暁に響く雷電 白夜の章 【一ノ一】
聖アルフ歴1882年
夜明けが近い時間帯、雷を伴う雨雲が空を覆う中、魔物の大群に襲撃された町には血と死体が散乱していた。
魔物の襲撃によってそれに応戦しようとした人々と、避難が遅れた人々が犠牲になったのである。
「綾香の奴。何処にいる!?」
魔族の血を引く者が力を引き出す時特有の深紅の瞳を宿した下忍の青年は、必死で周辺に目を配らせながら幼馴染の少女がこの死体の中に紛れ込んでないかを必死で探していた。
「避難所にはいなかった。頼む、間に合ってくれ……」
深紅の瞳に下忍共通の武具を装備した青年は、必死であたりを見渡していると、東の空に開いた雲の隙間から夜明けの光が死体で埋め尽くされた町の一角を指す。
そして青年は、明け方の光がした場所に、散乱している魔物や人の死体に混じった幼馴染の亡骸が存在していることに気付いた。
「嘘だ。俺がもっと早く駆けつけていたら」
幼馴染の死を理解した青年は、絶望に打ちひしがれるようにその場に蹲り、空で鳴り響く雷の音にも劣らないほどの声で吠える。その髪は絶望で白く染まっていた。
絶望に青年が苛まれていると、周りに生き残りと思われる十匹ほどの魔物が青年に襲いかかろうとぞろぞろと現れる。その場に蹲った隠密の青年を得物と認識したのだ。
「お前たちさえいなければ……」
偶然開いていた雷雲の隙間から射していた光に照らされた青年の瞳には先ほどよりも濃く輝いている。先程うずくまっていた時とは違う強い憎しみが宿っていた。
「お前たちのような害獣さえいなければ綾香は死ななくて済んだのに……!!」
怒りをぶつけるように隠密の青年が叫んだ次の瞬間、青年は自分の一番近くに居た犬のような姿をした魔物を渾身の力で殴りつける。
「お前たちのせいで……!」
隠密の青年は自らの装備していた手甲が砕けたことさえも気にすることなく、魔物の一体を鬼のように頑強に変異した腕で殴り続けた。
「まだ足りナイ」
しばらく魔物を殴り続けていた、何時の間にか頭部から隠密として支給される仮面を突き破って角が生えている青年がそう言うと、そのまま既に頭部がつぶれている魔物の死体を、自分を囲むように立っていた魔物の群れに投げつける。
「逃がサナイ」
魔物たちが咄嗟に逃げようとしたのを察知した鬼人への変異が進行し続けている青年は、無詠唱で後出力の広範囲に雷撃を撒き散らす雷行の術式を放ち逃げようとした魔物の群れを足止めした。
「放雷伝を受ケタなら、もう体が痺れて逃げられナイナ」
そう言うと、全身の筋肉が膨れ上がり、支給品の鎧が砕けたおぞましい鬼その物と化した青年は、そのまま魔物たちを生きたまま喰らい始める。そうしているうちに、頭の中で声がし始めた。
【もっとだ。俺たちの邪魔をする存在は全て殺せ】
青年が頭に響く声に従って魔物を喰らっていると、手を象った樹木が青年の体に絡みつく。
「邪魔だ」
肉体の変異が大きく進行していた青年は、木で出来た腕を簡単に振りほどき、そのまま木の腕を無視して逃げようとしていた魔物の生き残りを追おうとした。
次の瞬間、先ほどの樹木よりも明らかに強力な拘束力を持った鎖が鬼人を化した青年を縛り付ける。
青年が敵意をむき出しで鎖が伸びている方向を見ると、まばゆい光がそのまま青年を包み込み、そこで意識は消失した。
聖アルフ歴1887年
20代半ばと思われる容姿をした白髪の男は全身から脂汗を流しながら仮眠用の布団から飛び起きる。
「またあの夢か」
外の雨を眺めていた白夜は、久しぶりに見た下忍時代の悪夢を思い出し苦悩するように体を震わせた。
「もう4年経つ。俺は二段目の封印を解除してそれを制御できるのだろうか?」
夢の中で幼少期に施された封印が決壊し暴走した挙句に魔物を喰らっていた自分と、自分の中に潜み血肉を喜んで喰らう鬼を思い出し、自己嫌悪を抑えるように、白夜は顔を手で覆いながら続ける。
(そもそも、一族単位で引き継いできた鬼の血と稼業である隠密としての任務すら出来ないならば意味がない。あの時の俺は綾香の死を口実にして、本能のまま殺戮を楽しんでいただけだ)
(あの時は、封印が完全に破綻しかけていたことを考えれば、二段階目の封印を限定解除するぐらいは問題ないんだろが、出来れば頼りたくないな)
自分の鬼の血に生まれた時から施されている三段階の封印を思い返すと、白髪の隠密は自分の心を切り替えるように心を入れ替えた。
「第二地区での潜入任務に入ってもう二か月。明日には村長とも裏で取り決めた約束の日か」
白夜は潜入するにあたって村に用意された小屋で武装の手入れをしながら感傷に浸るようにそう言うと、白髪の男は顔を洗い、仕事用の服装に着替え始める。
白髪の男は、漆黒の衣の上から愛用している白銀の胴鎧と籠手を纏い、背中に白銀の忍者刀を差し、顔に白い狐の仮面を被った。その姿は、極東の島国では一般的な隠密の武装である。
「今日が後方支援担当の連中と会う日だな」
仮面をつけた白髪の男は、夜の暗闇の覆われた空を眺めながら淡々と続けた。
「もうこの潜入任務も終わりか」
そう言った白髪の隠密は二か月間の一般人に扮しての潜入生活を思い返す。その内容は、魔界に存在する鬼人族の血を引く彼にとっては学生時代の数年間以来の穏やかな物であった。
二か月前に白夜は、今回の任務の対象である親子が暮らしている村に一般人として潜入し、情報収集を行うと同時に対象となっている少女を始めとした村の住民との交流を深めた。
「兄ちゃん新顔だろ? この村名物の焼肉串食ってかい?」
私服姿の白夜が村の探索をしていると、串で刺された焼肉を焼いている40代の男性が声を掛けてくる。
「ありがとうございます。一つ貰いますね」
白夜は社交的な笑みを浮かべながら男性が売っている焼肉串を一つ購入した。
「おじさん。焼肉串一つください」
白夜が焼肉串を食べ終えたその時、10代中頃の少女が屋台の焼肉串を購入する。
「伊織ちゃんいつもありがとうな。伊織ちゃんが毎日買ってくれるおかげで俺は大助かりだよ」
屋台で焼肉串を焼いている男は、ほほ笑みながらタレを多めにつけた焼肉串を伊織と呼ばれた少女に渡した。
「ありがとうございます。代金は置いておきますね」
伊織と呼ばれた少女も愛想の良い笑みを浮かべながら代金を置こうとする。
(この少女が任務資料に乗っていた今回の任務における確保対象か。この場合対象とはある程度親しくなっておく必要があるな)
その光景を観察していた白夜は、二人の会話に敢えて割って入った。
「俺がこの娘の分も代金を払いますよ」
白夜の言葉を受けた二人は、目を見張らせる。
「おいおい。いきなり気前良すぎだろう」
屋台の男性は驚いた様子で口を開いた。
「そうですよ。おごってもらうなんてそんな……」
少女も遠慮しているようであるが、白夜はそのまま、代金を出してその場を立ち去った。
「これで顔は覚えられただろう」
白夜が淡々とそう独り言を呟いていると、後ろから伊織と呼ばれていた少女が走ってきた。
「あの。どうして私なんかのためにおごってくださったのですか?」
少女に焼肉串をおごった理由を問われた白夜は、一瞬返答に困りながらも答える。
「いいや。可愛い女の子にはおごってあげるべきでしょう」
(やばい。咄嗟に不自然な返し方をしてしまった)
不自然な返事をしてしまったことを白夜が心の中で恥じていると、少女は人当たりの良い笑みを浮かべたまま口を開いた。
「ごめんなさい。別に困らせようと思っていたわけじゃなくて……その、ありがとうございます」
少女が深々と頭を下げると、白夜は慌てた様子で答える。
「いや、そこまで畏まらなくてもいいだが」
白夜が苦笑いしながらそう言うと、少女は仕切り直すように再度話し始めた。
「えっと、私、倉橋伊織って言います。この村の事で分からないことが有ったら何でも私に聞いてくださいね」
倉橋伊織と名乗った少女が自慢げにそう言うのを聞いた白夜は、ある程度冷静さを取戻した状態で答える。
「ありがとう。約二か月の滞在になるけれど、こちらこそよろしく頼むよ」
(やはり、この年代の少女は苦手だな)
かつて救うことの出来なかった幼馴染を思い出した白夜は、心の中で苦笑いしながら愛想の良い返事をした。
続く
こんばんわドルジです。
今回の主人公である白夜は、序盤、および幕間で描かれた幼馴染の少女の死というトラウマから髪が白髪となった、魔族を遠い先祖に持ち、代々隠密になることが家業である一族出身という設定です。
今回の章におけるタイトルである【暁に響く雷電】というのは、雷雲の音が響く中で雲の切れ間から偶然刺した明け方(この時刻を古い表現で暁とも言います)の弱弱しい日の光に偶然少女の死体が照らされたという、簡単に言うならば、白夜の精神的なトラウマの一つを表しています。




