南の海に潜む者たち 探索編 黒の章 【一ノ三】
聖アルフ歴1887年
銀髪の女性を蛸のような怪物から助けてから二日後。黒は、町の中央部に存在する門の前で冒険者の女性を待っていた。
「そろそろ待ち合わせの時間かねぇ」
気怠そうに黒がそう言いながら町の一角に目を向けると、銀髪の女性が、こちらに走って来ているのが目に映る。
「申し訳ありません。時間ギリギリになってしまいした」
銀髪の女性は、申し訳なさそうにそう言った。それに対して獅子の面を付けた隠密は、剽軽な態度を崩すことなく答える。
「気にすることないって。時間には間に合ってるんだし、問題はねえよ」
黒がそう言うと、冒険者の女性は何処か安堵したように顔を緩めた。
「そんじゃまぁ。早速探索を始めようぜ。二日ぐらい間が開いたことも考えれたら、時間は五日しか無いわけだしよ」
「今日は、主に都心部や図書館の資料とかを中心に調べて、明日ぐらいから足を使って地道に町はずれも調べていくってことでいいか?」
黒がそう言うと、銀髪の女性は無言で頷く。
「そんじゃまぁ。早速この第九地区でも最大の図書館に行こうぜ」
獅子の面を付けた隠密は、そう言うとそのまま図書館がある方向へとさっさと駆けていった。
「ダメだ。やっぱり、第九地区出身の冒険者に、雷使いが居るなんて記録が無い」
図書館に到着してから二時間。黒は冒険者ギルドに関係する書物を一から調べるけれども、そこには銀髪の女性が探している冒険者の痕跡はほとんど見られなかったのである。
「なぁ。アンタの恩師の顔ってそんなに俺に似てたのか?」
獅子の面を付けた隠密は、何気なく気になった疑問を、黒塗りの軽鎧を纏った女性に問いかけた。
「はい。顔と背格好に限れば瓜二つです。ただその……」
「あ。性格が俺みたいにヘラヘラしてねぇって所か? 俺が馬鹿なのは何だかんだで自覚はあるから、気にしなくて良いぜ」
黒がそう言うと、銀髪の冒険者は真剣な顔で答える。
「そうですね。今思えば、あの人は色々なことを抱え込んで心が摩耗していたんじゃないかと今になって思います。不器用としかいえないですが……」
銀髪の女性の答えを受けた黒は、自分の先輩格に当たる二人の隠密を思い出し心の中で苦笑いした。
(それって、顔は俺そっくりだけど、性格は白夜さんとか、螺旋さんとかみたいな暗いタイプだってことかねぇ。少し人物像は分かって来たかも)
「あまり役に立てなくて申し訳ありません」
「良いって。気にすんな」
黒は、相手を気遣うようにそう返しながらも、頭の中でどうすればいいかを、自分なりに考え始めていた。
(正直図書館で分かることはもう無さそうだな。何より、こんなにたくさんの本ばっかり読んでたら頭痛くなりそうだぜ)
(けどそう言えば、古式術式を使えたらしいんだよな。そこも少し確認してみるか)
頭の中で考えをまとめた黒は、銀髪の女性に声を掛ける。
「そういえばアンタの師匠って、資料に書いてある通りなら【雷天・武御雷】って古式術式を使えるんだよな? これに関係することで何か分かることって無いか?」
黒がそう尋ねると、銀髪の女性は灰色の瞳を伏せながら答えた。
「申し訳ありません。この国の術式については学術本では学んだのですが、いささか術式の範囲が広い上に、二つの体系に別れていることも相まって理解できていない部分が多いんです。むしろ、出来る事なら説明してくださると幸いです」
銀髪の冒険者の答えを聞いた黒は、獅子の面の下で顔をしかめながら答える。
「あぁ。一応俺でも下忍時代にこの国の術式基本的なことは、学んではいるけど、簡単に言うと、この国には精霊の力に似通った心法って呼ばれている古い術式と、陰陽五行式って呼ばれてる、今のシン国周辺が発祥でこの国では比較的新しい術式の二種類が存在しているんだ」
黒は頭にある知識を総動員しながら続けた。
「アンタの師匠が使ってたらしい【雷天・武御雷】や、俺の同僚がアンタを助けるときに使った【大黒天・魔装】が心法に相当するな。西洋魔術にならって、理論的に理解できるように改良された陰陽五行式の方が習得難度は低いかな」
「まぁ、どういう経緯かは知らないけど、この国での今の常識としては、陰陽五行式をすっ飛ばして心法を習得してるのはかなり珍しいことだな。なんせ、武御雷は陰陽五行式における雷行と金行の二つの適性が無いと使うことが出来ないからな」
黒の長めの説明を受けた銀髪の冒険者は、少し考えこむように口を開く。
「確か師匠はドベルドに残っていた古い魔術書を読んで独学で学んだと言っていました。魔術書を読んだだけでも習得できるものなのでしょうか?」
黒い軽鎧を纏った銀髪の女性がそう尋ねると、黒は、考え込むように首を横に傾けながら答えた。
「10年近く地道に鍛錬を続ければ、ひょっとすると習得できるかもしれないけど、真っ当な術使いには大きく劣るだろうな」
そう言った黒は、頭痛に苛まれるかのように頭を押さえる。黒は、その様子を少し心配そうに見ている銀髪の女性に対して口を開いた。
「術式に関することは少し理解が深まったと思うし、少し早いかもしれないけど、町はずれを地道に探して行く方向に路線変更しようぜ。ここよりも詳細な文献資料が有るところなんて、俺の権限じゃ入れないところにしかないしな」
獅子の面を付けた隠密がそう言うと、銀髪の冒険者は首を縦に振る。
それから二人は、第九地区の都心部から徐々に外側に範囲を広げながら地道な聞き込みを続けた。
「これって奉行人とかがよく失踪者の捜索任務とかでやってる仕事だよな」
夕日を眺めながら獅子の面を付けた隠密は、弱音を吐くようにそう口にする。
「そう言えば、二日前に一緒に居た同僚の方はどちらに?」
銀髪の女性がそう尋ねると、黒は夕日を眺めたまま答えた。
「あいつは、元々俺たちが請け負ってた任務の調査をやってる。南方の無人島を奉行人が調査しようとしたら、消息を絶ったらしい」
「そんな危険な場所の探索をあの方一人に任せて良いんですか?」
銀髪の冒険者の問いかけに対して、黒は仮面ごしからでも分かるような、困ったような様子で答える。
「俺もそこは気にならないわけじゃねえけど、無理に二人で探索しようとすると、海の上で墜落するかもしれないからな。偵察だけならアイツ一人の方が問題は少ないんだよ」
黒の言葉を受けた銀髪の女性は、丁寧な口調で答える。
「相方を信頼しているんですね」
「まぁな。堅物で抱え込む所も有るけれど、根は悪い奴じゃねえんだよ」
黒はそう言うと、銀髪の女性は穏やかな口調で口を開いた。
「そうなんですか。無理なお願いをした私が言うのもおかしい話ですけれど、無理はしないくださいね」
黒塗りの軽鎧を纏った銀髪の冒険者がそう言うと、獅子の面を被った隠密は剽軽な態度を崩すこと無く答える。
「ありがとうな」
そう言いながらふと周辺の建物を眺め始めた黒は、何かを思いついたかのように突然口を開いた。
「そうだ。ここ俺の家の近くだし内に少しだけ来るか? あんたの支障が俺に顔が似ているなら、案外俺の登園親戚とかかもしれないしな」
黒の思いつき同然の言葉を受けた銀髪の女性は、目を丸くしながら答える。
「でも良いんですか?」
「良いって。俺の実家なら親父はもちろん爺さんも居るし手がかりぐらいは有るかもしれねえしな」
不安げな冒険者の言葉に対して、黒は胸を張りながらそう答えた。
「……分かりました。最後に少しだけでいいなら」
銀髪の女性の言葉を受けた黒は、目を輝かせながら手を引っ張りながら口を開く。
「なら善は急げだ。すぐに行こうぜ」
獅子の面を付けた男は、銀髪の女性の手を引っ張りながらそう言った。銀髪の冒険者は苦笑いしながらもそのまま手を引かれながらついて行くことになったのである。
それから五分ほど歩くと、黒の実家と思わしき家にたどり着いた。
「帰ったぜ親父。ちょっと調べものしたいから爺さんと話したいんだけど大丈夫?」
玄関を平然と開いた黒は、大きな声で中に向かってそう言うと、中から中年男性の声が返ってくる。
「良いぞ。入れ入れ。爺さんは一階の奥の部屋に居るぞ」
黒の父親と思わしき中年男性の言葉を受けた黒は、そのまま銀髪の徐瑛の手を引っ張りながら建物の奥へと向かって行った。
「あの、大丈夫ですか?」
銀髪の女性の問いかけを受けた黒は、剽軽な態度を屑くことなく答える。
「平気だって。鴉にばれなきゃ問題無いし、声でみんな俺の事はわかるからな」
黒がそういいながら、廊下を進んだ奥の部屋の扉を開いた。
「爺さん。悪いけどちょっといいか?」
黒は部屋の布団に横たわっている老人を見据えて、まるで遠慮することなくそう口にする。
「おお、どうした。お前がワシのところに来るのなんて大狂騒関連の話を聞きに来る時ぐらいだと思っていたんじゃがのぉ」
老人の言葉を受けた黒は、後ろで【大狂騒】という言葉の意味を理解できていない銀髪の冒険者のことを気にかけながら、口を開いた。
「単刀直入で聞くけど、俺らの肉親で冒険者になったりした奴っている? 最低限でもこの第九地区を出て行った奴って居るか?」
黒の言葉を受けた布団に横たわっている老人は、顔を黒の方に向ける。体こそ弱っているようではあるが、その眼には強い意志が宿っていた。
「後ろに居る女性が関係しているのか?」
「その通り。この人恩師の足跡を探してて、その恩師が俺の顔瓜二つらしいんだよ。爺さんには心当たり有る?」
黒の言葉を受けた老人は、少し考え込むと、重々しく口を開いた。
「40年前にだが、ワシの妹が、本州から旅行という形でこの第九地区に来た古武術を学んでいる男と結婚して本州に渡ったことが有る。噂では20年ほど前に山奥で魔物の群れに襲われて死んだらしいが、ひょっとすれば……」
「ひょっとするとどうなんだよ?」
黒が急かすと、老人は重々しい口調のままで続ける。
「その時に二人の息子が生き残ったものの、そのまま消息を絶ったと聞いていたが、その恩師と言われている男は、ひょっとすると二人の息子のことかもしれない」
「本当ですか? どの地域に居たかについても何か情報は有りませんか?」
今まであまり口を開かなった銀髪の女性が、そう言うと、老人は重々しい口調のままで答えた。
「確か第三地区の山奥だと聞いている。今行ってもそこに何かがあるとはとても思えんがな」
老人がそう言うと、銀髪の冒険者は、少し落胆した様子で肩を落とす。それを見ていた黒は、気まずそうに口を開いた。
「貴重な情報ありがとうな爺さん。俺まだ任務の途中だから、今日はこれで帰るよ」
黒はそう言いながら、再度銀髪の手を握るとそのまま部屋を出ようとする。
「……あまり大した情報を提供できなくてすまんの」
老人の言葉を受けた黒は、普段の剽軽な態度とは少し異なる真剣な口調で答えた。
「いや、俺も急に押しかけて悪かった。体大切にしてくれよ」
それだけ言った黒は、そのまま部屋を出ると、両親に人子だけ挨拶をして、自らの実家を後にする。
二人が黒の実家からしばらく歩いていると、銀髪の女性は、少し気まずそうに口を開く。
「あの、黒さんにも家族が居るんですよね」
「急に当たり前のこと言ってどうした?」
黒がそう答えると、黒塗りの軽鎧を纏った銀髪の女性は、複雑そうな口調で答えた。
「私は幼少のころに父を殺されていて、すぐに母と弟とも生き別れになってしまったんです。二人の足跡も冒険者になってから探ったんですけど、二人とも私が見つけた時にはもう死んでいたんです」
銀髪の女性の言葉を受けた黒は、気まずそうに口を開く。
「そうだったのか」
獅子の面を付けた隠密が複雑そうにそう言うと、銀髪の冒険者は遠い記憶を思い出すように答えた。
「はい。そんな私を救い出してくださったのが師匠でした。あの人が居なかったら、私は人並みに生きることは出来なかったと今でも思います」
「何ていうか、アンタも大変だったんだな」
「私なんてまだマシな方ですよ。酷い例も世界中にはたくさんありますから」
銀髪の女性がそう言うと、何かを思い出したかのように獅子の面を付けた隠密に問いかける。
「あの、先ほどの老人との話出た【大狂騒】とは具体的には何のことでしょうか? 80年ほど前にこの国で起きた惨劇であるということは知っているのですが……」
銀髪の冒険者がそう尋ねると、黒は答え辛そうに息を漏らした。しかし、目の前の女性が真剣に聞いていることを悟ると、普段の飄々とした様子とも戦闘時とも異なる冷淡な口調でっ答え始める。
「大狂騒って言うのは、シン国が100年単位でこの大和皇国を内側から食いつぶそうとした国ぐるみの破壊工作と、その破壊工作が約80年前辺りに失敗した末に起きた、この国に当時在住していたシン国人による無差別攻撃のことだな。虐殺って言えばわかりやすいか?」
黒の言葉を受けた冒険者の女性は、灰色の瞳を驚愕のあまり見開く。獅子の面を付けた隠密の目には、今までにまるで見せなかった憎しみが宿っていた。
「魔導戦争終結後の第九地区は、大和皇国と同盟結んだアメスリア国の要塞が多く点在してて、シン国の息のかかった工作員が、この地域に特に力を入れて二国間の関係を悪化させてアメスリア国の軍を追い払おうとしてたんだよ。大和皇国を侵略するためにね」
「あの国は、昔から自分たちの民族こそが文明の中心で、他国は自分たちに隷属して朝貢することが当然だって考えていたんだよ。だから、意地でも大昔に独立したこの国を征服して、そのうえで全世界を自分たちの秩序のもとで支配したいらしい。馬鹿げてるだろう?」
出会ってから僅かしか経ってない相手が、尋常ではない敵意をむき出しにして語る様に唖然としながらも、銀髪の冒険者は何とか耳を傾けた。
「魔導戦争が終結してからの大和皇国は、戦争やそれに関連することを嫌うようなったことを良いことに、シン国は教育やら情報を扱う分野に工作員やスパイを大量に送って、国単位で100年ぐらいは良いよう利用されたんだぜ。挙句の果てに、国が少し本気出して対処しようとしたら、逆恨みで組織的に民間人を狙って大量殺戮を行うような奴らだぜ。嫌われて当然だろ?」
黒は、一瞬間を置いて今まで以上に低い怒りと憤りが混じった音色で続ける。
「おまけに、俺ら第九地区の出身者は、同じ大和皇国の人間から、【敵のスパイを目先の生活を守るためだけに見て見ぬ振りをして死者を増やした売国奴だ】って、大狂騒が終わって20年ぐらいは白い眼で見られて陰口を叩かれる始末だ。さっきアンタが合った俺の爺さんがちょうどその世代だ」
そう言った獅子の面を付けた隠密は、まるで自分自身の無力を呪うかのように壁を素手で殴った。ため込んでいた心の闇を吐き出したようにため息をついた黒は、幾分冷静さを取り戻したように続ける。
「まぁ大狂騒ってのは、この国にとってかなり大きな人災だったってことだな。アンタが聞いたことの答えは、俺が語れる範囲じゃこんなもんだ。関係ない筈のアンタに八つ当たりしちまう形になって本当に悪かった」
「いいえ、私から聞いたことですから。ただ、一つだけ聞かせてください。貴方はなぜ国の汚れ仕事を担う職に就いたんですか?」
銀髪の冒険者からの問いかけに、黒は先程よりは幾分落ち着いた態度で答えた。
「簡単なことだよ。同じことがまた起きて俺の家族や、慣れしい顔なじみが死ぬのが嫌だからこの仕事に就いたんだ。奉行人や防人だと、どうしても後手に回る傾向もあるからな」
そう言った獅子の面を付けた隠密は自分自身を嘲笑うように続ける。
「最も、結局は自分の家族やダチが無事ならそれでいいってことで、必要に応じて私情を殺さないといけない隠密としては、落第級の心構えなんだけどな。鴉にはこのこと内緒な」
大狂騒について一通り話した黒は、複雑そうな様子で口を開こうとする。しかしそれよりも早く、明らかに人間とは違う異質な気配を感知した黒は、得物であるトンファーを取り出した。
「この気配間違いなく前の奴だ。アンタの剣術じゃジリ貧になりかねない。立ち話してる場合いじゃねえし、アンタは先に帰ってろ」
獅子の面を付けた隠密がそう言うと、銀髪の冒険者は横に振って腰に差していた剣を鞘から取り出す。
「いいえ、私も共に戦います」
「何言ってんだ。アンタじゃ勝ち目が薄いんだから、個々は雷行を使える俺が戦うのが最善だろ!?」
獅子の面を付けた隠密の言葉を受けた銀髪の冒険者は、真剣な面差しで答えた。
「私の師匠の教えに、【どんな時でも後悔をしないようにしろ】という教えが有るんです。ここで私だけ逃げたら私は絶対後悔する。だから絶対に私だけが逃げるわけにはいきません」
銀髪の冒険者がそう言うと、獅子の面を付けた隠密は、根負けしたように口を開く。
「分かった。ならあまり俺から離れるなよ。お互いに近距離がメインだと考えたら、連携を取るためにも離れすぎるのは良くないからな」
黒がそう言うと、銀髪の女性は少し意外そうに口を開いた。
「連携を考慮するとは意外でした」
「連携にうるさい同僚が居るからな。てか、俺あんたにも馬鹿扱いされるのかよ!?」
黒は自らの扱いに対して不服そうにそう言うと、少し深呼吸をしてから口を開く。
「気配はちょうど浜辺の方からだな。行くぜ」
獅子の面を付けた隠密がそう言うと、黒塗りの軽鎧を纏った銀髪の冒険者は首を縦に振った。
続く
おはようございますドルジです。
今回は物語のつなぎに相当する部分と、銀髪の冒険者の求める情報の手がかりがわずかながら手に入る話です。
次は恐らく戦闘パートになると思います。
7月10日
古式術式(心法)と黒が見聞きした情報に基づく大狂騒に関連する一端がすっぽり抜けていたため、加筆したしました。誠に申し訳ありません。