彼女が肩に
「あたし、酔っちゃったのかしら」保奈美が、陽平の肩に頭を乗せてくる。
女性と付き合ったことのない小林陽平は、どぎまぎした。
そして「柴川先輩、やめてください」と言って、頭をどかした。
陽平は今年の4月から大学生になった。法学部だ。陽平は勉強はできるほうだったので、文化系のサークルに入ることにした。
ちょうど「法律研究会」というサークルがあったので、それを選んだ。全員で30人弱という、小さなサークルだ。
4月のある日、部室に行くと、「こんにちは、小林くん。僕は2年生の岡田といいます。新歓コンパの日取りが決まったので、予定あけといて」と岡田先輩に言われる。
新入部員は陽平を含めて5人。男性3人、女性2人だ。
そして新歓コンパの日。大学近くの居酒屋で、宴会が開かれる。
先輩が「まあ、飲め飲め」と酒を勧めてくる。陽平は「僕、お酒はダメなんです」と応えると、勧めてきた先輩は鼻白んだ様子だったが、すぐに機嫌を直し、「そうか、だったら
無理して飲むことはないわな。好きなツマミでも食べてな」と言ってくれる。
最初は1年生5人が並んで座っていたが、それぞれがお酌をして回り、5人はばらばらになった。
陽平は2年生の柴川保奈美の横に座る。
すると保奈美は、「あたし、酔っちゃったのかしら」と、頭を肩に乗せてくる。
(ええっ? これってどういうこと? 僕にモーションかけてきているのかな)と陽平は心の中で思った。
保奈美のつけているコロンのいい香りがただよってくる。
陽平はいきなりの展開についていけず、「柴川先輩、やめてください」と言う。
今度は2年生の先輩、榊春菜が隣にやってくる。
「小林くんは何かスポーツやってるの?」
「はい、合気道をやっています」
「それで精悍な顔つきなのね」
「いやあ、そんなことありませんよ。榊先輩は?」
「私はテニス。下手だけどね」と春菜は笑った。
そしてコンパ翌日。授業が3限で終わり、午後3時に陽平は部室に行く。
「昨日はお疲れ様でした」と部屋にいる4人に声をかける。
陽平は昨日の保奈美のことが気になり、2年生の先輩、岡田茂に相談することにした。
「あのー、岡田先輩。ちょっと相談したいことがあるんですけど」
「なに? いいよ、じゃ学食でコーヒーでも飲みながら話を聞こうか」
「はい、ありがとうございます」
そして2人は学食へ行く。
「さて、小林くん。相談って何?」
「あのー、柴川先輩のことなんですけど、恋人とかっているんですか」
「さあ、いないと思うけど。どうしてそんなこと訊くの?」
「実は昨日のコンパで、僕にしなだれかかって来たんですけど」
「ああ、それはね、柴川は酔っぱらうと誰彼かまわずそうするの。相手にしないほうが
いいよ」
「そうなんですか」
陽平は取り越し苦労だったか、と半分安心、半分残念な気持ちになった。
4月のゴールデンウィークも過ぎて、陽平は大学生活に慣れてきた。
柴川先輩のことが気になってしょうがない。岡田先輩はああ言ったけど、やっぱり本人に直接訊いてみるべきだ、と陽平は決意する。
しかし、きっかけがつかめない。
いつものように部室に行くと、2年生の榊春菜先輩がいる。
「榊先輩、こんにちは」
「あら小林くん、もう大学には慣れた?」
「はい。慣れました。ところで榊先輩、柴川先輩って誰かと付き合っています?」
「え、どうしてそんなこと訊くの?」
「実は僕、柴川先輩のことが好きなんです」
「あら、そうなの。じゃあ私が今度、喫茶店で同席するよう取り計らってあげる」
「ありがとうございます」
そして翌々日。榊先輩が「小林くん、今日授業終わったら3人で駅前の喫茶店に行くわよ」と楽しそうに言う。
「えっ? もうセッティングしてくれたんですか」
「そうよ、私はみんなから面倒見のいい姉御肌だって言われているんだから」
そして3人は喫茶店に行く。
榊はしばらくおしゃべりをした後、「じゃあ邪魔者は消えるわね」とウインクして先に帰った。
残された陽平と保奈美の2人。
陽平が「新歓コンパのときのこと、覚えてます?」と尋ねると、保奈美はちょっとうつむきながら「うん」と応えた。
「酔いにまかせて、失礼な態度とっちゃったみたいね。ごめんなさい」
「いえ、いいんです。僕もびっくりしました」
陽平は今まで女性と付き合ったことがなかった。高校生の時、好きな女性がいたが、あっさりふられてしまった。「別の彼と付き合っているの」とその女性は言った。
一度女性にふられてからすっかり臆病になってしまい、好意を抱いた相手に告白する勇気がなかった。
それでも保奈美のことが「好き」という気持ちを抑えることができなかった。
陽平はついに行動にでた。保奈美に告白したのだ。
「柴川先輩、あなたのことが好きです。僕と付き合ってくれませんか」
保奈美は一瞬間をおいて、明るく「いいわよ」と応えた。
陽平はその場で飛び上がらんばかりに喜んだ。
一週間後、部室に行くと、岡田先輩が一人で部屋にいた。
そして陽平の顔を見るなり、「おまえ、柴川に告白したんだって」と訊いてくる。
「えっ? どこでそれを聞いたんですか」
「どこだっていい。柴川は男に色目を使うから、相手にするなといったはずだ」
「でも、僕は真剣なんです」
「後悔しても知らないぞ」岡田は憮然とした様子で立ち上がると、部室から出ていった。
陽平は保奈美とデートの打ち合わせをするため、大学近くの喫茶店に入った。
「柴川先輩」
「もう、保奈美さんでいいわよ」
「じゃあ、保奈美さん、岡田先輩と何かあったんですか」
「ああ、岡田くん? 実は去年、岡田くんに『好きだ』って告白されたんだけど、タイプじゃないから断っちゃったの。それでもあきらめきれないらしく、いまだに『彼氏できたのか』とか訊いてくるのよ」
「そうなんですか」
「だから私、はっきり言ってやったの。金輪際あなたとは付き合わないわよって」
「それであんなに保奈美さんとのことをあれこれ言ったのか」
「なんか言っていたの?」
「いや、保奈美さんとは付き合わない方がいいって言われました」
「まあ、そんなことがあったの」
「逆恨みってやつですね」
その翌日。陽平が遅くまで大学に残った。大学から帰る道。駅に向かう大通りがあるが、近道の、細い通りがあるので、陽平はそっちの道を選んだ。ひと気のない道にさしかかった時、背後から突然、陽平のことを襲おうとする気配がする。。
陽平は中学生の頃から合気道を習っていたので、ただならぬ気配を感じ、すぐさま振り向く。
岡田先輩だった。
「おおー」声にならない叫び声をあげて、岡田が陽平に向かってくる。棒きれを振りかざす。
陽平は体さばきでかわし、岡田の手首をきめて、その場に押さえ込む。
「岡田先輩。なんでこんなことするんですか」
「昨日偶然、喫茶店でお前と柴川が2人で話しているのを見かけたんだ。柴川を奪われたのが悔しかったんだ」
「それで僕を襲おうとしたのですか」
「でももうあきらめるよ。降参だ」
「本当ですね。約束ですよ」
「うん、約束する」
「今度は手加減しませんからね」
そして7月の終わり。陽平と保奈美はデートで海に行く。強い陽射しが照りつけている。
陽平は保奈美のことをじっと見つめる。
「どうしたの?」
「いえ、保奈美さんがあんまりきれいだから」
「まあ、お世辞が上手ね」
「本気です」
海岸で2人は並び、また保奈美が陽平の肩に頭をあずけた。
「これからも、ずっと仲良くしようね」と保奈美が言う。
「よろしくお願いします」と陽平が応える。
2人は見つめ合う。「じゃあ約束の指切りよ」と保奈美が小指を出してくる。
陽平は小指をからませ、幸せな気持ちでいっぱいだった。