南の海に潜む者たち 探索編 黒の章 【一ノ一】
聖アルフ歴1887年
白夜が第二地区での任務を終えた頃、大和皇国南端の第九地区に遠征任務に出ていた二人の隠密は、遠見の術式での報告を終えていた。そして、三日後に行われる第九地区を担当する防人が行う襲撃作戦のサポートを行うように指示を受けたのである。
「なぁ鴉。俺らが探索した今回の怪物って、シンかロマシアの旧皇帝辺りが作った生物兵器じゃね?」
適度の長さで切り揃えた黒髪に中忍までの共通の防具を纏った男が、気怠そうにそう言うと、鴉と呼ばれた長い黒髪に同じく中忍までの共通の防具を纏った女性は、淡々とした口調で答えた。
「そうかもしれないわね。それを見極めるために私たちも三日後の襲撃作戦に参加するんでしょ?」
そう答えた鴉と呼ばれた若い女性の隠密は、冷静さを損なうことなく続ける。
「相手が他国の手の物なら対処は簡単よ。目の前の敵を叩いた後に、私たちのような裏方が黒幕を始末すればいいだけなんだから」
「問題は、私たちも一度戦ったあいつ等は人間とも魔族とも違う未知の生命体の可能性が存在していることよ。魔族に関係するなら大魔王が黙ってはいないでしょうし、人間側の出来事ならば、三日後の襲撃で誰が糸を引いているか分かるはずよ」
鴉がそう言うと、黒髪の男性は面倒くさそうに口を開いた。
「俺面倒なんだけど。そもそもお前がさっき言ってたことに何の意味があるのか全然わかんねえぞ」
「呆れた。黒みたいな戦闘能力と隠行以外に取り柄のない猪がどうやったら隠密になれたのかしらねぇ」
鴉が頭を抱えながらそう言うと、黒と呼ばれた男はヘラヘラ笑いながら答える
「いやいや。戦闘力と身を隠せる隠行がある程度出来れば問題ないんだって。前にも言ったじゃん」
黒がおどけた様にそう言うと、鴉は頭を抱えたまま答えた。
「そう言えばそうだったわね。それにしても猪頭にも程があるわ」
「この第九地区に到着した時にも、今回の任務で今まで正体が分からなかった怪物が、どこかの国が生み出した生物兵器なのか、未知の存在なのかを見極められるかもしれないって話はした筈でしょう?」
鴉が呆れ果てたようにそう言うと、先ほどまでのヘラヘラした態度から少し改まったような様子で黒は答える。
「そのことを話してたのは、さすがに覚えてるよ。あの時は本気に何てしてなかったけどな」
時は三か月前にさかのぼる。西の空へと太陽が沈み始めたころに二人の隠密は第九地区へと到着した。
「どうよ、俺の故郷は! 透き通った海に南国の陽気! 最高だろう!? なぁ!?」
生まれ故郷を懐かしむように胸中の防具に獅子の面を付けた男の隠密がそう言うと、共通の防具に隠密としての名と同じ鴉の面を付けた女の隠密は頭を抱えながら口を開く。
「……貴方は相変わらずの単細胞ね。今回がかなり重要な任務なのを忘れているんじゃないの? 休暇じゃないのよ」
「今回の任務で今まで色々な国での目撃情報や面では伏せられているような民間人への襲撃の理由を解き明かせるかもしれないのよ。気を引き締めなさい」
事前に手配した拠点へと向かいながらも鴉は任務の途中とは思えないほどに気怠そうな同僚を咎めるようにそう言った。鴉の言葉を受けた黒は、気怠そう答える。
「相変わらず俺には辛辣だねぇ。任務でも組むこと多いんだからもう少し仲良くしようぜ。そもそも、今回の敵さんはどこの誰とも分からない蛸モドキだろう? 居るかどうかも分からねえ奴にやる気だすとかありえないって」
「そんなにイライラしてたら、せっかくの美人が台無しだぜ? 調度いいし俺の家族に会うか? 職場の同僚の顔を見せたら親父やお袋喜ぶだろうなぁ」
へらへら笑いながら獅子の面を付けた隠密がそう言うと、鴉の面を付けた隠密は目の前に拠点の門が見えてきたことを確認した後に、獅子の面を付けた隠密をごみでも見るかのような目で見ながら口を開いた。
「私は、あなたみたいな軽はずみで短慮な男は嫌いなの。それに女を口説くなら、任務が終わってから勝手にしてなさい」
鴉の面を付けた隠密は、それだけ言うと拠点の門番に声を掛け二人分の滞在許可を取り始める。それを後ろで眺めていた黒は、少しヅレかけていた獅子の面を直しながらボソリと口を開いた。
「いや。口説いたわけじゃなかったんだけどなぁ。どうせ今回の任務じゃ何もないだろうし。もう俺の故郷は爺さんや親父が若い時とは違って平和になったんだよ」
鴉と黒が第九地区の探索を始めて一週間が経過した時点では確かに何も見つからかった。
「おーい一週間探索して分かったと思うけど、俺の故郷は平和なんだよ。俺の爺さんの世代で大狂騒を乗り越えて平和になったんだって」
黒が夕日を眺めながらそう言うと、鴉は冷静な口調で答える。
「最低でも一か月は探索を続けて、状況次第では三か月まで探索を伸ばしてもいいと指示を受けているわ。」
鴉がそう言うと、黒は獅子の面を外しながら答えた。
「へいへい。相変わらず真面目だねぇ。そんなに頭ばっかり使ってるからまな板――」
黒が言葉を言い切るよりも早く、鴉が投擲したクナイが黒の頬を掠る。
「よく聞こえなかったのだけれど、今何か言おうとしたかしら? もう一度行ってくれないかしら?」
黒が恐る恐る鴉の目を見ると、仮面ごしでも分かるほど不自然に目が笑っていた。
(やべぇ。貧乳ネタは鴉相手には禁止だったのすっかり忘れてた)
(仕方ねえ。あまり他人の個人情報に踏み込みねえけど、今日の朝偶然見た魔導写真の話でも振って誤魔化すか。死にたくねえ)
「いや。そう言えば今日の朝部屋を出るときお前のカバンから飛び出てた魔導写真が気になってな。ほら、魔導写真なんて高級品はあんまり見かけないだろう?」
魔導写真の話を振ったことで鴉の怒りが弱まったことに気付いた黒は、咄嗟に写真の内容について問いかける。
「そう言えばあの魔導写真に写っていた奴は、誰なんだ? お前ともう一人お前によく似た子供が写ってたけどよ」
黒の言葉を受けた鴉は、何処か焦った様子で答えた。先程の怒りを抑えることには一応成功したようである。
「あれは、五年前に私の大切な妹と撮った写真よ。あの子今は元気にしてるかしら」
鴉は本州の方角をどこか懐かしむように眺めながらそう答えた。
「妹さんと何かあったのか?」
「……ええ。私が隠密になる前に大喧嘩をしたのよ。三年ぐらい前だったかしら」
鴉はまるで他人のことを話すかのような口調で続ける。
「【お姉ちゃんは家督を継ぐべきだから、隠密になっちゃいけない】って言われたわ。あの家からは絶対に出たかった私は、いくら妹の頼みでもどうしても譲れなかったのよ」
鴉の話を聞いていた黒はふと思いついたように口を開いた。
「まさか妹と喧嘩したって、そのまま喧嘩別れしたのかよ!?」
黒の言葉を受けた鴉は目を逸らしながら答える。
「そうよ。妹とは出来れば仲直りしたいけれど、あの家に戻る気はないし、会う機会が無いから仕方ないのよ」
「それよりもさっき――」
鴉が再度目に怒りをたたえて暗器を取り出そうとした次の瞬間、刀剣がぶつかり合うような音が浜辺の方から突然響いた。
「ちょい待った。何かヤバそうな音が聞こえたぞ。俺なら近道を知ってるから、着いて来てくれ」
獅子の面を既に付け直し腕には愛用品トンファーを装備した黒はそう言いながら建物の上を跳躍して移動していく。
「あの猪やる気になれば出来るじゃない。なら、私も全力で当たらなくちゃね」
鴉は一言だけそう言うと、黒の後を追うために建物の屋根に跳躍した。
二人が建物から別の建物に飛び移りながら音の発生源にたどり着くと、そこでは今回の任務の対象である、三体の蛸のような怪物と黒い軽鎧を纏った銀髪の女性が対峙していた。
「あいつが今回の任務の対象なんだろう? 俺はこのままアイツ等をぶちのめして女の方を助けるぜ」
「第九地区は平和になったんじゃなかったのかしら?」
鴉が武器を構えたまま少し呆れた様子で黒にそう尋ねると、黒ははっきりと答える。
「普段ヘラヘラしてるのは認めるけど、親父や爺さんが作った平和は俺が守るって誓ったんだ。それを荒らす奴は誰であってもぶち殺す」
「つくづく単純ね。まぁいいわ」
鴉は呆れた様にそう言うと、一瞬だけ間を置いた後に、冷静沈着に指示を出した。
「私が金行の術式で弾幕を貼って援護をしますから、前方にそのまま突っ込んで近接戦闘をお願いします。その後は想定外の事態も想定しつつ、普段通りの連携をお願いします」
鴉が冷静に指示を出すと、黒は仮面の下からでも分かるような笑みを浮かべて術式を練り始める。
「了解したぜ。雷気、木気より変じ、我が身を循環し、天に轟く雷の如き速さを生む。雷行、雷迅・飯綱」
黒は下忍時代から白夜に叩き込まれている雷行に部類される身体活性の術式を使うと、敵に気付かれるよりも早く、三体の怪物へと突進した。
「金気、無数の鋼の刃となりわが手より飛び立つ。金行、多重武装錬鉄」
黒が地を蹴るのと同時に、鴉は金行の術式を練り複数の巨大暗器を作り出し、敵の居る方向へと味方に当たらない角度で射出する。
続く
どうもドルジです。
今回から未知の怪物を追う探索編と襲撃編へと移行ます。今回メインになるのは【黒】という名を与えられた軽い性格のトンファーを得物とする男性の中忍と、【鴉】という名を与えられた潔癖症の複数の暗器と陰行の幻術を得意とする女性の中忍が主役となります。
探索編では黒、襲撃編では鴉に比較的重点を置く方針となっております。