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雄弁ストラテジー

「こーら、智良ちら。いくら河瀬かわせ先輩との裸のやりとりが刺激的だからって、いつまでも余韻にひたってる場合じゃないでしょ」


 褐色の頭をこねくり回してくる友人の冗談に、智良はまともに反応する気が無かった。いちおう表情を取り繕って顔を上げたが、熱と冷気のわだかまりはいまだに身体の中でくすぶっている。


 智良の心情はマノンに対する不愉快と不可解と不条理で満たされていた。いきなり怒られ、いきなり鎖骨にキスされて、問答無用に清歌から手を引けと言ってきて……。

 もっとも、マノンの言葉は正論のように思われた。自覚がなかったわけではないが、きちんと相手の立場になってものを考えたのはこれが初めてなのかもしれない。


(あたし、清歌をいじめてたのかな……)


 涙が出てきそうになる。自分ではそんなつもりはなかったが、案外、いじめの発端とはその程度のことなのかも知れない。いちおう清歌を傷つけないために、彼女にボディタッチをする(おっぱいを揉んだり、おっぱいを鷲掴みする)ようなラッキースケベは避けてきたのだが、先輩から見れば自分は理不尽に仕事を押しつける輩と何ら変わらぬと思っていたらしい。


 マノンにもキレられ、清歌にもキレられ。思い人に向けてのラッキースケベの意欲は鎮火寸前のありさまであったが、今もなお、こうして未練がましく執心の少女に視線を送りつけている。いったい何をしたいんだろ……と心の中で自嘲してみせると、周りの友人らが声を高めてはしゃいだ。


「ちょっと見てよ! みっちゃんと向かい合ってる女の人……」

「うそッ! 姫奏さまじゃない! なんで清歌と一緒に……」


 少女たちの声が訝しげなものに変わる。二人の逢瀬に対する印象は、清歌を呼び捨てにする点ですでに明らかであった。

 意地の悪い声が湧き起こった。


「ああ、そう言えば聞いた? 姫奏さまが大部屋を貸し切ってるって話……」

「え? それは別にいいでしょ。姫奏さまは六年間、星花とわたしたちに尽力してくださったのだから、部屋を占領しようが施設を占拠しようが全然構わないわ」

「そうじゃないわ! 姫奏さまが占領してる部屋に、なぜか清歌が入り浸ってるって噂よ」

「ええっ!? 何それ、信じられない……」

「それだけじゃないわ。バスの時も清歌は姫奏さまの隣の席におさまってたと聞いたわ」

「うへええッ!」


 やっかみに満ちた叫びが大合唱と化して夜気を破った。あらゆる意味で智良は耳を塞ぎたくなったが、ちょうどそのとき、外方から砂を踏む音が聞こえてきた。


「なんや、火元から離れたところで随分盛り上がっとんなあ」

「あっ、河瀬先輩~! ちょうどよかった~」

「ちょっと、あれを見て下さいよ!」


 マノンは智良や清歌と違って浴衣ではなかった。他の女子らと同じように夏用の体操着という格好である。灰色の髪は海の時はお団子にしていたが、今度はゆるふわなツインテールにしている。ただでさえ幼い容姿なのに、髪型のせいでそれに拍車がかかっていた。


 智良にとってはシャワールームで不愉快な裸の付き合いをした、因縁の相手だ。正直、和やかな関西弁を聞くだけで心臓に氷の杭を打ち込まれた気分で、逃げるべきなのに身体が動かない。恐怖の表情をさとらせぬよう再び顔を沈めて、ことの成り行きを見届けた。

 青い大きな目をしばたたかせながら、マノンは言う。


「んんー? ああ、姫ちゃんと清ちゃんやね。それがどうかしたん?」

「どうかしたん? じゃないですよ! 姫奏さまを慕ってるのは大勢いるのに。こんなの僭越ですよ、センエツ!」

「まあまあ、落ち着き。こんなに張り切られたら、まともにお話できひんやん」


 どうどう、と後輩たちを抑えながら元副会長ドノは改めて問いかけた。


「そもそも、みんなはあのお二人のこと、どう見えとるん?」

「決まってるじゃないですか。結ばれる聖火のもと、わたしたちを差し置いて愛を語り合って……」


 少女は熱っぽく訴えたが、突然、マノンは奇声を発して両腕でバッテンを作ってみせた。


「ぶぶーッ! 姫ちゃんが清ちゃんを呼び出して語っているのは愛ではありませーん!」

「ええっ? じゃあ、何を話してると言うんですかっ? あんなロマンチックに顔を近づけて!」

「確かに、お華道の話はロマンチックかもしれへんなあ」


 一同(智良を除く)は呆気にとられた。清歌が華道部に所属していたことは全員が承知のことだが、ここで話題として出るとは思ってもみなかったのだ。

 一人が、訝しげな声を発する。


「ほ、ホントなんですかあ? 恋愛じゃなくて」

「ホントやで。そもそも、清ちゃんを姫ちゃんの部屋に連れてったのはうちやもん。清ちゃんが文化祭の作品制作で悩んでたってことをバスの中で聞いて、うちらでアイデアを出しあったんや。姫ちゃん、中等部までお家でお花の先生から教わってたし、うちも日本文化を学ぶ一環として生け花の知識は得ていたからな。いやあ、あれはたいそう盛り上がったなあ」

「なにそれ、いいなー。わたしも姫奏さまに文化祭の作品にアドバイスもらいた~い」


 カラメルソースのような声を発する少女に、マノンの反応はアッサリ風味のものだった。


「ええで」


 とたん、姫奏さまを敬愛する少女たちは色めき立ったが、喜色を浮かべるにはまだ早かった。


「というより、いずれ呼び出すつもりやったんだけどな。清ちゃんをいびったと噂されてる面々がたをな」


 少女の顔が脳天気な笑みを浮かべたまま硬直する。

 マノンは人食いライオンのような笑顔で言った。


「清ちゃんは姫ちゃんに問いただされて、周りからイビリのレベルで用事を押しつけられたことを白状したんや。とても花を生けれる状態じゃないってな。みんなが知ってるかはわからんけど、華道というのは精神に大きく左右されるシロモノや。精神を張りつめてやることは、姫ちゃんも実際に体験しとることやからな。清ちゃんの辛さはよぉくわかるっちゅうワケや」

「……………………」

「姫ちゃんはそんな清ちゃんを憐れみ、また元会長としての責務を果たさんため、清ちゃんの口から出た生徒を呼び出して審議しようと考えてるんや。今、こうやって姫ちゃんが清ちゃんにこうして詰め寄ってるのも対象人物を漏らさんようにと最終確認するためやろ。姫ちゃんは完璧主義者やからな。念入りに聞き出されて、清ちゃんもフラフラかもしれんなあ」

「……………………」

「大好きな星花でイジメがあったなんて知ったら、姫ちゃん、カンカンやろな。二度とそのようなことが起こらぬよう徹底的に指導するかもしれへん。まあ、それ以前に姫ちゃんに失望されるやろうけどな」

「ヒッ……!」


 少女たちの顔が悲嘆で彩られた。彼女たちにとっての最大の恐怖は、憧れの人に叱られることではなく、信用を失われることである。ここにいる全員が例外ではなさそうだ。


「どれだけ名前が挙げられたかは知らんけど、さすがに姫ちゃんに夜通し詰問させるのもうちとしても気が引けるんや。もし心当たりがある子がいるなら、行動と態度によっては、召喚を取り下げるよう、うちから姫ちゃんに言っといてあげるで?」


 気まずい沈黙。少女たちは悄然とうなだれ、顔を見合わせた。無言で話がまとまったらしい。か細く鳴いた。


「……後で、みっちゃんに謝っときます……」

「それがええで。じゃあお名前を聞かせてもらえっかな」


 赦免しゃめんするものの名前を聞き出すと、少女たちは散り散りに逃げ出した。おそらく、心当たりのある面々にこのことを伝えにいくのだろう。いずれマノンと清歌に多くの生徒が駆け込んでくるに違いない。


 残っていたのは智良一人だけだ。会話の中、ずっと姿勢を変えなかった彼女にマノンは上から呼びかける。


「もし智良ちゃんが呼び出されたら、今までやらかしたラッキースケベを全部姫ちゃんに白状することになるんやろな。うちも付き添いたいわ」


 智良は先輩の軽口を無視して、ぶすっとした声で尋ねた。


「……ちょっと苦しくないですか。さっきの言い訳は」

「んー? 何のことやー?」

「清歌はホントに先輩がたとお花について語り合ってたんですか?」

「モチロンやで~♪ うちも姫ちゃんも花を愛でるのが好きやからな」


 疑問を抱く要素のまったくなさそうな、朗らかなマノンの声。友好的そのものだが、一度ガツンと言われた智良としては、彼女に対して心を開くことに強い抵抗をおぼえた。もっとも、今まで心を開いていたかと問われれば微妙なところである。

 マノンはそんな智良にはお構いなしで、智良の隣に腰を下ろした。顔を覗き込む。


「智良ちゃん、一体なにを疑っとるん?」

「清歌に恋愛感情がなければ、あたしに手を引けなんてキツく言う必要ないじゃないですかね」


 姫奏と清歌の恋路を邪魔させないために、あえてキツく言って二人だけの世界から遠ざけようとしたと、智良は考えていたのだ。

 智良の恨み言を、マノンは笑い飛ばした。


「いややわあ。姫ちゃんと清ちゃんがお付き合いすると、智良ちゃんは本気で考えとるん? うちの知るかぎり、姫ちゃんはお仕事一辺倒のお堅いちゃんで、恋愛のレの字も存在しないはずの子やで。浮ついた話も今までいっさい聞いたことないし。それが清ちゃんを前にしていきなりガクンと落ちるのは、ちぃっとばかし不自然やと思わへん?」

「確かに、そうですけど……」

「あのときうちがそう言ったのは、単に智良ちゃんの非行を見過ごせなかっただけや。ラッキースケベ自体はご勝手にやけど、相手を怒らすのはアカン。いくらなんでも調子に乗りすぎや」

「わかってますよ。あたしがバカでしたよ。もう清歌に関わらなきゃそれでいいんでしょ」


 苛立たしげに吐き捨てると、マノンは智良の隣で屈み込み、ぽんぽんと褐色の頭を叩いた。


「そんなふてくされたらあかんて。せっかくの可愛い顔が台無しや」

「マノン先輩に言われても……」


 ぼやくように言うと、智良より遙かに幼く見える先輩は初めて優しい口調でその後輩を励ました。


「別に清ちゃんに執着しなくても、智良ちゃんのラッキースケベに恥じらって悦んでくれる子は大勢いるはずやろ? 極端な話、うちは清ちゃんと姫ちゃんが嫌な思いするのが我慢ならないだけで、他の子がおぱんつ見てきゃーきゃーはしゃぐことに関してはノータッチやからな。これからも、自分のアイデンティティを遺憾なく発揮するとええで」

「もうムリでしょ。先輩が五行先輩にあたしのしたことをぶちまけたんですから」

「確かにぶっちゃけたけど、智良ちゃんは今まで姫ちゃんの目をかいくぐってラッキースケベをおこなってきたやん。いけるって!」


 謎の励ましを受けて、智良は先輩に勢いよく肩を叩かれてよろめく。思わず顔を上げ、立ち去ろうとする先輩を恨めしげに見送った。やれやれ。今まで運良くやり過ごせたとは言え、この先も都合よくいくわけがない。親友の報告を聞いて、五行姫奏はさらに監視を厳しくすることは間違いないのだ。いちおう姫奏も受験生だから、ラッキースケベ撲滅のために全神経を傾ける余裕はないはずだが、怜悧な彼女が受験勉強に苦しむ姿を正直なところ、智良にはまったく想像ができなかった。


 りんりん学校終了後の星花が自分にとって引き続き動きやすいものであることを願いつつ、視線を元に戻す。話が終わったのか、原生林の中では清歌と姫奏の姿はすでに見えなくなっていた。


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