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ノーティーキャット・イン・ザ・トラップ

 そうだ、猫ちゃんにしよう。


 意を決すると、は縁側から立ち上がり、ただでさえ短いスカートをさらに短くさせ、生垣にぽっかり空いた穴に淡い褐色のツインテールを突っ込んだ。智良の名誉のために断っておくが、狙いすましたかのように穴が空いていたのは智良のせいではない。使えるシチュエーションは最大限に利用する彼女だが、破壊活動とは一切無縁なのである。


 そのまま上半身を生垣の向こう側まで伸ばし、プリーツスカートに包まれた小尻を上方へ突き上げる。同時に、入り口のほうから足音が聞こえた。智良の全身に緊張と興奮の混成物質ハイブリッドが駆けめぐる。引き戸がガラガラと開閉する音が響き渡り、智良はできる限り肉感的な動きで小尻を揺らした。あたかもその向こう側に猫が寝ていて、頭を撫でてやろうと必死に手を伸ばしている風を装って。

 やがて縁側に通じる障子と窓も開かれ、少女の声が響く。


「このような形で会うのは初めてやなあ、智良ちゃん」

「…………!」


 きよの声ではなかった。関西の方言丸出しの言葉づかいは、おっとりとして心地よく響いたのだが、智良の背中にびっしりと冷や汗が浮かんだのは声の主の正体を知っているから他ならない。


 と言っても方言少女が言っていたとおり、智良としても彼女と直接会うのは初めてだった。一方的に彼女の噂を知っているだけで、まさか、彼女が自分のことを知っているとは思わなかったが……。

 その少女が、さらに言った。


「いたずら子猫ちゃんは見つかったん? うちも今ちょうど見つけたとこや」


 少女の言葉で、智良は今自分の穿いていた下着が白地に黒い猫の顔が大きくプリントされたものであることを思い出した。

 作戦の失敗をさとった智良は、それこそ猫のように身体を伸ばして生垣の穴から抜け出した。髪に葉っぱをつけたまま、縁側に立っていた少女と正対する。


 こてこての関西弁を用いるものだから、いかほどの浪速ナニワっこのご登場かと思いきや、智良を見て微笑んでいるのは明らかに外国人の少女であった。声同様にゆんわりふんわりとした灰色の長髪に、サファイアを溶かしたような青い瞳、顔立ちは西洋人形のように愛らしく整っている。体格は智良と同じくらい小柄であったが、ブラウスに刺繍された校章は緑色だ。智良にとっては二学年上の先輩ということだ。


「あるいはきよちゃんのことを待っとったん? おあいにくさま。あの子がここに訪れるのは本来の予定の三〇分後や。うちがそう伝えたからな」


 彼女の発言の意味を、智良は咄嗟に理解することができなかった。普段から機転の利く(もちろん、ラッキースケベ的な意味で、である)彼女がぽかんとすることはきわめて珍しく、このときばかりは目の前にいる関西弁の西洋少女の名前を呆然と呟くことしかできなかった。


河瀬かわせマノン先輩……」


  ◇  ◆  ◇


 河瀬マノン。

 日本ではあまり見ない名前であるが、実際、フランス人の父が名付けたそうである。母は関西地方出身の日本人で、マノンも小学校までは関西で過ごしていた。卒業後、母に連れられてそらみや市へ移動。最初は桜花おうか寮に入っていたが、学校での成績が評価され、中等部二年から個人部屋の菊花きっか寮に在籍。生徒会では副会長をつとめ、今月、後輩にその役目を託して引退している。


(生徒会、か……)


 マノンの笑顔を見ながら智良は内心溜息を吐いていた。素行の悪い生徒が生徒会に対して非好意的な表情をとるのは一種の礼儀であるが、威光にあふれんばかりの前生徒会の顔ぶれを思い返すと、迂闊にそれもできない。


 引退したとはいえ、高等部三年の生徒は生徒会の引き継ぎ等でお忙しい身の上のはずだ。圧倒的な実績とカリスマを誇った前生徒会会長のぎょうひめもその例に漏れず、その彼女の親友であり腹心でもあったマノンも、いちいちイタズラ好きな黒猫を追いかけている場合ではないはずだ。


 だが、今の智良はそのことに言及する精神的余裕はない。先ほどの元副会長どのの発言はどういうことだろう。御津清歌に来る時間を遅らせろと、この人は伝えたというのか。

 いまだに驚愕の色が顔から落ちていない智良に、マノンは小首を傾げてみせた。


「どおしたん、智良ちゃん?」

「先輩は清ちゃん……御津清歌の知り合いだったんですか?」

「せやで」


 意外そうな素振りもなく、マノンは応じた。


「母ちゃんと父ちゃんの影響でな。うちも古き良き日本の文化が大好きなん。せやから茶道部や華道部にもちょくちょく足を運んどったんや。何度も顔を出してるうちに清ちゃんとも色々お話するようなってな。……智良ちゃん、ターゲットを罠にかけたいんなら、そのターゲットの交友関係もしっかり洗っとかんとあかんで」


 たしなめるというより、ささやかなイタズラが功を成したことをほくそ笑んでいる子供のよう。

 ここで、智良はあることに気づき、大声を出した。


「あッ! まさか、清歌の自主練の情報を流したのって……」

「うちやで~♪ もちろん、清ちゃんからの許可はもらっとるさかい。てか、むしろ清ちゃんにお願いされてな。『六組の理純さんがちょっとしつこすぎて……』ってな具合に」


 自分の奇行は、ターゲットの密告によって生徒会の中枢まで筒抜けだったというわけだ。

 内心、清歌のことをちょっぴり恨みつつ、智良は反論した。


「つ、つきまとってないです。待ち伏せしてただけです」

「姫ちゃんに弁解できないってゆう点では大して変わらへんやろ?」


 このとき、夏の暑さとは別種の汗が智良の背中を濡らした、ような気がする。ブラウスの背部が透けてしまうという懸念も、今は考慮の外である。


『姫ちゃん』というのは元会長の五行姫奏のことだが、彼女のことを気安くそう呼べる相手はそうそういない。


 誰もが認める美貌と実力を兼ね備えた五行姫奏。彼女に心酔する後輩は多く、ファンクラブまで結成されているという話であるが、あまりまっとうでない手法で悦楽をおぼえたい智良にしてはあまりお近づきになりたくない人物であった。全校集会の演説ぐらいでしか彼女のお姿を見る機会はなかったが、公正かつ厳格な人柄であることは容易にうかがえる。もっとも、当時の智良の評価は『堅物』であったのだが。


 陰では罵りつつも、そんな彼女とまっこうから対立するほど智良は悪童にもなりきれなかったため、会長およびその一味が接近してくると、常時、小者らしく逃走を図っていた。幸い、その心がけは功を成し、今まで生徒会の魔手につまみ上げられることもなかったが、まさか、この夏休みの日になって元生徒のナンバー2と邂逅してしまうとは……。

 そのナンバー2が得意げに打ち明ける。


「とにかくうちは清ちゃんと打ち合わせて、清ちゃんを罠にかけようとするあんたに逆に罠を仕掛けたんや。格好のネタをぶらーん、ぶら下げてな。そしたら、あっさりと食いつきよって、うちとしてもにんまりはんなりな気分や」


 勝ち誇ったような笑みをマノンは浮かべた。彼女の内情と実績を知らない者であれば、ついうっかり油断してしまいそうな笑顔である。智良は油断はしなかった。


 河瀬マノンも能力がそこそこでしかないなら、生徒会のマスコットキャラというだけでおさまっていたことだろう。だが、ナンバー2の評価は決して誇張ではなく、それどころか『そうへき』と讃えられても異論は無いはずだ。

 二人の評価に対して、智良はこのような話を聞いたことがある。


「会長がれいな高官なら、副会長は代々続いている下町の商人あきんどさんだね」


 蔑みはこめられてないだろう。姫奏とマノンも会議で議長をつとめれば、それぞれ成果を上げることができるだろうが、その際の雰囲気がまるで違うのだという。


 姫奏が中心になれば会議室の空気は一気に裁判所のそれに変わる。そして、張りつめた緊張感に包まれた中で、彼女は見た目と美称を裏切らない才気を発揮し、堅実かつ迅速に議題を片付けるのである。

 一方、マノンのほうと言えば。


 マノンも姫奏の代理として会議の中心に立つことがたびたびあるそうで、議題のほうは一応、綺麗にまとまるのだが、空気のほうはまるで正反対。なにぶん議長のマノンが緊張感をそらみや市の大気に放り投げるものだから、周りの少女たちが和気藹々の空気に逆らう理由はない。

 あとはひたすら世間話のノリで談議が繰り広げられ、それでも時間内に議題をきっかりまとめ上げてしまう。肩の張らない会話でお客さんを巧みに誘導し、お互いにいい形で商談を成立させるかのような、鮮やかな話法である。


 姫奏がまとめ役の天才というのであれば、マノンのほうはさしずめ奇才と称すべきだろうか。どちらがいいかは各人しだいということだろうが、少なくとも姫奏はマノンのその手腕を評価していたらしい。


 智良としては一度マノン嬢の姿を見ただけで、その評価が正当なものと判断するのは困難であった。ただ、にんまりはんなりな笑顔からは底知れぬものがチラリズムしているようで、なるほどさすがは会長の親友だと勝手に腑に落ちていた。


「これが茶道部の子なら、おぱんつが頭にちらついて気がそぞろなっても、お茶がまずくなるだけで済むんやけどなあ。華道部やったら剣山や針金に指ぐさあっ! の可能性もあったやろ? それだとちょいとばかし可哀想と思わへん?」

「はい……」


 たしなめられているのはわかったので、智良はすかさず神妙な表情でをとった。それにしても、たしなめる時でさえも世間話をするような軽い口調なので、うっかりすると表情を変えるタイミングを見逃してしまいそうである。


「うちにおぱんつをひらけかすのは構へんけどな、あんまり女の子の純心もてあそびすぎると姫ちゃんに言いつけちゃうで。姫ちゃんも最近引き継ぎ業務ばっかで使命感を持て余し気味さかい、大いに喜ばれるんちゃう?」


 慄然とした。そのようなことをして喜ぶのは関西系西洋少女ただ一人だけだろうが、その少女は鼻唄を歌うような気楽さで元会長に不良生徒を差し出せる立場であるのだ。どうあがいても姫奏が非行少女に容赦ナサケをかけてくれるとは思えず、夏にも関わらず智良は厳冬の中で立ち尽くす心境にとらわれた。


「このまま姫ちゃんに『ごきげんよう』されとうなかったら、ちょいとうちのお願いを聞いてくれへん?」


 五行姫奏の名を武器に出された以上、智良に選択の余地はなかったわけだが、『お願い』という単語は彼女に不安と警戒心を喚起させた。思わず身構えたが、先輩が口にした要求はラッキースケベ少女の予想の範疇を遙かに超えていた。


「うちの高校最後の文化祭を、最高のものにしたってや」


タイトルを和訳すると『イタズラ猫は罠の中』になります。

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