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彼女の行先、或いは飛行軍艦の

作者: ノラネコ

 みゃぁ、みゃぁとうみねこが鳴いている。

 夏の空はどこまでも高く澄み渡り、目の前に広がる海との境界線を曖昧にしていた。

 僕とカナタは防波堤に座り、二人並んでそんな空を見上げている。

「終わったね、戦争」

 僕は背伸びをしながら、隣に座るカナタに言った。

「終わってしまいましたね」

 どこか感傷的にも聞こえる声で、カナタは答える。波が砕けて吹き上げる潮風が、彼女の頭上の猫耳みたいなエア・インテイクをゆらゆらと揺らした。

 水平線の上には、胡麻粒のような影がいくつか、綺麗に編隊を組んで浮かんでいる。恐らく、戦場からの引き上げの兵士たちを運ぶ飛行輸送船だろう。

「もうずっと昔のことのように感じます。隊長と一緒に空を飛んで、戦っていたなんてこと」

「カナタを見てると、僕も何だかそう思うよ」

 なぜなら、懐かしむように目を細めるカナタは、僕にはその時まるで普通の女の子のように見えたから。

 しかし、彼女は航空妖精なのだ。速度と武装には勝るが小回りの利かない有人戦闘機の補助として、歌による音紋索敵と瞬発力を武器に空で戦う兵器。

 戦争が終わった今、彼女たちには選択が突き付けられている。

 すなわち、空戦装備を撤去されて人として生きるか、航空妖精として飛ぶことを続けるか。

「そういえばさ、カナタはどっちにするか、もう決めたの?」

 僕は、出来るだけさりげなくに聞こえるような口調で、尋ねてみる。

 彼女はあはは、と力なく笑い、視線を空から海へと降下させた。

「私は、まだ決めてないんです」

 ため息混じりに吐き出される、自嘲じみた声。

「戦う意義自体は薄れてしまったし、かといって空を飛べなくなってしまうのも怖くって。ほら、アイデンティティじゃないですか、空を飛ぶっていうことだけが、私の」

 僕はそんな彼女を励ましたいと思ったけれど、自分にだって語れるような確固とした信念などの持ち合わせは無くて。ただ彼女の隣に座り、ぷらぷらと足を揺らしている事しか出来なかった。

 そんな僕らを急き立てるように、真夏の太陽がじりじりと二人の背中を焦がしていた。


 ――唐突に太陽の光が途絶える。

 さぁっと海の上にまで色の濃い影が駆ける様に広がり、遠雷の様な音がごうごうと低く響き始めた。

 思わず顔を上げた僕たちの視界に飛び込んできたのは、暗い空色の制空迷彩を施した、天井。

「わぁ、隼鷹ですよ、隊長」

 カナタが感嘆の声を上げる。

 そう、それはかつての僕らの母艦。並んだ二列の気嚢の間に航空甲板をぶら下げた、全長二百二十メートルの威容を誇る飛行航空母艦、隼鷹だった。

 煙突からもうもうと黒煙を吐きながら、艦尾に並んだ四軸の二重反転プロペラで大気をかき回し、僕らの頭上をゆっくりと通過してゆく。

 呆けた様にその巨体を見上げていると、空からひらひらと舞い降りてくる、何か白いものが目に留まった。

 キラキラと陽光を反射するそれは、ともすれば鳥の羽のように見えたが、落ちてくるにつれそれは一枚の紙であると判る。

 その紙は狙ったように僕らの傍、防波堤をちょうど滑走路に見立てたように、ふうわりと着陸した。

 思わず手にとって眺めてみれば、目に飛び込んでくるのはカラフルな多色刷りの写真と、大きな見出し。

「宣伝ビラだ。隼鷹に積んであったのが漏れたのかな」

「何が書いてあるんですか?」

 肩を寄せてくるカナタと一緒になって覗き込む。

 真ん中に大きく印刷されているのは、どうやら隼鷹の絵らしかった。どうやらと言うのは、ぱっと見た印象が大きく異なる姿で、その隼鷹は描かれていたからだ。

 夏の雲のような明るい白と、上空から見下ろした海のような濃紺のツートン・カラー。飛行甲板の代わりに吊るしているのは、ガラス張りの大きな窓がいくつもついたゴンドラ。棘のようにいくつも張り出していた対空砲や機銃も撤去され、スマートさを増した艦影。

 並べて張られた写真には、見たことも無い山脈や青い海をたたえたビーチ、夕陽に照らし出された砂漠などが写されている。

 見出しには、「隼鷹は世界一周の豪華客船、橿原丸として生まれ変わります!」と記されていた。

「……隼鷹は、生まれ変わるんですね。空を飛ぶ意義を、新しい物に変えて」

 ぽつり、とカナタが言う。自分に無いものを羨むような、寂しそうな声。

 でも僕は、プロペラの音を響かせながら遠ざかってゆく隼鷹を見送りながら、思いついていた。

 彼女のもう一つの意義。空を飛ぶと同時に、ずっと持ち続けていたもう一つのアイデンティティ。

「そうだよ、意義を新しいものに変えてしまえばいいんだ」

 僕は立ち上がりざまカナタに振り向き、声をかける。

 きょとん、とした瞳で見上げてくるカナタ。

「思えば僕の隣に居るということ、それも立派な君の存在意義、アイデンティティじゃないか。飛ぶときはいつも、いや、それ以上に僕らはいつも一緒に居た。そして僕の隣にいる意義は、すぐにでも新しいものに変えられる」

 腕を広げ、何か舞台でも演じるように僕は言う。

「つまり、僕と一緒に暮らそうよ」

「ぇと」

 カナタが呟く。

 そしてごにょごにょと口の中で言葉を反芻して、それから。

「えぇっ!」

 驚いた。

「駄目かな」

 そんな彼女の反応から、突拍子もないことを言ってしまったかな、と僕は少し後悔したけれど。

「いえいえいえ、そんなことは無いです。でもいいんですかっ? 私、飛べなくなってもまだ隊長の傍に居て」

 そんなことも無いらしかった。ならば、彼女の問いかけに返す言葉はもう、決まっている。

「もちろんさ、歓迎する」

「隊長ーっ!」

 そう言ってにこりと笑って見せた僕に、カナタが飛びついてきた。

 思わず抱きとめたけれど、ここは防波堤の上だということを、二人そろって失念していたようだ。

 視界は上向きに回転し、空だけを映す。操縦桿を倒して降下機動に入ったような、浮遊感と、加速度。

 だっぱーん、と。

 二人仲良く海へと不時着水を敢行することになった。訓練の成果も何もない、酷い着水体勢で。

「っく、あははは」

「ぷ、あははは、はははっ」

 ずぶ濡れの僕らは、並んで笑う。

「いつか隼鷹に乗って、世界一周の旅行に行きましょうね、隊長。約束、約束ですよ」

「うん、約束するよ。隼鷹もきっと、僕たちを変わってないねって歓迎してくれる」

 僕らはぷかぷか浮かんだまま、隼鷹に向かって手を振った。両手を揺らして、大きく、大きく。

 ゆっくりと小さくなってゆく隼鷹から、それに答えるように低く轟く汽笛の音が響き渡った。

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