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神々の夢  作者: みみみ
第一章「五人の少年少女」
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壱③

 意識が戻った今日は一体いつなのだろう。

 壱は見慣れない天井を見つめ、大きく伸びをした。薄い黄色を基調とした部屋は優しさで溢れている。清潔なシーツが肌に心地良く、思わず掛け布団を口元まで持ち上げる。目を閉じると再び眠りの世界に誘われてしまいそうで、壱は体を起こした。

 埃一つなさそうな部屋は無駄に広い。扉から最も離れた位置に壱の眠っていたベッド、壱から見て右手に窓。少し濃い黄色のカーテンが正真正銘の風に揺れる。窓の斜め下方に文机。豪奢な刺繍の為されたクロスが掛けられ、シンプルな花瓶に一輪の花が生けられていた。その隣にはタンスだろうか、引き出しが幾つも付いている。引き具は黄色、白いタンスに汚れは一切ない。

 壱は反対側に目を向ける。左側に窓はなく、絵が飾られていた。何の絵かまでは理解が及ばなかったが、水墨画のようだった。稲妻だろうか、光の螺旋のように見受けられる。その前方に大きめのテーブル。オレンジ色のクロスの四隅に絵に似た螺旋の刺繍、椅子はクロスと同じ色で背もたれ深く、座り心地は期待できよう。少し視線をずらすと、棚が目に入る。引き出しが多い点ではタンスと変わりなかったが、こちらは他の調度品に比べて少し古びた感じがした。

「目が覚めた?」

 壱は声に釣られて視線を扉に向けた。いつの間に開けたのか、扉を後ろ手に閉めながら女性がこちらに微笑みかける。

「えっと、ユイ、さん?」

 女性は可笑しそうに言った。

「覚えていてくれたのね」 

 ユイは真っ直ぐに壱を目指して進み、その横に腰掛ける。壱は無意識のうちに反対側に寄って接触を避けた。

「君、丸二日も眠っていたのよ。体調はどう?ご飯食べられる?」

 ユイは壱の気遣いを余所に手を取った。壱の手の平を上に向けて、その手に何かを書く。

 翠 唯壱

「変わっているでしょう?唯壱、これでユイって読むの」

「唯“壱”?俺、壱」 

 唯壱は一瞬意味が分からないと言わんばかりに首を傾げたが、壱が唯壱同様に漢字を示すと直ぐに零れんばかりの笑顔を壱に向けた。漢字だ。壱の使う、普通の文字が伝わる。言葉と文字が分かる、これはかなりここでの暮らしに影響する。

「本当に?偶然ね、珍しい文字なのに」

 イチ、と唯壱は嬉しそうに何度も呟き、顔を綻ばした。

「それで、痛いところはない?」

「え、ああ。・・・え?」

 壱は突如違和感に苛まれた。嫌な、予感。

 布団を肩まで被る。自分の手が肩に直接当たる感触。壱は肩を竦めたまま、そっと上目遣いに唯壱を伺った。小首を傾げて、壱を見ている。

「なに?」

「・・・あの、服は」

「洗濯しておいたわよ。捨ててしまおうかと思ったけど、変わった服だったから一応許可を取ってからにしようと思って。泥は落ちても、血の色は落ちなくて」

 がっちりと布団を握りしめて放さない壱の硬直した姿に、唯壱は小さく吹き出した。

「耳、赤いよ」

「・・・裸で寝る習慣は生憎持ち合わせていないんだ」

「あら、あんなに汚れた格好で寝台に寝かせろと?」

 壱は黙り込む。年齢は壱よりも少し年上だろうか、唯壱は自分より大人びた落ち着きある女性だった。孤児院で育った壱にとって、年上の女性も年下の少女も接し慣れた存在だと思っていたが、彼女達とは違う落ち着きがある。自分を子供扱いする、余裕のある大人の女性。身近にいなかったタイプであるだけに、接し方が分からない。

 唯壱は細い指先で壱の頬を突いた。その優しい眼差しに、言葉を失う。いつもなら即座に言い返すのに。

「私の助けた体よ、どうしようと私の勝手じゃなくて?」

「それは・・・感謝してるけど」

「壱は幾つなの?荷物一つ持たず、身分証もなかったけれど」

「年は十六」

「十六?嘘」

 唯壱が笑う。どさ、とベッドに横になる。

「髪・・・」

「え?」

「いや。幾つに見える?」

 何を言うつもりか。髪が乱れようと、壱には関係がない。

「そうね。十歳くらいかと思ったわ」

「はあ?」

 壱が眉根を顰めるのに対し、唯壱はクスクスと笑っている。からかわれているのだろうか。幾ら自分の身長が平均よりも低いとはいえ、十歳の子供に見える筈はない。

「腕が頼りないんだもの」

 寝転がった状態で壱の腕を指さす唯壱を睨め付ける。それも軽く交わして、唯壱は続ける。

「身分証がなければ、この先困る事になるわ。私は貴方が何者でも構わないんだけどね」

「どういう意味?」

「これでもこんなに笑ったのは久々なのよ。貴方が起きるのを心待ちにしてたんだから。貴方、私が誰か知らないでしょう」

 頷くことで肯定する。唯壱どころか、この世界に知り合いなどいない。異世界から来たというのは、矢張り伏せるべき事項だろうか。

 唯壱は楽しそうに笑っていたが、突然真顔になって起きあがった。髪を整え、壱を力尽くで寝かせる。

「寝たふりをしていて頂戴」

 真剣な声。何が起こったのか分からないままに、壱は目を閉じた。

 こんこん。

 軽いノック音。唯壱は扉の外に人の気配を察して、体裁を整えたのだろうか。壱は気付かなかったが、そうとしか考えられない。狩猟区で出会った時の唯壱と女性の会話を反芻してみても、唯壱がある程度の身分を持ち合わせている事は間違いなかろう。

 どうぞ、と殊勝な声で唯壱は訪問者を迎え入れる。扉が開くと、風が部屋の中で暴れた。

「唯壱、体調を崩したというのは本当か」

 開口一番、慌ただしい口調。低く籠もった声が聞き取り難い。

「わざわざご足労頂き、申し訳ありません」

 壱の瞼がひくひくと動く。今の声は唯壱の声だろうか。酷く硬い声だ。先程の柔らかく優しい声が影も形もない。

「狩猟区に行ったと聞いたぞ。怪我はないのか」

「はい。しかし、家主様に頂きましたドレスを汚してしまい」

「よいよい。また唯壱に似合いそうなドレスを買ってきたぞ。試着してみてくれないか」

 父親だろうか。太い声から年齢を推測するに、四十は越えているような気がした。

「申し訳ありません、気分が良くなりましたら御挨拶に伺いますので」

「そうか・・・いや、体を大事にしなさい。それで、お前の寝台にいるのが」

 壱は生唾を飲んだ。視線が痛い。

「私の命の恩人なのです。何かせめてもの御礼をと思っているのですが、彼に身分証を発行して頂けないでしょうか」

「身分証を持っていないというのか。そんな怪しい者」

「それでも、命を助けて頂いた事に変わりはございません。荷物も一切持ち合わせておりませんでしたので、何か事情ある身の上なのでしょう。どうか、お願い致します」

「唯壱から頼み事とは珍しい。新たな身分証は後見人がいなければ作れない。難しいが、尽力しよう」

 ありがとうございます、と丁重に御礼を述べる唯壱の声を聞きながら壱は布団の中で拳を握りしめた。

 何故、彼女はここまでしてくれるのだろう。命を助けてくれたのは唯壱だ。看病までしてもらったというのに、その上頭を下げてまで自分の身分証を発行しようとしてくれている。何故。

「この男、勿論お前の命の恩人なのだから完治するまで置くがよい。しかし、何もお前の部屋に置く事はない。私の気持ちも察してくれ、子供とはいえ、男を部屋に招き入れるなど」

「意識がないのです。何としても自分の手で看病したく思います。他の場所では、官達が私に気を遣って思うように看病が出来ません故」

 男は暫く愚痴をこぼしていたが、最終的には唯壱の言葉に折れて部屋を退出していった。唯壱が自分の側に来た気配を察知してから目を開く。まぶしい。

 唯壱は小さく溜息を漏らし、苦笑した。壱は横になったままじっと彼女を見つめた。

「分かったでしょう?私はここから逃げられない。逃してもらえないの。なんて窮屈なのかしら。なんてつまらないの」

 ベッドに横になった唯壱の横顔が今までの笑顔からは想像できない程切なく、やるせない。

「自由が、欲しい」

 細い手を頭上に伸ばし、消え入るような声で呟いた唯壱の涙が悔しさを孕んで膨らみ、流れる。

 その今までの大人びた姿からは想像も出来ない儚い横顔が、嘗て見たどんな彫刻よりも、どんな芸術作品よりも、美しかった。

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