暁に響く雷電 白夜の章 【一ノ三】
聖アルフ歴1887年
白夜が村を出発しておよそ十分後。雨が止んだ村はずれの橋に一足早く到着していた脳天に黒い螺旋を思わせる模様がある白い能面のような仮面に濃紺の衣を纏った上忍は、自身に近づいて来る複数の気配に気づく。
「どういうことだ。第二地区の隠密は、中忍が一人くるだけじゃなかったのか?」
自らの前に現れた二人の大陸風の衣をまとった男を連れた中忍に螺旋が怒りを含んだ口調で問いかけた。
「さすが他国での遠征任務を多く請け負っていた上忍は感が良いですね。私が連れている方々を見ればわかると思いますが、そういうことです」
螺旋の怒りを受けていながらも、中忍の男は平然とした様子で口を開く。
「正気か貴様は。シンにあの少女を本気で売り渡すつもりか?」
濃紺の衣を纏った隠密の言葉を受けた中忍は、涼しげな態度で口を開くことはなく、代わりに、後ろで控えていた老齢の男が口を開いた。
「お主こそ、この国に大義があると思っているのか? 本来はこの極東全ては我らシンが治めるべき土地であり、千年前に我らから勝手に独立を宣言した帝とやらも、我らがこの世界を統べるべき陛下の前ではただの俗物に過ぎん」
老獪な男はそう言うと、何かしらの術式を詠唱する。螺旋は対抗するように素早く複数の敵を攻撃できる術式を練った。
「火気、幾十もの火の玉を生み出す。火行、火炎散連弾!」
裏切り者の中忍は、すかさず広範囲に打ち出される幾重もの火の玉を相殺するための水の術式を練り上げる。
「水気、害悪を洗い流す水の壁を生む。水行、水流壁」
すると、火行の火の玉達は水剋火の法則に従って打ち消され一帯を霧が覆った。
霧に視界を奪われた中で螺旋が手裏剣を取り出そうとした次の瞬間、後ろで組まれていた呪術が発動したのか、螺旋はその場に蹲る。
(体が動かん。後ろで呪術を練り続けていたのか)
螺旋が対峙する敵に目を向けると、最前で中忍が水行の術式を練っていた後ろで、行動損害の効果がある呪術を練り上げていた老齢の男が下品な笑いを浮かべていた。
(これほど高い効果の行動損害術式、シンの呪術を過小評価していたか)
螺旋は心の中で悪態をつきながら、対峙する裏切り者を睨みつける。
「貴方も幾ら村の者に承諾を得たとしても、国益のために若い少女を住み慣れた村から引き離す今回の任務には疑問を感じているはずです」
「何が言いたい」
螺旋が呪詛によって喋ることも困難ながらも口を開いた。すると、中忍は自分が絶対に正しいと信じて疑わない様子で答える。
「あなたも私の仲間になりませんか? 他国での任務を多く受けている経験のあるあなたは、私や彼らにとっても重要な人材なのですよ」
「あなたのことを少し調べさせてもらいましたが、今回のような他者の権利を害するような汚れ仕事を押し付けられるのはうんざりではありませんか? 私の仲間になれば世界を統べる帝国の臣民に慣れるのですよ!」
裏切り者の中忍は、目の前で動けなくなっている上忍が任務の後に考えられる少女の身柄の軟禁と、それに伴う国への実益の二つが頭をよぎっていることが見極めてそう口にする。その様子は
(こいつ。俺が気にしていたことをわざわざ調べていたのか……)
自らの心を見透かすような口ぶりで演説を続ける裏切り者に苛立ちを覚えながらも、螺旋の心の中では別の考えが連想されていた。
(だが、こいつらにあの少女の身柄が確保されたとしてもそれが正しいのか? そもそもあの野蛮な帝国があの少女の自由を保障するわけがない。それに……)
螺旋が心の中で自らの僅かながら残っていた迷いを切り捨てて口を開く。
「断る。お前たちは信用できない。第一、俺が彼女の身柄を保護しようとも、お前達が彼女をどうしようとも、あの少女の生活が激変すること自体は変わらない」
「それに、仮にお前の思惑通りになったとすれば、後にあの少女は、使い捨ての戦力として扱われるだろうな」
「いいや。それだけで済めばよほどマシだ。最悪慰み者にでもされるのがオチだろう。俺も色々と薄汚い仕事はやってきたが、お前らほどに悪辣な国はそうそうないぞ」
螺旋は嫌悪と侮蔑が混じった口調でそう答えた。すると、今まで口を開かなった軽鎧を纏った若い男が腰に差していた柳葉刀を腰から抜きながら口を開いた。
「この野郎!」
刀を鞘から抜いた若い男を見据えながら無機質な面をした隠密は口開く。仮面から覗く瞳には明確な憤りが宿っていた。
「第一、俺はお前たちのような裏切り者に靡かない。俺は仲間を売ったりするようなことはしない」
螺旋の言葉を受けた若い男は刀を玩具のように持ち替えながら後方の呪術師に向かって尋ねる。
「もうこいつぶっ殺してもいいよな。協力しないなら障害にしかならないからよ。ってか俺の母国を散々こき下ろしすとかマジで調子に乗りすぎだろう」
若い男はそう言うと、右手に持っている得物を振り下ろそうとした。
次の瞬間、男の手は村の方角から飛んできた三枚刃の巨大な手裏剣によって切り落とされたのである。
「何!?」
片腕を切り落とされたはずの男は、もう片方の腕を使って剣を腰から抜き取ろうとするが、次の瞬間には首から鮮血をまき散らしながらその場に崩れ落ちた。
「何だ!? 何が起きている!?」
老齢の呪術師は困惑しながらも、咄嗟に後ろから感じた殺気に反応して護身用の直剣を振りかざす。
「白夜か。助かった」
濃紺の衣を纏った隠密の前には、反りの少ない忍者刀で呪術師と鍔迫り合いをする白髪に仮面から深紅の瞳をのぞかせる隠密の姿が有った。
「白髪に魔族を遠い祖先に持つ者特有の赤い瞳。加えてその雷行で限界まで高められた身体速度、やはり貴様が第五地区の白い雷獣――」
老齢の呪術師が白夜の素性を述べようとした次の瞬間、呪術師は、忍者刀をいつの間にか納刀していた白夜に上空へと蹴り上げられる。
老齢の呪術師は、敵に追従するように跳躍した白髪の隠密に上空で体を掴まれ、今度は頭から地面に叩きつけられる。
空中からの脳天杭打ちを受け地面に肩までめり込んでいるその姿から、既に呪術師が絶命していることは明確であった。
「これで雑魚は片付いたか」
白銀の鎧に僅かに飛び散っていた返り血を意に介することなくそう言いながら、残っていた裏切り者の中忍に目を向ける。
「お前が裏で情報を流していたようだが。何が目的だ?」
白夜は、冷徹な口調でそう言った。しかし、それでもなお中忍は自らの正しさを証明しようとするように口を開く。
「あなたはこの国が間違っていると考えないのか!? 弱者を搾取し力あるものまでも捨て駒のように扱っているこの国は間違っている」
「それだけではない。近年多発している怪物を討伐するためにはシンが主導となった本来あるべき秩序を作りなおさければならない。その為に私はこの国を裏切りシンに精神的に忠誠を誓ったのだ」
裏切り者である中忍は、自らの決意を示すために隠密として装備していた自らの仮面を外した。それを見ていた白夜は、警戒を解く様子もなく取り回しに優れたクナイを手にしたまま答える。
「お前が憤っていることは、この世界では当たり前に起こっていることだ。俺を始めとした隠密は、国を影から支える存在としてその手を血で汚してきた。俺たちの職務は民衆に及び得る危害や災厄を陰から防ぐことだろう」
「そして、俺はお前のような災厄を招き得る危険分子を見逃すわけには行かない。隠密として、そして一人の人間として妄念に憑りつかれたお前という存在を否定する」
白髪の隠密が怜悧にそう言った次の瞬間、裏切り者の中忍は怒りに声を震わせながら口を開いた。
「うるさい! 私はシンが世界を制する真なる世界の中心たる文明の華であることを証明してみせると誓ったのだ! その為に肉体も改造した! 私を邪魔するなら、お前もここで始末してくれる!」
怒りに顔を歪ませた中忍は、激昂し腰のベルトから支給品のクナイを抜き取る。
「妄執。加えて自分だけは綺麗でいたいという醜悪な偽善だな。そもそも人間は生まれ落ちた時点で他者から何かを奪って生きていく生き物だ。お前の言うような理想の帝国は存在しない」
「大体中忍のお前が俺に勝てると思っているのか」
白夜が冷静にそういうと、中忍は不敵に笑いながら答える。
「確かに、今の私でも、直接戦闘ではあなたより格段に弱いでしょう。しかし、私の仲間がここにいるだけだと本気で思っていたのですか?」
裏切り者の勝ち誇った言葉を受けた白夜は、村のすぐ近くに控えていた木猿に連絡用の法術を発動させた。
『木猿。そっちに異常はあるか!?』
『ちょうどいい所に連絡ありがとうございます。現在、シンの隠密と思わしき四人組と村はずれで交戦中です。他には気配を探知できないので、恐らくは僕が相手している相手で全てのようです』
『分かった。可能な限り早くそっちに向かう』
連絡用の術式を切った白夜が目の前の障害を排除しようとした次の瞬間、丁度三枚刃の手裏剣が刺さっている方向から鎖分銅が蛇のように敵に飛び掛かる。
「何!?」
紙一重で鎖分銅を躱した敵は、驚きながら鎖分銅が放たれた方向に顔を向けた。
「悪いがお前の相手は俺だ」
そこには鎖分銅を握ったまま敵を見据える濃紺の衣を纏った隠密が淡々と続ける。
「こいつは俺が始末する。白夜、お前はそのまま村に戻れ。転移術式のマーキングを村に行えていないことも考えれば、お前の方が俺よりも早い」
「すまない……」
白銀の胴当と籠手を纏った隠密それだけ言うと、稲妻を思わせる速度で村へと足を向けた。
「邪魔をするな!」
敵の中忍は、クナイを村へと疾走する白夜へと投げつける。しかし、中忍が投げつけたクナイは、螺旋が持っている鎖分銅が盾のように弾き返した。
苛立ちで顔を歪ませた中忍は、背中から先端に手の付いた魔物の翼を生やしてクナイを取り出しながら螺旋に向かって距離を詰める。
振りかざされたクナイを、螺旋が、右側の衣の裾から取り出した短刀で受け流した。相手のクナイを受け流した濃紺の衣を纏った上忍は、そのまま左手で敵の顔面を殴りつける。
「ぐっ!」
(先端に手が付いた魔物の翼。どうやら滑空と格闘戦闘の補助に適している分、鳥のような完全な飛行自体は苦手なようだな)
敵の裏切り者が後ろに吹き飛ばされたことを確認した螺旋は、すかさず法術を練り上げた。
「火気、豪炎と成り集う。火行、豪炎弾」
螺旋が術式を練ると、上忍の手から大きな炎の玉が敵をめがけて放たれる。
異形の翼の先端に付いた手で着地した敵は咄嗟に、水行の術式ではなく、彼自身が使い慣れていると思われる土行の術式を練り上げた。
「土気、外敵を塞き止める壁と成る。土行、土壌壁」
敵が作り上げた土で出来た壁は豪炎の玉を防ぎ切りはしたものの、辺りには炎の余波によって生まれた蒸気が充満し、視界を悪化させる。
「そこか!」
土壌壁に隠れていた裏切り者は、自らの右側から何かが近づく気配を感じ、気配を感じた方向にクナイを投げつける。
しかし、裏切り者が投げつけたクナイは、別の金属とぶつかるような音がしたのみですぐに弾き飛ばされた。
裏切り者は咄嗟に自らの背後から感じた殺気に反応しようとするが、それよりも早く、濃紺の衣を纏った隠密は愛用品の短刀を振り下ろそうとする。
敵はかろうじて回避し、翼の先端に手がついていること利用してそのまま翼で螺旋に殴り掛かった。
しかし、裏切り者の異形の翼椀が螺旋の体を粉砕するよりも早く、濃紺の隠密は背後の【陰行、転移・飛天車】の術式付与が施されているクナイを利用して空間転移し、そのまま翼椀の付け根を予備の刀で切り裂いた。
「この野郎!!」
翼の片方を切断された裏切り者は凄まじい形相で螺旋に正面から殴り掛かろうとする。それに対して能面のような面を付けた隠密は、側面に回避すると、そのまま刀をもう片方の翼椀の付け根に投げつけた
「ギャア!」
濃紺の隠密は、異形の翼を失い怯んだ敵に距離を詰めると顎を蹴りあげ、衝撃で体をのけぞらせている敵を左側の裾から取り出した鎖分銅で拘束する。
「安心しろ、殺しはしない。お前には情報を吐かせないといけないからな。肉体まで弄った裏切り者の狂信者が」
勝敗が決した濃紺の衣を纏った隠密は、敵に対して嫌悪を隠しきれない口調でそう言った。
続く
こんばんわドルジです。今回は更新がかなり遅くなってしまいました。申し訳ない限りです。
今回は白夜編と題されているのに螺旋が活躍するお話になっています。ここは、表現及び話の流れとして変えられないと思ったのと同時に私の力不足でもとも思える部分でもあり、お恥ずかしい限りです。
今回の敵は、肉体に魔物の部位を移植した人間です。主義主張としては近年の日本ではよく見られる某活動家を突きつめたような存在です。