幕間1 天を回る螺旋と狐の面を被りし鬼
聖アルフ歴1887年
「まさか昔を思いかえすことになるとはな」
布団に横たわった黒髪の男は、手を天井に伸ばしながら淡々とした口調でそう言った。今まで任務内容を淡々とこなすだけだった彼にとっては、今まで自分の過去を思い返すことはあまりなかったのである。
「そうだな。考えてみれば綾香が死んだ時に俺の目に映る世界は変わったんだろうな」
螺旋は、大陸への遠征任務よりも前に起きた惨劇を思い返した。
聖アルフ歴1882年
黒髪の隠密は、自らの故郷と呼べる場所であり、医者となった村を魔物の群れが襲ったことを聞いた。
当時は隠密としての名も与えられない下忍だった螺旋と白夜は、治安維持を目的とした奉公人や正規軍である防人が動くよりも早く村へと向かった。
雨と雲の隙間から夜明けの光の光が差し込む中で、白夜に遅れて黒髪の隠密が到着した時には、村は魔物に蹂躙され、そして白夜だった鬼が逆に魔物を喰らっていたのである。
「おいやめろ! 戻れなくなるぞ!」
螺旋が木椀で鬼への変化と暴走が始まった白夜を拘束しながらそう言った。しかし、頭部から白い二本の角が生え全身の筋肉が強化された螺旋は木椀を平然と振りほどき魔物の生き残りへと飛び掛かる。
「そこまでだよ」
螺旋がより強力な術式で止めようとすると、後ろからこの時点では影候補の上忍である紅の声がした。
「此処は僕に任せて。君は友達を探すんだ」
「金気、我が敵を捕縛し封じる金剛石の鎖とならん。金行、金剛封縛鎖」
詠唱を終えた紅が手を地に付けると、地面から複数の鎖が現れ鬼人と化した白夜を捕える。封印術の力を内包した鎖で拘束された白夜は、深紅の瞳で紅を睨みつけた。
「陽気、魔を封じる日輪の腕とならん。陽行、封魔光手」
紅が術式を練ると、光りその物で作り出された腕が、鬼への変化がさらに進行しようとする白夜に触れる。一瞬強く光ると、先ほどまで魔界の鬼人同然の姿だった白夜は、髪以外は元に戻っていた。
「おい。嘘だろう?」
一方で、死体の山から友の死体を発見した螺旋は、絶望に苛まれたようにその場に座り込む。
「あいつが暴走したのって……綾香の死体を見たからか?」
未熟だった青年には、友の命を救うことも、仲間の暴走を止めることも出来なかったのである。
聖アルフ歴1887年
「そうだな。今も昔も俺が憧れていた存在には程遠いか」
かつてあの惨劇で誰も救えなかった螺旋は、自分の無力さを痛感するように顔を歪めた。
「そう言えば、事後処理の事は話していなかったな」
次に最初国外遠征任務で初めて行った汚れ仕事の事後処理を思い起こした。
聖アルフ歴1883年
敵を全て皆殺しにした四人ほどの隠密の小隊は、螺旋が事前に施していた転移術式のマーキングが施されたクナイのある結界の外側へと転移する。
「すげぇ。火炎陣の外側に転移したぞ」
猫の面を付けた隠密が先程まで自分たちが居た燃え上がる廃墟を荒地にそびえ立つ崖から眺めながらそう言った。
「地面を見てみろ。クナイが刺さっている」
翁の面を付けた隠密がそう言うと、猫の面を付けた隠密と、犬の面を付けた隠密が、足元に刺さっている転移術式の施されたクナイを見つめる。
「なるほど。つまり先ほどの魔導師が放った広範囲魔術が消えた理由も納得がいく」
犬の面を付けた隠密がそう言うと、今まで口を開かなった螺旋が淡々と口を開く。
「ああ。さっきの冷気の塊も、火炎陣を貼る直後に建物の屋上に差した転移術式の印を付けたクナイに、俺が持っているクナイを経由して転移させたんだ」
螺旋は燃え上がる廃屋を指差しながらそう言った。三人が無機質な面を付けた隠密の指差す方向を見つめな、猫の面を付隠密が口を開いた。
「まぁ。あれなら上手く火事ってことにして収められるだろう」
猫の面を付けた隠密のいう通り、表向きには存在しない組織である大和皇国の隠密は、国外での任務が完了した後には、事後処理として自分たちの存在が他国の表向きの組織に知られないように隠蔽工作を行うのである。
「ただ、死体を集めて火葬した時に数が合わなかったことが少し気になるな」
翁の面を付けた隠密がそう言うと、部隊長でもある犬の面を付けた隠密が重苦しい様子で口を開いた。
「そうだな。あの女魔導師の死体が何時の間にか消えていたことは気になるが、死者に何かが出来るわけではない。今は任務を完了したことを報告することを優先しよう」
「螺旋。拠点にもマーキングを行っていたな? 酷使するようで悪いが火を見て人がここに集まる前にここから離れたい。飛べるか?」
犬の面を付けた隠密が、燃える廃屋を見ながら尋ねると、所々に返り血が付いた面を付けた隠密の青年は淡々と答える。
「手で俺の肩を掴んでくれ。このまま転移する」
螺旋にそう言われた三人がそのまま肩を掴むと、そのまま四人の隠密は転移し荒野から姿を消した
聖アルフ歴1887年
「恨まれても当然だろうな。俺はあの時数百人もの人間を焼き殺したのも同然なんだからな」
短い黒髪の隠密は、顔を歪ませながらそう言った。その顔にはかつて助けられなかった少女だけではなく、目的の為に切り捨てた人々の怨嗟を想像していることが想像できる。
「もう寝よう。考えるほど碌な事が思いつかねえか」
螺旋は、自らの過去に起こった惨劇に目を背けるようにそう言うとそのまま眠りについた。
螺旋は、国外遠征任務以降見なくなっていた学生時代の夢を見た。
夢の中では黒髪の少年が、茶色の髪をした少年と焦げ茶色の長い髪の少女と談笑していた。学校帰りなのか、辺りを夕焼けが覆っている。
「二人はどんな大人になりたいの?」
14歳ほどの焦げ茶色の長髪を風にたなびかせている少女が、そう言うと、我先にと短い黒髪の少年が答えた。
「俺はもちろんみんなを守れるような防人になることだ。綾香の事も守れるようにな」
まだ何も知らなかった頃の黒髪の少年は満面の笑み浮かべながらそう言うと、茶色い髪の少年が口を開く。
「まぁ。そこはお前の努力次第だろ。俺は親父からの生業でもある隠密に成る。今は昔と違って組織として整理されているからな」
落ち着いた口調で茶色の髪をした、後に白夜と呼ばれるようになる少年はそう言うと、綾香が微笑みを浮かべながら口を開いた。
「私の夢は故郷で立派な医者になることかな。故郷のきれいな森や大地、それにそこで暮らす人々を見守りたいかな」
少女がそう言うと、黒髪の少年は満面の笑みを浮かべる。その顔には明らかに将来への希望が宿っていた。
場面が変わり17歳ほどまで成長した黒髪少年は、彼の故郷に存在した体を動かすことに適した広場で運動中に捻った腕を綾香に手当してもらっている。
「ありがとうな。でも傷は男の勲章って言うし――」
黒髪の少年が強がるようにそう言うと、簡易的な医療器具と陽行の回復術式を併用して治療を行っていた少女は、顔をムスッとさせながら少年の小指の付け根を少しつねった。
「痛い!」
「強がってもダメ。傷や痛みは仮に我慢することは出来ても、きちんとした治療をしないと絶対に良くないことになるんだから」
綾香が凛とした表情でそう言うと、黒髪の少年は複雑そうな様子で答える。
「ありがとう。なんかゴメン。アイツにどうしても追いつきたくて無理し過ぎた」
黒髪の少年がそう言うと、綾香は複雑そうに答えた。
「やっぱりそうだったか。でも無理はしちゃダメだよ。少しあそこに座ってお話ししようか」
そう言うと、広場の端に一つだけあった切株を指差す。
「おう」
二人が座ると、綾香はさっきまでとは少し違う内容について話し始めた。
「私は、この世界そのものがとても綺麗だって思うんだ。学校の裏山や何気ない色々な生き物の生きている姿を見て、どんな存在でも皆一生懸命生きているんだなって実感できるから」
「それ前から言ってたよな。お前らしくて良いって俺は思う」
少年がそう言うと、綾香は頷きそのまま話を続けた。
「それでね。さっきまでやってた修行も、一生懸命頑張ってることなんだと私は思うんだ。だから気にしなくていいんだよ」
「ありがとうな。お前は本当に優しい奴だな」
そう言った黒髪の少年は、少し考え込むと、意を決したように口を開く。
「……これ俺を養ってくれてた親戚に反対されるだろうから、まだ誰にも言ってないんだけど、アイツを追いかける形になるけど隠密に成ろうと思っているんだ」
「どうして? 正規軍の防人になることが小さい頃からの夢だったんじゃなかったの?」
黒髪の少年の言葉に驚いた少女が尋ねると、少年は、複雑層に答えた。
「いや。爺さんの日記読んで。昔は無気味で嫌いだった爺さんにも、爺さんなりに平和とか考えてたんだなって思ったのと、【アイツは鬼の血筋だから隠密以外に成れない】って村の年寄が噂してるのを聞いちまってよ」
黒髪の少年が普段とは違う真剣な様子で続ける話に、少女は自らの疑問を晴らすためか真剣に耳を傾ける。それに気付いているのかは分からないが、最初よりは幾分砕けた様子で少年は続けた。
「簡単に言えば。死んだ爺さんの影響を少し受けたのと、ダチが心配になったからってことかな。ちょうど4か月後の適性試験で隠密適性でいい結果を出せば親戚の反対も押し切れるしさ」
黒い短髪の少年が適性試験の事を言及すると、綾香は、疑問が解けたのかパァと笑みを浮かべながら答える。
「そっか。確か卒業前の適性試験で二番目に高い優判定以上を取れば、独り立ちするのと同時に下忍には慣れるんだよね」
「ああ。だからそれを利用すれば俺は親戚に金銭的な迷惑をかけることなく隠密に成れるし、元々木表隠れとか土表隠れみたいな隠行術は昔から得意だったし、最悪じいちゃんの名前を出せば適性試験ぐらい余裕で――」
「最後は期待しない方が良いよ。コネで入っても絶対上手くいかないから」
調子に乗ったように意気揚揚と軽口を叩く黒髪の少年に対して、長い焦げ茶色の髪をした少女は少し怒った様子でそう言った。
「だよな。けど、今言った話は綾香を信頼してるから話したんだからな。他の村や町の連中には内緒だからな」
黒髪の少年がそう言うと、綾香は柔らかい笑みを浮かべながら答える。
「そこは分かってるよ。卒業までの秘密だね」
少女の答えを聞いた少年は、先ほどまでの真剣な様子とは違う、少年期には良く見せていた万年の笑みを浮かべた。
起床時間よりも少し早く眠りから覚めた螺旋は、天井を眺めながら口を開く。
「昔の夢か……」
夜明けの光に照らされた螺旋の顔は、表情の無いはた目から見れば無気味な物であった。上半身を起こした螺旋は、手で口元を抑えながら口を開く。
「俺は結局綾香が綺麗だって言っていた世界を守れているのか? 俺は綾香が見出していた一生懸命生きている素朴な民をただ自分の所属している集団の都合に応じて殺しているだけなんじゃないか」
痛々しいまでに顔を歪めながら短髪の男は続ける。
「けど、そうしないと世界に存在する国と言う枠組みが瓦解する可能性が生まれ、そして大きくなるのもまた事実だ。そうすることで救われる命もあることは事実だ。けど……」
黒髪の男は、自分が今まで手にかけた人々を頭痛を無視して思い返しながら、自分の行いで既存の国や利益が固持されていることを改めて思い知った。そして、それと同時に、彼の頭にはある仮説が浮かぶ。
「仮に今綾香が生きていても、俺はそれが任務になればお前を殺さないといけないんだろう。お前の命は俺にとって正直国より重い筈なのにな」
虚ろな目で部屋の壁を眺めながらそう言った螺旋は、上半身を起こしたまま再度天井に顔を向け、自分以外誰もいない部屋で誰も答えないと分かっている状況で口を開いた。
「なぁ綾香。俺は間違っているのか? こんな戯言、手を血で染めて犠牲を厭わないなんて宣言した筈の俺にはもう誰にも言えないんだよ」
「心が痛いな、綾香。お前が生きていない世界は、俺には灰色の無機質な世界にしか見えない……」
螺旋はそう言うと、再度体を布団に横たえ、起床時間まで再度眠りについた。
螺旋が過去の夢から覚めた頃、第五地区の隠密指令室で白髪の男は、以前大まか説明を受けていた任務の詳細な説明を受けている。
「来たね。白夜」
国に9人しか存在しない隠密頭【影】の一人であり、白髪の男の上司にあたる20代後半の男、紅は淡々とした口調で口を開いた。
外見は年齢よりも少し若そうな赤みが買った茶色い髪をした優男と呼ぶのが妥当な美男子である。
「任務の詳細は?」
白夜は、その場に控えたまま紅に任務の内容を尋ねた。白髪の男が、雰囲気からただの任務でないことは感じ取っていることは容易に読み取れる。
「今回の任務は今まででもかなり厄介な任務だ。厄介な要素が主に二つある」
「まず第一に、第三地区の山奥に本拠を構えている【土御門】が僕らに任務をよこしてきた。僕ら第五地区と第二地区伊勢との合同任務になる」
紅の言葉に驚きを隠せない様子で白夜は口を開いた。
「普段は独自の法術研究を続けている神属族の中でも最大規模を誇る二大一門の一つがですか!?」
驚きを隠せない様子の白夜に対して隠密頭は淡々と説明を続ける。
「その通りだよ。今回の任務は、第2地区で一般人として生活している土御門の分家に当たる少女とその家族の保護だ」
「この任務が僕たちに回ってきた理由は、現在大陸のシン国からスパイが潜入していて、こちらよりも早く対象を拉致しようとしていることだ」
「これが厄介事その二だよ。今のシンは旧ロマシア帝国で研究されていた人造魔獣や人体改造による呪的適正の底上げ、及び追加と、それに伴う軍拡にかなりの力を入れている」
隠密頭は不快感を隠すことのない口調で続ける。
「連中は呪的適正の高い人材を世界中で拉致している。彼らの研究の材料になる人間は質が良いに越したことはないらしいからね。今回の対象も例外ではない」
紅の言葉を受けた白夜は、肯定を示すように頷いた。それを確認した隠密頭は任務の内容を伝え始める。
「白夜には対象の家族が住んでいる第二地区の山奥に存在する小規模の村に潜入してもらうことになる。僕ら第五地区から後方支援要員に君もよく知っている木猿と螺旋を向かわせる。バックアップを前提としているとしても、上忍が君を含めて三人も動員するということはどういうことかは分かるね?」
平時の穏やかな物腰とは異なる隠密頭としての厳格な態度を感じ取った白夜は、控えたまま目礼した後に口を開いた。
「承知しました。此度の任務必ずや成功させます」
白夜がそう言うと、紅は、先程よりは幾分抑えながらも、隠密頭としての顔のままで答える。
「よろしく頼む。後、第二地区の隠密もサポートに入る手筈になっている。確たる証拠はないけれど。彼ら第二地区の隠密にスパイが紛れ込んでいる可能性が高い」
「今回の任務に限り、君の一族が代々引き継いでいる魔界の鬼人の力を第二段階まで使用することも許可する」
そう言うと、今度は最初の柔らかな物腰に戻った紅は人当たりの良さそうな笑みを浮かべながら続けた。
「まぁ。許可した僕が言うのもあれだけど、力の使用は慎重に頼むよ。国内とは言え事後処理は面倒だからね」
「了解しました。善処します」
そう言った白夜は、立ち上がりそのまま指令室から出ようとしながら頭の中で、近年目撃件数が激増している蛸のような怪物の事を今回の任務と繋げて考え始めていたのである。
(俺だけじゃなく一つの任務に上忍を三人も動員するとは。やはり今回の任務は元の依頼主も考えれば、近年の怪物の目撃例とも関係があるのか?)
指令室から出た白夜は頭の中でそう思案しながら、任務の支度を本格的に始めるために自室へと戻った。
次章へ
どうもドルジです。
今回は、以前の話ではできなかった螺旋の隠密になる前の掘り下げと、次章への導入がメインです。
前回今回の話を入れなかった理由としては、もともとが過去の回想という側面があった物語に別の回想を章をまたぐことなくそのまま入るのは良くないと判断したためです。
次章からは白夜がメインの話となります。