必要悪を担う者 木猿の章 【一ノ一】
聖アルフ歴1887年
焦げ茶色の髪をした隠密は、自室で指令所を眺めていた。
「【脱走した第二地区の中忍は、現在第五地区方面へと逃走中。この抜け忍を第五地区から出すことなく始末しろ】か。口を早く封じておく必要があるな」
そう呟いた隠密の男は、指令書に記されていた今回の任務での抹殺対象の情報を整理する。
(相手は30代前半の男性、得物は刀で金行の術式と剣術を併用する戦闘技術を習得していると記されていたな)
(金行を相手に金剋木の木行で真っ向勝負を挑むのは、かなり不利だ。潜伏地の情報を掴んで不意打ち出来ればいいが)
戦闘における相手の特徴を改めて頭の中で整理した木猿は、机に置かれた猿の造形をした面の横に指令書を置くと、白み始めた空を眺めた。
(さっそく目撃情報があった場所に向かった方が良いかな。他国に渡ったら隠密としての秘密が漏れる可能性も十分ある)
空が青くなるのを眺めていた木猿は、隠密としての防具に着替え終えると、変装用の服と暗器一式が入った道具入れを手に持って目撃情報が有った町へと向かうための転移術式を使える部屋へと向かう。
木猿がしらばく廊下を歩くと、転移術式を行うための部屋の扉が見えてきた。木猿が扉を開けようとすると、中忍用の装備を纏った隠密の男性が声を掛けてくる。
「何処に行くんだ木猿?」
男性が声を掛けてきたことに気付いた木猿は、咄嗟に人当たりの良さそうな笑顔を受かべながらと、ありきたりな口調で答えた。
「これから任務で第五地区南部に向かうだけだよ。その様子だと任務が終わって他の拠点から転移術式を利用して戻ってきたところだね? 早く報告に戻った方が良いよ」
(またこいつか。隠密の職務をなんだと思っている馴れ馴れしい)
木猿は、心の中で毒を吐きながらも印象が良さそうな口調でそう答える。木猿に声を掛けた中忍は少し嬉しそうに口を開く。
「そうだな。大丈夫だと思うけど、お前も無茶するなよ」
中忍はそう言うと、指令室の方向へと足を向ける。それを見送る形になった木猿は、中忍の背中が見えなくなったことを確認すると、呆れ果てたように口を開いた。
「相変わらずヘラヘラした奴だな」
吐き捨てるようにそう言った焦げ茶色の髪をした隠密は、転移術式の施された部屋へと入った。
木猿が部屋に入ると、転移術式を行うための部屋を管理している隠密が声を掛けてきた。外見は木猿より少しだけ年上と思われる中忍用の装備を纏った男性である。
「話は聞いている。第五地区南方の軍港まで転移を行うから、座標の調整が終わるまで部屋の中でのんびりしておいてくれ」
部屋を管理している隠密は、少し懐かしそうに続けた。
「……お前も孤児院時代から大分変わったな。昔は人当たりも悪い方だったがな」
転移術式を行うための部屋を関している隠密がそう言うと、木猿は、一瞬驚いたように顔を歪めると、取り繕ったように答える。
「別に変ってはいませんよ。最低限の社交性も隠密として必要なだけですし」
木猿がそう答えると、部屋を管理している隠密は、目を伏せながら答えた。気まずいのか、目線こそ合わせないけれども、その口調は、何処か楽しげなものである。
「確かに本質が変わったわけではなさそうだな。お前が孤児院に来てすぐ同様生意気だ」
部屋を管理している隠密がそう言うと、木猿は幼少期を思い出していた。
幼い頃に両親を亡くした木猿は、第二地区に建てられた隠密を育成するための孤児院に預けられ、5歳から隠密になるための訓練を受けて育てられたのである。
当時の木猿は、隠密としての座学や実戦に関係する訓練だけではなく、時には冷徹さを必要とされる隠密としての心構えを幼少期から学び、物にしていたのであった。
「そう言えば昔は口も悪かったか。第九地区のような国境に面した地域は国の直接支配下に置くべきだって昔から言っていたな」
部屋を管理している隠密がそう言うと、木猿は冷静な口調で答える。
「今でも同じ考えですよ。国益を純粋に追求するなら、あの地域は国直轄の要塞化させた方が効率的ですから。第九地区だけではなく、他の事柄でも同じです。隠密たる者は国のために尽くすことは当然のことですから」
「ただ、隠密になって実戦経験を積めば積むほど簡単にはいかないことも痛感しましたね。第九地区だけでも、そこに住んでいる人間が居ますし、簡単ではないですね」
「だから、同業の人間でヘラヘラしていて覚悟の足りない奴は嫌いですね」
木猿がそう言うと、部屋の管理をしている隠密は、部屋の中央に設置されている水晶のようなものを触りながら感慨深そうに口を開いた。
「お前にも悩みの一つは有ったのか。昔から生真面目な上に結構えげつないこと色々言ってはいたけど、そう言うところを気にはしてたわけか」
隠密の男性はそう言うと、水晶の方へと意識を向ける。しばらくすると、部屋を管理している隠密は、水晶に手を当てたまま木猿に話しかけた。
「そろそろ、座標の調整が終わる。話を振っておいてすまないが、少し集中させてもらう」
部屋を管理している隠密がそう言うと、木猿は、僅かに首を縦に振る。それを確認した部屋を管理している隠密は、水晶玉に意識を集中させた。
「陰気、座標を繋ぎ我らを導かん。陰行、座標転移」
部屋を管理している隠密が陰行の術式を練り上げると、水晶玉を触媒として部屋全体を高密度の魔力が覆い、水晶玉が蒼く輝く
しばらくすると、水晶玉の輝きが弱くなり、部屋を覆ている魔力の奔流が収まった。
「転移完了。第五地区南部に移動を終えたぞ」
部屋を管理している隠密がそう言うと、木猿は足元に置いてあった道具入れを手に取ると、そのまま部屋から出ようとする。
「死ぬなよ。第五地区の隠密の中で俺と同じ孤児院出身はお前だけだから、死なれたら寂しくなるからな」
転移術式を行う部屋を管理している隠密がそう言うと、木猿は少し不機嫌そうに答えた。
「僕がそう言う馴れ合いは嫌いなことを知っていて言ってますか? 社交辞令として必要なことは知っていますが、心配しても任務は成功しませんから、やめてくださいね」
冷淡にそう言った木猿は、そのまま転移術式を行うための部屋から出て行く。それを見ていた隠密は、それ以上は何も言うことなく後姿を見送った。
続く
こんばんわドルジです。
今回は抜け忍を討伐するためのお話の冒頭になります。今回の話の主人公である木猿は、おそらくこの作品の中で一番感情移入のしにくいキャラクターだと思いますが、ご容赦ください。




