熱帯夜のライカンスロープ
星花女子プロジェクト第三弾の拙作「はこにわプリンセス」の主要キャラである筑波玲と筧菜翠さんがゲストで登場します。菜翠さんはらんシェ様(https://mypage.syosetu.com/243568/)考案のキャラクターです。
肝試しで通るルートは時間にして一五分ていどのものだが、大半の生徒は消灯時間ギリギリまで戻ってこない。中等部時代の智良にはその理由がわからなかったが、今ならわかる。正直「ホンモノのお化けに連れ去られちゃったのかもねー」と脅しにきた先生の言葉を信じたほうがまだマシと思える理由であった。
エヴァンジェリンの同人誌による多少の予備知識があるものの、実のところ、その『現物』を智良は今まで見たことがない。前日の海のシャワールームにてマノンに未遂的なことはされたものの、同人誌のフキダシに書かれた嬌声は、まだ文字以上の意味を持っていなかったのである。
茂みの奥から聞こえる少女ふたりの声は背徳的にひそめられ、同時に危うい熱をはらんでいた。あまりのことに智良は動作をフリーズさせていたが、いきなりマノンに腕を掴まれて声のするほうとは逆方向にある木の陰に連れ込まれてしまった。
声をひそめて智良は抗議した。
「……いきなり何するんだよ!」
「いやあ、これから面白いことが始まりそうやし、せっかくやから一緒に聞いとき」
蒸し暑い夜なのに心臓に冷たい汗が垂れ落ちる思いであったが、向こう側でもどうやら、すんなりイタしましょうとは言いがたい状況であった。
「ね、ねえレイ、やっぱりココでするのはよそう? ダレかに聞かれちゃうし、カラダじゅうがカユカユになっちゃうよ……」
「やっ、もう我慢なんかしてあげない。堂々と菜翠をエモノにできるこの時間を、玲はずっとずっとずっとずっと待ってたんだから」
智良とマノンがエラそうに言えるものではないが、ずいぶんと幼い感じの声の二人である。おそらく智良よりも年下に思われたが、考えていることは智良よりもずっとマセているようである。もっとも、少女どうしのいきすぎた絡みの噂は星花女子では珍しくないのだが。
聞知らぬふたりの少女のうち、先に折れたのは菜翠と呼ばれた少女のほうだった。これはまあ、玲という少女の、鼻息の荒さまで容易にうかがえそうな声を聞けば、ほぼ確定と思われていたが、ここから繰り広げられるであろう激しさは、智良だけでなく、マノンでさえも完全に予想しうるものではなかった。
……ちゅっ。
かすかなキスの粘着音とくぐもった息遣いが夜気に響く。菜翠と呼ばれた少女は「やっ……」と弱々しく抵抗するものの、事態を食い止めるまでにはいたらなかったようだ。不規則かつ断続的ないやらしい音について、智良は最初は「なんだそんなものか」と舐めた態度を気取っていたが、その熱っぽい声とエヴァの同人誌のイラストが結びつくと、その余裕は瞬く間にとろみがかってしまった。なまじ彼女のイラストが上手すぎたせいもあって、脳内での再現も生々しく、このまま聞き続けたら何やらマズイとさえ思うようになった。
「は、早く、どっか他の場所に……んむーっ!?」
智良の言葉の後半は夜気に届く前に、生暖かいものでふさがれてしまった。マノンの唇ではない。華奢な体格にふさわしい、彼女の華奢な手のひらが、浮き足立つラッキースケベ少女の口を覆ったのである。さらに、背後から抱きついて智良の身動きをがっしりと拘束している。智良はもがもが口を動かしながらツインテールを揺らして身じろぎしたが、精神の均衡を失っていたせいか、マノンていどの力でさえ振りほどくことができない。
(何するんだ。離せよ~っ!)
「ぶわっ! 智良ちゃん、そんな熱い息吹きかけたらくすぐったッ……」
手のひらにこそばゆい熱気を受けながら、マノンは笑みを押し殺す。智良の抵抗がやわらいだのを見て口にやった手を放し、恨みがましい目で振り返る彼女に対して優しくさとすように言った。
「あかんで~智良ちゃん。これから大盛り上がり時に大声上げたり逃げ出したりしちゃあ」
確かにマノンの言葉通り、ふたりの息遣いはおさまるどころか、さらに激しさを増していた。そして、それがひとたびやむと、うわごとのような熱く甘いささやきが交わされるのであった。
「ねえ。玲、菜翠のことを思って、もう、こんなに興奮してる……」
「レイ、ダメだってばあ、いきなりこんなハゲしくしちゃ……ああっ!」
「ふん、素直じゃない菜翠。玲のエモノは身体だけがオオカミの嘘吐きオオカミなの?」
「ううっ……」
「へえ~……。星花にこんな逸材がおったなんて、不覚にも今まで知らんかったわ」
マノンの声は感心したと言うより呆れているようであった。
もっとも、智良としては呆れるどころではない。ふたりの嬌声と甘い息遣いのせいで、身体が今まで感じたことのない熱に冒され、一部が妙なうずきにとらわれている。やらしい妄想が一秒ごとに濃くなり、理性が靄に包み込まれそうになる。智良はすべての元凶として、金髪碧眼変態英国淑女を逆恨みすることで、辛うじて平静さをつなぎ止めるしかなかった。
だが、智良のそのような努力をマノンは無残にも打ち砕くのであった。
「……ひゃんっ!?」
仮にホンモノの幽霊に出会ったとしても、このような声を智良は決して発さないだろう。短い悲鳴は妙に色艶鮮やかに放たれて、拘束している灰色髪の先輩をさらに興がらせたのであった。
「大げさやなあ。ちょっと、おっぱいあたりに指かすめただけやん」
「こ、この先輩は……!」
憤怒のうめきは心身のこしょばゆさによってうまく効果が発揮されなかった。二人がそうこうしている間にも、見えないところでお楽しみ中の二人のやり取りはさらにエスカレートしていた。
「…………は、やああ……ッ!」
菜翠の声に今まで聞いたことのない響きが加わった。悲鳴のはずなのに、その中に悦びと切なさがないまぜになっているような甘さを秘めている。
途切れ途切れの菜翠の悲鳴に奇妙な音が広がった。音を立ててガムを噛むような、と形容すべきだろうか。あまり品を感じさせない水音が智良とマノンにもかすかに、だが確実に聞き取れた。
先取り学習も極まれりというべき二人の行為に、智良の神経は不必要に研ぎ澄まされていた。背後からのマノンの抱擁も、実際の抱擁以上の感覚が外側から内部に染み込んでいるようで、それが彼女のムラムラっぷりを加重させるのであった。
「…………ヒッっ!?」
智良の首筋に生ぬるい空気のつぶてが飛んできた。汗ばんだ皮膚にぶつかって飛散した波動はマノンのすぼめられた唇から発せられ、首から肩にかけて何とも落ち着けない痙攣をもたらしたのであった。
「んっふっふ、智良ちゃんったら、始まる前からすでに出来上がっとるとちゃう?」
智良の精神はすでに限界の瀬戸際にあった。望んでいない肉的な音を聞かされ、望んでいない束縛を強いられ、望んでいない未知の感覚に心を苛まれる。
もとより智良は理不尽な抑圧を渋々受け入れられるような性格ではない。それに、マノン先輩がライド・オン・チョーシが過ぎているのはハッキリしている。
……思い知らせてやる!
先輩に対して明らかに不敬なこのフレーズがよぎったとき、二瞬目にはすでに脳と筋肉が弾けるように覚醒しており、先輩に対して初めて物理的な反撃に躍り出た。
「……いい加減にしろよ!!」
周囲のムードをぶち壊す大音声とともに、智良は怒りに任せてマノンの肩を掴み、背面を堅い木の幹に打ち付けた。マノンの口から苦痛のうめきが漏れる。ツインテールの少女がずいと顔を近づけると、いつもはニタニタ笑みの絶えない先輩の顔が、初めて恐怖に引きつった。
「ち、智良ちゃん……なにするんや、冗談きついで……」
「冗談? ここはもともとそういうことをするための場所なんだろ」
そういうことをするには圧倒的にムードも色気も欠けた智良のうなりであるが、マノンはツッコミを返す余裕もない。智良の両眼に比喩を抜きにした肉食獣めいた光があり、それに完全に圧倒されたからであった。
緊張を孕んだ二人の空気に、熱っぽい声が残響めいて聞こえてきた。言うまでもなく、別方向からもたらされた玲と菜翠のものであったが、ヒートアップした二人のやり取りは、すっかり嬌声と息遣いと水音のスクランブルエッグ状態になっていた。
「ああっ、カワイイ……レイの笑顔、ものスゴくカワイイっ。あア、このまま、レイのこと、もっと、モット……。ああ、レイ、ボクだけの、イチバンのお姫サマ……!」
「はぁ、玲もッ、菜翠のこと、だいすきっ。菜翠は、玲のエモノなのっ。ずっと、玲のそばにいてくれなきゃ、駄目なんだから……っ」
今まで嫌がっていたはずの菜翠も、いつの間にかすっかりパートナーにほだされきっており、みずみずしい愛欲を共有しあっている。そう遠くない場所から智良の怒号を聞いていたにも関わらず、欲情の焔が潰えないのは大したものだが、その嬌声を聞いたマノンは彼女たちの二の舞を演じることは望んでいなかったようだ。肩を大きく揺らし、強い拒絶を示した。
「いやや!! うち、あの子たちのようなことなんか、しとうない!」
「だったら、なんで連れてきた!? 自分からは勝手にするくせに都合が悪くなったらエラそうにするなっていうわけ!?」
マノンの懇願は、完全に頭に血の上った智良の心にまで届かなかった。
「あたしが清歌のことをオモチャにしてるって言うけどさあ、人のことを都合のいいオモチャ扱いしてるのは他ならぬあんたのほうじゃん! 何さ、あたしがラッキースケベの悪ガキだから何をされても文句は言えないっての!? あんたにとって、あたしは一体なんなのさ!!」
言葉以上の衝撃がマノンの精神を打ちのめした。表情が揺らぎ、泣き出す寸前の顔になる。
そこに智良が情け容赦なく唇を重ねたのであった。
「……んむうっ!」
先輩のくぐもった吐息は、別の少女たちの声によってかき消された。玲と菜翠がついに感極まった声を絡みつかせたわけであるが、このときの智良は二人の嬌声など気にも留めていなかった。
唾液のあとを張りつけながら唇を離し、目を開ける。頬を染め、弱り切った顔をしているマノンをまっすぐ見据えながら、もう一度唇を被せる。今度は先ほどよりも力を込め、あたかも全身ごとマノンの唇に覆い被さるかのごとく。マノンの苦しげな声がさらに色っぽく響き、智良の心を知らずのうちに甘くとろかせていた。
「……んは、ぁ……」
何度目かの唇どうしの接触が過ぎると、夜の森に静寂が満ちた。二組の少女どうしのコンビが、それぞれすべきことを完全に果たしたというわけだ。樹木に押しつけられていたマノンは、智良にされたことを理解して、顔を一気にひしゃげさせた。瞳の中の青色が波紋で震える。
「なんでや……なんてことしてくれたんや……」
マノンの泣き顔は中等部どころか小学生までさかのぼっているかのようであった。だが、どれだけ幼くなろうとも彼女は可憐で愛らしい。
多量の涙を含んだ両眼をごしごしこすりながら、マノンは続けてうめいた。
「智良ちゃん、なんてことしてくれたん……。うち、こんなことまで望んでなかったのに。智良ちゃんにこんなことされちゃったら、うち……ううっ……!」
青い瞳に新たな涙を溜めながら、マノンは茂みから飛び出し、そのまま一人で進行ルートを駆け出してしまった。けたたましい足音が闇夜に澄み切って響いたが、やがてその音は遠のき、智良の耳から完全に聞こえなくなった。
智良は暗い森の中、一人取り残されるかたちとなった。さんざん精神をかき乱してくれた玲と菜翠は、いつの間に立ち去ったのか、果てた後の荒い息遣いすら残していない。ただひたすらに木々のざわめきと遠くからの潮騒の音が智良の現状に対する嘲弄を奏でるだけである。
事は智良の思惑通りに働いたはずだ。今までさんざん弄んできた元副会長に一泡吹かせることは成功したが、その報酬は何とも切なさとほろ苦さに満ちていたものだった。乾ききった心に苛立ちの火種がくすぶり燃え上がり、その持て余し気味だった熱が智良の喉元から怒りの言葉をほとばしらせた。
「ああもう、意味わっかんなああぁぁぁあああっ!!」
お楽しみ中のカップルが驚いて逃げ出しかねないほどの、すさまじい絶叫だった。




