用件をくり出した。
「美海から聞いたんですけど、なんで去年、文芸部誌にえっちぃ作品載せたんです?」
「あれはえっちぃ作品などではない。立派な芸術だ!」
元文芸部長ドノが何やら義憤めいた声を上げている。
「部員も生徒会の一同も何もわかってはおらぬのだ。ちょっと卑猥だからという理由で名作を泥沼に沈めるような愚行に走りおって。美術の教科書を見たまえ。裸婦が堂々と公開されているのに、どうしてあの小説は罰則の対象にならねばならぬのだ?」
今の人が昔の裸婦画にムラムラしないだけではないかと智良は思うのだが、もとより先輩の学術的葛藤に付き合うつもりはなかった。
「それで、そのえっちぃ芸術品を書いた張本人はそれからどうなったんです?」
「知らぬ。その後、名乗るものは現れなかったし、私も忙しくて作品のことに関してはしばらく気に留められなかったのだ」
めちゃくちゃ暇そうなんですけど。
ともかく、この元部長も知っていることは美海や燐と大して変わらないようである。もともと智良はこの謎に全身全霊をかけていたわけでもなかったから、時間の空費を今さらながらに実感して、後悔と疲労感を強くおぼえた。
さっさとこのカオスな部屋からお暇しようかと考えたそのとき、玄関から鍵の音がして、けたたましい足音とともに廊下から女性が駆けつけてきた。女性は部屋にあたる以外の人物がいたことに驚き、さらにその正体が自分の妹と気づいて、二度驚いた。
「智良!? なんであんたがこんなところにいるのよ……!」
それが久々に対面したときの姉の第一声であった。理純諸美の声はさながらお気に入りの花に害虫が付いていたときのそれであり、感動の再会を期待していなかったものの、妹はかなり傷ついた表情になった。
「別にいいじゃん! 久々に姉ちゃんに会いにいって悪いかよ!?」
「今まで音沙汰もなかったくせに調子のいいことばっかり。……それで、あたるさん。これは一体どういうことなの?」
智良がひとりでここまで上がれるはずもないのだから、入れるとしたら家の人間が内側から招き入れたに決まっている。
非難めいた諸美の視線に、意外なことにあたるは慌てた。過剰な自信に満ちた態度が崩れ、不機嫌な諸美をなだめるかたちになる。
「ま、待ちたまえ。てっきり彼女は偉大なる大作家である私のファンかと思ったのだ。ただ、サイン色紙を持ってくるのを忘れるわ、作品の称賛ではなく一年前の恥部を根掘り葉掘り聞こうとするわで……」
「智良なんかにあたるさんの作品の良さがわかるわけないでしょ。それに、サインなら私との婚姻届にするのが先じゃない!」
いったい何を言ってるんだ、この姉ちゃんは。
あまりのことに智良は声が出ないでいた。しかも諸美は本気である。この傲岸不遜な女のどこにべた惚れする要素があるのかと思ったが、あまり深入りする気にもなれない。
将来の婚約者(仮)は一度消えかけた自尊心を取り戻しつつあり、脚を組み直して諸美に言ったのであった。
「それにしても、その格好でよく天気が崩れずに済んだものだ。星花女子時代に比べてだいぶ改善されたではないか。よかったな」
「ちっともよくないわよッ!」
諸美はハンドバッグを叩きつけた。
彼女は妹よりは背が高いが、それでも平均女性よりは低い。薄い褐色の髪は姉妹共通だが、諸美の場合、それが細かくうねっており、後方で一つに束ねられている。フレームレスの眼鏡をかけており、大きな目は潤みがちで、唇はつややか、肌は過度な化粧をほどこさなくとも白くきめ細かいときている。今は怒っているが、普段どおりにしていれば殿方の庇護欲を十分にかきたて、共学出身の女子からはぶりっ子と疑われかねないものであった。彼女の名誉のために断っておくが、諸美のいじらしさは天然ものである。
今の諸美の格好は、黒のチノパンにグレーのサマージャケットというものだった。ジャケットの下では白いポロシャツが豊かすぎる胸を押し出しているが、彼女の格好を見て、智良は違和感を禁じ得なかった。どちらかと言えば、その格好はソファでふんぞり返っているあたるにこそ似合いそうであり、諸美が着ると、どうにも印象がちぐはぐなのだ。もっとフェミニンな服装が似合いそうであり、過去はそういう服を好んでいたはずと智良は記憶している。
今の格好をお気に召していないのは床に打たれたカバンを見れば明らかであるが、それならなぜ、そんな格好をするのだろう。ナンパ除けのつもりだろうかと智良が考えたとき、彼女の姉は怒りで肩を震わせてわめいた。
「バイト先の後輩にも言われたのよ。『諸美センパイ、下着はカワイイのに着てる服はあんま似合ってなくないですか?』って! わたしだって、好きできてるわけじゃないのよ! こうでもしなきゃわたしは……」
「ちょっ、姉ちゃん、落ち着けって……!」
「うるさいっ! 好きこのんでえっちなぽーずをしてるあんたにわたしの気持ちなんてわかるわけないでしょ! もうやだっ! こんな服ぬいでやるううぅぅううっっ!!」
智良は仰天した。ヒステリックにかられた諸美は決して自分の言ったことを冗談で済ますつもりはなく、ジャケットとポロシャツを脱ぎ捨て、さらにはチノパンをも下ろして、瞬く間に下着一枚の格好になってしまったのだ。
女子寮にいる智良にとって、下着姿の女子など見慣れたものだが、それにしても姉の肢体は恵体というものであった。上下ともに可愛らしい薄ピンクの下着を付け、ブラジャーに包まれた胸は乳白色のLサイズのゴム風船のようであり、持ち主の些細な動きにあわせて、ふよふよと揺れている。肩から下のボディラインはあまり運動と縁のあるようには見えないが、恵まれた肉の付き方がかえって見る人の欲情を誘っているかのようだ。
白い柔肌を惜しげもなくさらした諸美は、色素の薄い瞳にみるみると涙を溜め込んだ。
「どうして、こんな身体に生まれてしまったの……? わたしだって、女の子っぽいオシャレして、あたるさんと外でいちゃいちゃデートしたかったのに……」
「え、別にすりゃいいじゃん。オシャレだってデートだって」
何気なく智良は言ったが、これが諸美の逆鱗に完全に触れてしまったようだ。幼さの残った顔がきつくしかめられ、刺し貫くような勢いで妹を睨みつけると、それからお子様らしく「うわーん!」と泣き出して別の部屋へ引っ込んでしまった。
露出狂の姉に唖然とした智良は、閉ざされた扉から大作家サマに視線を移した。無駄に自信に満ちあふれていた元部長は今は顔を押さえてうずくまり、目を扉から逸らしている。頬が色づいているのを見ると、同居人の艶姿に男子中学生めいた恥じらいを感じたらしい。割と純情な女性らしい。
まあ、智良としては縁のない文芸部のOGについてはもはやどうでもよかった。むしろ気になるのは久しぶりに会った姉の、その変わりようであった。最後に出会ったときはおっぱいが大きいだけの常識人だと思っていたのだが、大学にも行けば変な電波も受けるらしい。
「……キミは、何も知らないというのか」
羞恥心にもまれながら、あたるがうめくように智良に言う。智良はふざけた性格のOGに対して意地の悪い口調で返答した。
「何を? てか、あのえっちぃ小説は読んだくせに、姉ちゃんの下着姿にはうろたえるんですね?」
「他のものは平気なのだが、なぜか諸美クンの裸にだけ耐性がつかないのだ……。そ、それより、キミは諸美クンの妹でありながら、姉のことを何も知らぬというのかね」
「知るわけないですけど。先輩のほうが姉ちゃんと付き合いが深いんでしょう」
「当然だ。もし私より諸美クンのことを知り尽くしている人間がいるというなら今度連れてきたまえ。さあ」
大威張りされてしまった。家族会議でもおっ始めるつもりかよと智良は思ったが、あたるはすぐさま話題を元に戻した(諸美談によれば、彼女が自分から話題を修正できたのはきわめて珍しい事例らしい)。
若き大作家ドノは話したい欲を何倍も膨らましながら身を乗り出した。
「まあ、よい。ならば心して聞きたまえ。我が将来の伴侶、理純諸美クンの『体質』をな」
タイトルにあるオフビート(offbeat)は調子外れという意味です。
たいてい悪い意味で使われるようです。どんまいぱいせん。