≒スカートの中のミステリー
第四話で登場した須川美海さん(しっちぃ様考案)と企画第一弾に登場した赤石燐さん(壊れ始めたラジオ様考案)がゲストとして登場します。文芸部コンビです。
りんりん学校(林間および臨海学校)が終わると、星花女子学園の生徒たちは俄然忙しいときを迎えることになる。もっとも、来月上旬に控える星花祭に関心を寄せないものにとってはその限りではないのだが……。
理純智良は中等部の時点から、他の生徒ほど星花祭に燃える性格ではなかった。お祭り自体はむしろ好きなのだが、クラス総出で準備するというのがしんどくて、星花祭本番の前に毎年盛り上がりゲージをすり切ってしまうのであった。
高等部に上がり、服飾科に入ってからもそれは相変わらずであったが、クラスメイトのハイテンションぶりには抗いがたく、午前中からのクラス制作にかかりきりになってからは、午後はむしろ一人ぽっちの場所を望んだ。外見はわいわいがやがやを好みそうに見えるが、ラッキースケベの演出する都合もあって智良は本来、二、三人ていどの会話のほうを好んでいた。
智良は現在、鈍いクラスメイトにも感づかれてしまうほど調子が優れていなかった。体調ではなく、精神的な意味で。りんりん学校の際、元生徒会副会長であった河瀬マノンと肝試しに参加し、ひたすら甘いキスと苦い思い出を噛みしめたわけだが、あれ以来、彼女とは顔を合わせていない。夏休みの始めに『文化祭を最高のものにしてくれや』と頼まれた(むしろラッキースケベをタネに脅された)ような気もするが、今となってはクソ喰らえの心境である。キツい態度を向けてきたマノンの真意ももはやどうでもいいという心境であったが、いざ忘れようと試みると、シャワーブースと肝試しでされたことが、熱を帯びて記憶の深いところに刻まれるという有様であった。
「ああああ、もうホンット意味わかんなー……。先に好き放題したのは先輩のほうなのに、ちょっと仕返しにキスをしただけでえぐえぐ泣きやがるし、泣きたいのはむしろこっちのほうだっつーの。しかも、あの先輩のせいで清歌にはフラれるし、五行先輩には目をつけられるしー。あーもう、なんだよ、なんなんだよ、なんだってんだよ、あたしの青春を謳歌する権利はいったいどこにいっちまったっていうのさー……」
「……言いたいことはそれだけかしら、この尻丸出し娘」
文化部棟の廊下を訪れた須川美海はうんざりしたようすを隠そうともせずに、ツインテールの少女を『見下ろしていた』。というのも、智良は可愛らしい小尻を突き出す形で床にへたりこんでおり、制服のスカートがあられもなくまくれ上がれ、まさしく彼女なりに『青春を謳歌している』の図であった。
美海としては、こんなふざけたふしだらな白い尻など、綺麗に無視するに限りたかったのだが、それが文芸部室の扉の真ん前というものだから、美海の猫顔が険しくなるのも当然のことであった。それでなくても新作のネタが煮詰まり頭の痛い日々が続いていたのである。
冷ややかな声を聞いて、智良は地面につけた頭を振り返らせ、なんともつまらなさそうなようすで美海を見たのであった。
「……なんだ、釣れたの美海ちゃんかーい。どうせなら、色っぽい小説を書いてるくせに実物を見るとうろたえちゃうようなピュアな文学少女がよかったのになー」
「誰が美海ちゃんよっ。そんなことより部室の前で倒れないでちょうだい。病気や怪我なら別として、そんなところで尻を出されたら通行の妨害もいいところだわ。このまま蹴りつけてもいいというの?」
「う~ん……………………」
「尻で首を振るなッ」
一喝してから美海は物騒にうなった。生意気にくねらせている白い弾力のかたまりを踏みつけてやろうかと本気で考え始めたが、背後から声によって美海の危険な妄想は中断された。
「……騒々しいわね。部室の前は静謐を保てぬ者のたまり場ではないわ」
「あ、赤石先輩。お疲れ様です……」
智良に対するかっかをひとまず引っ込め、美海は後輩の礼節をもって挨拶をする。先輩は形式的に挨拶を返すと、苦い顔になって美海に注意をした。
「あなたの声が下の階にも響き渡っていたわよ。何があったかは知らないけど、むやみに無駄声を上げることは何においても称賛されることはないの。ルセーナ・ダマロッカの『ひよどりの宴』の顛末も、どうせあなたは知らないのでしょう」
「は、はあ……」
美海は複雑怪奇な表情をとっていた。具体的にいえば、先輩の機嫌を損ねないように本心を神妙な表情で隠しているといったぐあいだ。智良は割と相手の顔色をうかがうのが得意で、このときの美海の思っていることがなんとなくわかった。おそらく、この先輩が自分や美海と同学年であれば間違いなく「何おかしなこと言ってんの?」と返していたに違いない。一度や二度ならまだしも、この手の会話を何度も繰り返しているのだろう。さすがの美海も戸惑いよりも疲労感が優先されているらしい。
美海は侮蔑もあらわに智良の白い尻を見下ろした。
「とにかくすみません。ここのふざけたのが部室の前をふさいでまして……」
「ん……? へえ、なるほど、そういうことだったのね……」
先輩は初めて、白いおぱんつ全開で寝そべる智良に気づいたようだ。智良もまた先輩の顔を見上げる。外見も髪型もきわめてオーソドックスだが、両眼だけが他の少女に比べてひときわ異彩を放っている。形状の問題ではない。落ち着いた少女の視線はまるで見た景色をそのままの姿でとらえているように見えなかったのだ。なんにせよ、先輩の表情に恥じらいが見いだせなかった以上、智良の先輩に対する興味は急速に失われ、やれやれと言わんばかりのようすで立ち上がろうとした。
だが、
「待ちなさい。せっかく素晴らしいことをしているのに、なぜ立とうとするの」
「……は?」
「あなたの行為は中瀬太郎の『ゆびさきのゆくえ』第七章を忠実に再現しているの。主人公の伊手月千々小丸が極貧のさなか、ひたすら愛しき女を待ち続け、廊下の真ん中で尻を突き出して倒れていたのだけど、そのときの心理描写がミゴトで評論家もよく取り上げていたわ。……身体を張って文学を理解しようとする姿勢は、正直言って嫌いではないわ」
「んなわけあるかーーいっ!」
憤然と智良は立ち上がり、勢いよく全身をはたいた。物語とはいえ、野郎と同じことをしていると思われてはたまらない。
おかしなことを述べた先輩は、おかしなところで残念がっていた。
「あっ、立つなと言ったでしょう。せっかく千々小丸の再来を拝めたというのに……」
「だーれーが『ちじこまる』だってのっ! あたしには理純智良というちゃんとした名前があるんじゃいっ!」
憤怒とともに放たれた自己紹介。だが意外にも智良の名前は奇特な文学先輩を興がらせた。
「理純、ですって? まさかあなた、諸美先輩の……」
「ふぇっ? 姉ちゃんのこと知ってるの?」
「ええ、先代の部長とよく一緒にいたわ」
智良の姉は星花在学中に同じ学年の女子に恋に落ち、星大に進学した今もアパートでルームシェアをしているという。だが、姉の恋人が美海や赤石先輩の大先輩であることは知らなかった。興味をそそられて、智良は思わず身を乗り出していた。
「そうなんだ。それでその先代部長ってどんな人なの?」
「ユーナ・イランコート」
「外国人!?」
「……の有名な著書である『舌切り御前』はご存知? そこに有名な言葉があるの。『愚者は早く死ぬものだ』と……」
赤石先輩がわざとらしく視線を動かしたので、智良もそれに倣ってぎょっとした。視線の先には美海がいて、しかもそのようすが尋常じゃない。猫顔の彼女がホンモノの猫であれば、瞳孔を細めて『しゃー』と飛びかかるのは間違いなかった。だが、人間の彼女はその代わりに憮然とした表情のまま荒々しい足のはこびで部室に入るだけであった。
美海の態度に驚く智良であったが、そこに先輩が変わらずの口調で呼びかけた。
「続きを聞きたければいらっしゃい。会合まで少しは時間があるから」
智良は飛びついた。面白いミステリーは見えそうで見えないスカートも同然で、どこまでも人を引き込み、惹きつけてやまないのだ。
もともと文化部棟は旧校舎を建て替えてできたもので、部室も本来あった教室を半分にして作られている。人数にもよるが、少なくとも三人がいるには広すぎる空間である。
インフラも完備されており、先輩は備え付けられたミニ冷蔵庫からゼリー飲料を取り出し、読書中のあいまにそれを吸っている。智良は大テーブルの、先輩の向かいの席に座り、話の続きをうながした。
「それで、その部長の名前はなんなのさ? あと、すっかり忘れてたけど先輩の名前は?」
「私は赤石燐よ。そして、先代部長の名前は架葉あたる」
「あたる先輩って言うのか。どんな先輩なのさ」
身を乗り出す智良に、燐は不良生徒を前にしたベテラン舎監のような目を向けた。
「ふと思ったのだけど、あなたの先輩に対する態度はなってないわ。『備忘録 書くべきことも 忘れけり』のあなたでも、敬語の使い方は心得ているはずでしょう?」
「ハイハイ、わかりましたよ。赤石先輩サマ」
「架葉先輩は文芸部きっての天才でね。詩、小説、短歌、俳句、何を書かせても表彰され、新聞部に寄稿したコラムも圧倒的人気。そのうえ星大に進学してからは商業デビューも果たして、かなり羽振りがよいと聞いているわ」
なるほど確かに天才と言えるかもしれない。もっとも、文章萌えしない智良にとっては知らない先輩の文学的称賛など『マイナー国の選手がマイナーな競技で金メダルをとった』という話くらい関心が無いものなわけであるが。
「で、その天才を、美海っちはどうしてどエラく嫌ってるわけなんですかね?」
同じ部屋にいるわけだし、当の『美海っち』に直接訊いてもよいのだが、彼女は話は聞いていても、答える気はさらさらないという風情であった。気配を消さず、むしろ排他的な空気を流すことで二人との会話を遮断しており、意識的に詩集の世界に没頭しようとしている。
「架葉先輩は文才においては本当に素晴らしかったけど、天才にありがちと言うべきか、そうとうの変わり者だったのよ」
変わり者の先輩がそれを言うか……という思いは当然あったが、またよく知らない本を引用されても迷惑なので智良は黙って頷いていた。
「あの先輩が……!」
突然、美海がうなり声を上げた。ぱさりとした黒い頭から憤怒がヘビ花火の如く盛り上がっているようであった。
「あの先輩が一年前にあんな愚かなことをしなければ、文芸部は大恥をかかずに済んだのに……!」
「何があったのさ?」
「去年の文化祭、文芸部の部誌に明らかに不適切な内容の作品が含まれていると大騒ぎになったのよ」
燐が解説する。一般向けでない内容と聞くと、智良は否が応でもエヴァの所属する漫研の部誌を思い起こしてしまうが、確かあれは生徒会の検閲によってボツを食らったはずである。検閲のきっかけが去年の文化祭で問題が発生したからというのは聞いていたが、まさか文芸部だったとは……。
「これが問題の作品よ」
燐が部誌を取り出し、くだんのページを開いた状態で智良に渡す。ペラペラとページをめくって、智良は即座に顔が熱膨張にとらわれた。この作品は明らかに文才に長けたエヴァンジェリン・ノースフィールドのそれである。小説に縁遠い智良でも、この文章が素晴らしいと理解できるのだから、この作品を手がけた人は相当のプロなのであろう。くだんの架葉文芸部長の作品なのではと最初は疑ったが、どうやら寄稿作品のようであり、肝心の名前はここには書かれていない。
読み終えた智良は、彼女にしてはきわめて常識的な疑問を口にした。
「でもさ、部誌の内容はフツー部員みんなで確認するもんじゃん? にもかかわらず、こんなアレな作品にOKを出したっての?」
「そんなわけないじゃない!!」
美海が吼える。その怒りが物騒かつ本気だったので、智良も燐もそれが引っ込められるのを待つしかなかった。
激情がひとまず落ち着くと、美海は額に手をやって深々と息を吐いた。
「あの作品を載せるのはやめるべきとあれだけ言ったのに、あの部長は周りの制止を押し切って危険な……というより確実にアウトな作品を部誌に掲載したのよ。本当に信じられない。あの部長、部員の忠告を何だと思ってたのよ…………」
後半はほとんど半泣きの声である。智良もさすがに気の毒に思えてきたが、訊きたいことはズバリと尋ねた。
「まあ、その『あの部長』がアカン人なのは納得したけどさ。むしろ一番ダメなのはこの作品を提出したヤツじゃん。誰なのさ、こんなの書いたヤツは」
「……わからないわ」
「は?」
「あるとき『寄稿作品』のシールを貼られたUSBメモリだけが部室に置かれてあって、読み込んでみたら、あの恥ずかしい作品が眠っていたわけ。誰かのタチの悪いイタズラかと思ったものだけど、それを見た部長が『これは官能小説ではない。至高の芸術だ!』とかタチの悪いことを言い出して、何が何でも載せると言って聞かなかったの。ホントふざけた話だわ。天才とか何とかもてはやされてなかったら発言権を根こそぎ奪ってやったのに……」
「部長が自作自演でやったという線は?」
「あの部長がそんな小細工をするとは思えないけど……あ、座っても大丈夫だから」
どうやら他の文芸部の部員が来たらしい。物珍しげに褐色のツインテールに視線を注いだが、その持ち主に対して美海は言うのであった。
「部員の話し合いがあるから部外者は遠慮して。そもそも、あなたのお姉さんは部長と恋仲のはずでしょ。詳しい話を知りたければお姉さんをツテにして直接訊いたらいいじゃない」
やがて部員が次々と訪れ、智良は部室からほっぽり出されてしまった。それ自体に文句はない。というより、二人から得られた情報が他の事象を曇らせていた。ラッキースケベ以外の要素で智良が興がるのも珍しいことであるが、一度関心を寄せた以上、すべてが明らかになるまで、とてもスッキリできそうになかった。
とりあえず、しばらく会っていないということもあるし、大学近くまでおもむいて姉に挨拶でもしてみようかなと智良は考えたのであった。
おまけ
話し合いが終わり、部室に残っていたのは美海と燐の二人だけであった。と言っても、美海も帰ろうとしていたところであったが、そこでハッとなって鞄をまさぐる。
「すみません赤石先輩。借りていた本をお返しします」
「そう、ありがとう」
文庫本を先輩に手渡し、それから美海は苦笑気味に言うのだった。
「……先輩、あの丸出し娘。千々小丸を完全に男と思っているようでしたよ」
「千々小丸もさぞ浮かばれるでしょうね。男として育てられ、今までずっと美青年として通ってきたのだから。……愛しき女性の前で尻を晒し上げてしまうまでは」
本を引用したがるクセにはじゃっかん辟易しているものの、赤石先輩自体は美海はそれなりの敬意を払っていた。こうして本の貸し借りをおこなうのも珍しいことではない。
「そう言えば先輩、夜ノ森さんとはその後どのような進展が?」
「……あなたも一度『舌切り御前』を読んでおくべきね。恵玲奈のことを訊かれてもあなたは答えにくいでしょう?」
「ま、まあ……」
燐は読んでいた本に栞を挟むと、ページを閉じて席を立った。
「まあ、池田ライクの名言にもあるけど、『ふさわしい約束を、ふさわしい時に、ふさわしい場面で』の通り、いつか、お互いの近況を語り合えればいいかもね」
「はい」
愛する人によって変われたのは、お互い様なのかもしれなかった。