水越しプラトニック
ミステリーじゃないですね、これ。クイズ的なものと恣意してくださいませ。
私は恋愛依存症だ。男の人といないと、なんというか、落ち着かない。友達の眼ってのもあるけど、男と一緒にいないと不安になる。
こんなことを誰かに言ったら、人によっては、はしたないと思うかもしれない。しかし、身体を持て余してるわけではないのだ。恋愛はやっぱりプラトニックなやつがいい。私はそんな風に思っている。落ち込んだときに慰めてくれたり、いいことがあったとき一緒になって喜んでくれるような人だったら、太っていようが不細工だろうが、どんな人だって構いやしないのだ。
でも、男の方はそうじゃないらしい。可愛い子とセックスがしたいらしい。女に抱きつかれたら、キスされたら、好きって言われたら、求めずにいられないみたいだ。
橋本先輩とは、この前別れた。三ヶ月つきあった。きっちりと話をして別れたのではなく、先輩の家に遊びに行ったとき、押し倒されて、逃げて――それっきりぜんぜん会わなくなった。
純粋に野々原渚という私を、好きになってくれる人はいないのだろうか。
ため息をつくと、ななめ前に座っていた花梨ちゃんが「どうしたの」と訊いた。
なんでもないよ、と私は答える。そろそろ行かないの、と私は訊き返した。花梨ちゃんはうなずいて、前屈をしながら、身体をほぐしはじめた。あまり早く行くと混むからさ、と花梨ちゃんは言う。なるほど、更衣室が空いたら行くってことね、と私は納得した。
花梨ちゃんは二十一歳だ。私と同い歳。小学校のときから一緒にスイミング・スクールに通い、今でもこうして水泳を続けている。
花梨ちゃんは静かだ。荒い声をたてない。といって、荒い声を立てない性質でもない。実は、意外に短気である。
今、私がいる控え室には、大きな窓がある。向こう側はプールになっていて、競技中の選手が泳いでいる。今は自由形の百メートルだから、私達の二百メートルは、これが終わってから。終わるまで、二十分もかからないだろう。
窓の横には、ドアがある。そこからプールに行ける。他の水泳場は、こんな設備がないので、鈴鹿市の水泳場は好きだ。何ヶ月ぶりかにきたから、新鮮な感じがする。
他の選手は、既に更衣室へ行ってしまったので、二十メートル四方の大きな控え室には、私の他に花梨ちゃんと、選手の男四人、運営の篠田さんの、合わせて七人しかいない。もしかすると、あの男達も、花梨ちゃんと同じ魂胆で、まだここに残っているのかもしれない。篠田さんと何か話していたけれど、よく聞こえなかった。
篠田さんは、気さくのいいおばさんだ。暇があれば、ああして選手と、楽しそうに話している。私も去年話したことがあるので、混ざってみたいと思ったけれど、この前あんな別れ方をしたばかりだから、男には近寄りにくい。私は携帯をいじって、もうすぐ自分の種目だなどと、友達とメールでやり取りをしながら、遠目にちらちら眺めていた。コンタクトを先に外したので、少し見づらい。
「この会場は、いつもタイムがいいのよね」男の人達には目もくれず、花梨ちゃんは、試合のことを考えているようだ。私は一言、そう、と言った。
すると花梨ちゃんが、やめておきなさい、と耳打ちしてきた。ああ、私、また男の方見てる。どうやら、こりずに、新しい彼氏が欲しいらしい。
「あまり男の人ばっかり見てないの。はしたない」花梨ちゃんは言った。仕方なく、携帯をいじることにした。
それよりも、男と長く付き合っていられないのは、きっと自分のせいだ。男の人と付き合うなら、それなりの覚悟をしなければならない。現に、他の子はみんな済ませてしまっているのに。そんな勇気のない私には、恋愛なんてする資格がないのだろうか。
「やめろって!」
いきなり、大きな声が聞こえてきたので、飛び上がりそうになった。不自然じゃないだろうから、普通に男たちの方を、眼を凝らして見た。
青ジャージを着ている人が、くすぐられて立ち上がったところだった。青ジャージの人は、茶色いベリーショート、背は結構高く、175センチくらいあるだろう。
くすぐっている人も面白がって立ち上がり、今度は脇腹をくすぐった。続けて見覚えのある、カメヤマ・スイミングの赤ジャージを着た、身長165センチくらいの男が立ち上がり、一緒になって、くすぐり攻撃をかけたので、マサヒロ、お前もか、と青ジャージは大きな声を出した。二人に追いかけられて、青ジャージは控え室内を走り回った。
「三重県トップ2チームのタクヤも、馬鹿やるんだな。いいぞ、やれやれ」座っていた、茶色い無造作が言った。
「ヨシアキ、うるさい!」くすぐられていた方が、茶色い無造作の人に言った。しつこくくすぐられたものだから、青ジャージの人は、身をよじって笑っていた。
トップ2ということは、あのふざけてる、三人のうちのタクヤって人は、トップ・スイミングか、アサヒ・スイミングの選手なんだ。すごい人が近くにいたんだなぁ。
「うるさい人たちね」花梨ちゃんが不機嫌な声で、男たちを見た。私はうなずいた。
おふざけはすぐに収まり、男たちはまた、座って話しはじめた。見ているのが気づかれないように、携帯をいじるフリをしながら視線を送った。無造作の人は、私好みの、優しそうな人だった。
「ヨシアキ、そういえばお前、どうしてトップ入らなかったんだよ。川本コーチから、声かかってたのに」赤ジャージの人が訊いた。ということは、ヨシアキって人も、かなり速いのだろう。
「俺、家が鈴鹿だからな。一番近いところがよかったんだよ」
と、無造作の人は言った。鈴鹿に住んでいて、一番近いところならば、アサヒ・スイミングか、カメヤマ・スイミングに違いない。私も鈴鹿と亀山の間に住んでいるから、もしかすると、家が近くかもしれない。
「渚」花梨ちゃんの声が、不機嫌なものに変わった。「私が話しているのに、どうして男の人の方ばかり見ているの」
「ごめんなさい」と、謝っておく。しかし、そうは言われても、やはり気になってしまうのだった。
ため息をついて、花梨ちゃんは手で、私の顔を男の人たちからそらさせた。名残惜しいが、花梨ちゃんは怒ると怖いから、素直に従っておこう。
「ノブは、いつからベスパ・スイミングで泳いでるんだっけ」
私の耳だけが、男の人たちの情報を捉える。見るなと言われれば、よけい気になってしまう。
「中学のときからさ。こう思うと、かなり長いな。そういえばお前、いつから髪ツーブロックにしたんだっけ」
「二週間くらい前だな。伸ばすの時間かかったぜ。我がトップでは珍しいから、かなり目立つぞ」
「目立ちたがり屋め」
「トップは超地味な黒ジャージだから、目立つとこ目立たせないとダメなんだよ」
ツーブロックかぁ。ツーブロックって、ちょっと怖そうだから嫌なんだよね。ほら、髪型って、性格出るじゃない。
「あんたたち、そろそろ行きな。もう時間だよ」篠田さんの声で、男の人たちは、もうこんな時間か、と立ち上がる雰囲気を出した。この控え室にいるので分かってはいたけれど、あの人たちは、私たちと同じく自由形の競技に出るのだろう。
「私達もそろそろ、更衣室行きましょう」花梨ちゃんが立ち上がった。
「ちょっと私、御手洗い行ってから」私もそう言って立ち上がると、花梨ちゃんは「じゃあ、私は先行くから」と答えて、廊下の方へ歩いた。男の人たちは私たちより先に廊下に出たので、私達はその後に続いた。篠田さんは、窓のある方のドアから、プールに出た。
廊下に出る。この周辺は選手以外立ち入れないため、競技中は人気がなく、今も私達以外には、誰もいなかった。節電しているから暗い。女子トイレは、更衣室の方向と同じなので、花梨ちゃんとは、途中で別れた。花梨ちゃんは、男たちの後をついていった。この先に行くと、四角い空間がある。そこを正面に行けば男子更衣室、右に行けば女子更衣室だ。
私は、ドアのない女子トイレに入った。L型の入口をしているので、ドアがなくても、中は見えないから安心だ。スリッパを履いて、個室に入ろうとした。
「んぐっ」
そのとき、いきなり後ろから、何かで目隠しをされた。なにごとだと思ったら、立ったまま、手を後ろに回された。誰かの手が、下着の中に滑り込んできた。
これはもしかして、いや、もしかしなくても、間違いなく、痴漢に触られているんだ。うそ、もしかして、さっきの男の人たちなの。私が一人になるのを狙って、引き返してきたの。
嫌だ、やめて、触らないで。そう大声を出そうとしても、声が出なかった。振りほどこうにも、怖くて動けない。逃げられない。荒い息が、後ろに聞こえる。
助けて。助けてよ。花梨ちゃん。ねえ、花梨ちゃん。私は心の中で呼びかけた。親友の顔が、心の中に浮かんだ。
私は何度も、花梨ちゃんの名を呼んだ。すると、緊張が少しだけ、解けたような気がした。誰かに頼ると、やっぱり落ち着くのかな、とこんな時に思った。
「花梨ちゃん」
喉から声が出た。
「花梨ちゃん、助けて!」
今まで生きてきて、一番大きな声を出した。痴漢がビクッと震えた。
しばらくして、渚、という聞きなれた声が耳に入ってくると同時に、大きな足音が響いてきた。
触っていた人が舌打ちして、私から離れた。それから間もなく、足音とともに「うわ!」という男の声と、足音ではない、鈍い音が聞こえた。間もなく、誰かが私に近寄ってくる気配がして、目隠しが外された。目隠しに使われていたのは、オレンジ色のタオルだった。
目の前にいたのは、やっぱり、花梨ちゃんだった。
大丈夫、と花梨ちゃんはきつい声で訊いた。私は、大丈夫、と強がって答えた。でも身体と声が震えていたからだと思う。花梨ちゃんはおろおろと、私の身体に怪我がないか、隅々まで丁寧に、触りながら見ていった。そんなに心配しなくても、なんともないよ。大丈夫だよ。
「なにがあったの」花梨ちゃんが言う。
水泳場の、玄関口に待機していた、警備員のおじさんを呼びだした。私たちは事情を聞かれた。痴漢は、他の警備員二人が探しているらしい。
すいません、犯人の顔は見てないんです。花梨ちゃんは言った。どうしてだ、と警備員さんが訊くと、女子トイレに入ろうとしたとき、痴漢が飛び出してきて、突き飛ばされました。それで、薄暗かったこともあって、よく見えませんでした、と花梨ちゃんは答えた。
本当に、なにも見ていないのか、と警備員さん。服とか、髪型とか、何でもいい。教えてくれ。すぐ連絡するから。警備員さんはそう言って、持っていた無線を構えた。
ごめんなさい、分かりません。しかし、花梨ちゃんはそう答えた。私は目隠しをされていたので、犯人の容姿を全く見ていないことを、警備員さんに話した。
「トイレに入るとき、廊下には、怪しい人物はいなかったか」警備員さんが、私に訊く。
「私がトイレに行こうとしたときは、すぐ前に、四人の男がいました。廊下に出る前、控え室で、ずっと一緒にいました」私は、思い出せるだけのことを話した。一体、誰がこんなことをしたのだろう。最悪。許せない。
「何か話したのか」
「いいえ」
「男か」
「はい」
そこまで私が警備員さんとやりとりしたところで、篠田さんが駆けつけた。他の警備員さんが、呼んできてくれたのだろう。
この子たちの話によると、控え室には、あんたもいたそうじゃないか。で、男たちと、なにか話してたらしいな。すぐに警備員さんが、篠田さんに訊いた。
「えっーと、あそこにいたのは、アサヒと、トップと、ベスパと、カメヤマのスイミングの子だったねぇ。皆、良い子ばかりだったよ」
「普段から悪いやつはいない。いざというときに、コロッと悪くなるから、始末におけないのさ」警備員さんは言った。篠田さんが眉根を寄せる。
で、篠田さん。そいつらの特徴は、と警備員さんは続けて訊く。しかし、篠田さんは困ったように、眉を八の字にして、私は気紛れで話してただけなんだから、名前なんて知らないよ、と言った。
外見だけでいい。むしろ外見が知りたいんだ。とっ捕まえてやる。警備員さんがさらに掘り下げて訊くと、篠田さんは名前と特徴が一致しなくてもいいかい、と前置いてから、話し出した。
「えーっと、ねえ。この子たち以外だと、髪型がそれぞれ、茶色い無造作、茶髪いショート、黒いツーブロック、茶色いボブカットだろ。服が白、青、赤、黒のジャージ、後は、そうだねぇ。立ったとき、背の高さが階段みたいになってたね。一番低い無造作の子が、160だって言ってたよ。その子から順番に大きい方へ五センチずつプラスしていく感じかな。そういえば、背だけじゃなくて、身長とか、服装も、みんなバラバラだったね。ひとつとして、同じものはなかったよ」
警備員さんは、うーん、と唸った。
「ところで、その四人は、いつ控え室を出たんだ」
「私と一緒だね。確か自由形の競技前だったから、二時くらいだと思う」
警備員さんは、またひとつ唸った。
「そうだ」篠田さんが言う。「監視カメラがあるじゃないか」
警備員さんは、はっとした顔になった。
私達はすぐに、中央監視室に向かった。監視カメラは一週間分の映像を記録していて、犯人の姿をばっちり映していると思われた。
篠田さんが、機器を操作する。中央監視室のテレビには、廊下に出たときの、私の姿が映されていた。監視カメラは、更衣室の入口の真上についている。廊下をまっすぐに女子トイレ、男子トイレ、中央監視室、医務室、選手控え室となっている。女子トイレは、監視カメラから一番近い位置にある。
今から、犯行現場が再生される。一体、私を襲った犯人は誰なのだろう。
映像が再生された。四人の男に続いて、私と花梨ちゃんが、控え室を出た。女子トイレの前で、私たちは別れた。
私が御手洗いに入る。入って間もなく――。
「あれ、もうそろそろ、誰かがきてもいいころなんだけど」
私は不思議に思って、来ない犯人を待った。すると、数秒後。
『花梨ちゃん、助けて! 痴漢よっ。女子トイレに、痴漢が出た!』
いきなり、映像から、そんな声が聞こえてきた。
すぐに更衣室から、花梨ちゃんが飛び出してきた。花梨ちゃんが女子トイレに入る寸前、何かに弾かれたように、後ろに飛ばされた。画面の端には茶色い髪の毛と、ジャージが見えた。
「なんだ、これは」監視員の人が、戸惑った表情を見せた。「犯人が女子トイレに入っていないのに、どうして、犯人は女子トイレにはいっているんだ。窓が開いてたのか」
「窓は鍵をしめてあるよ。窓はいつも開けないで、閉めたままさ。換気扇で空気を入れ換えてる。スタッフが朝のトイレ掃除に入るとき、確認してるはずだよ」篠田さんは言った。
「こりゃあ、監視カメラの範囲外なんだね」と、篠田さんが画面を見て言う。この場にいる人たちは、真剣な面持ちで、画面を見つめていた。また巻き戻して見ても、やっぱり同じだった。どうやら犯人は、篠田さんの言うとおり、監視カメラの死角から女子トイレに入ったらしい。
警備員さんが、悔しそうな顔をした。
「なんてこった。薄暗いから、ジャージの色がわからん」
「白ではなさそうですね。白だと、さすがにわかりますから」私は言った。
「節電しろって、上から言われたからねえ。でも、なんとか髪は茶色だって分かるね。頭の位置は……あんた、身長いくつだい」篠田さんが、花梨ちゃんに訊いた。
「165です」花梨ちゃんが答える。
「じゃあ、この映像から察するに、犯人の頭はこの子と同じか、ちょっと高い位置にあるから、165センチから170くらいだろうね」
と、篠田さんは予想した。
それから私達は、いくつか監視カメラの映像を見た。
予想以上に、監視カメラは多くの場所に設置されていて、私はあまりの数に驚いた。
監視カメラの位置は、事件現場付近だと、選手控え室、医務室、更衣室のそれぞれに、プール側に設置されている。入ったことはないが、医務室からも、プールにつながっていると、篠田さんは言っていた。
これらの監視カメラは、プール側についているから、廊下を映してはいない。
私が襲われた後、他の警備員さんは、更衣室も見に行ったと言った。そのとき、そこには、誰もいなかった、と付け足した。更衣室からプールに出たところに設置された監視カメラの時間と合わせてみると、私が襲われて少しした時間に、四人の男がそろって、プールに出たところだった。
つまり、あのとき更衣室には、この四人の男しかいなかったことになる。あの中の誰かが、犯行に及んだのだ。
その日、私は試合を棄権して、花梨ちゃんの車で、私の家に帰った。帰るついでに、お酒を買った。
あの後、犯人がわかったらしい。警備員さんが控え室にいた四人を捕まえて、話を聞いたら、一番後から来た一人がいると、他の三人が供述したらしい。あの後、犯人がどうなったかは、私の知るところではない。
私の部屋に花梨ちゃんを上げて、机を挟んで座った。しばらく、何も話さなかった。花梨ちゃんが何も言わず、飲みましょう、と言った。気分じゃない、と私は言うと、いいから、と花梨ちゃんが勧めてきた。コップに注いで、私の前に置いてくれたので、口をつけた。花梨ちゃんも、自分でコップに注いで、一気に煽った。
「ごめんなさい」花梨ちゃんが言った。どうして謝るの、と私が訊くと、一人で先に行っちゃったから、と花梨ちゃんは泣きそうな顔で言った。
いいの。花梨ちゃん、ちゃんと助けてくれたじゃない。あのとき花梨ちゃんがきてくれて、私、すごく嬉しかったんだよ。そう言うと、花梨ちゃんはひとつ、うなずいた。
男なんてねえ、と花梨ちゃんは言った。その後、女としてどうなの、というくらいの文句を吐き出した。それからだらしなく、上体を机の上に横たえた。顔が赤い。どうやら酔いが回ってきたみたい。ゼミの友達たちと飲んでいるときは、ちっとも様子が崩れないのに、こうして二人で飲んでいるときは、私に対して隔たりがなくなるらしかった。
花梨ちゃんの手の平が上を向いていたので、私は手を伸ばしてみた。右手の平を、ちょん、と当ててみる。ピクッ、と花梨ちゃんは反応した。最初は肌の一部でつっつくような、曖昧な感じだったけれど、嫌がる素振りは見せなかったので、やがて手の平全体で、花梨ちゃんの手に、私の手を重ねた。握り返してくると思いきや、そうでもなく、だらんとしたままで、花梨ちゃんはいた。
花梨ちゃん、と呼ぶと、花梨ちゃんは、なあに、と言った。花梨ちゃん、とまた呼ぶと、なによ、とさっきと変わらない答えが返ってきた。手をつないでいる、という感じではない。私が花梨ちゃんの手に触れているだけ。でも、それだけで、私はいい気持ちだった。花梨ちゃんはまどろんだ瞳で、私の手を見ていた。
花梨ちゃんとは、いつも一緒にいる。思えば、彼氏がいたときでも、彼氏より、花梨ちゃんと会う頻度のほうが、よっぽど多かったような気がする。花梨ちゃんの手は、ひんやり冷たかった。手が冷たい人って、優しい人なんだってね、と言おうとしたが、なんだか恥ずかしくて、言う事ができなかった。
もう私、花梨ちゃんの彼女になろうかな、と冗談で言うと、花梨ちゃんは、いいんじゃない、と適当な感じで答えた。これからも、花梨ちゃんとは、こんなプラトニックな関係が、ずっと続けばいいな。私はそう思いながら、眼を閉じた。
※主人公が見たものと、篠田さんの証言は、すべて正しいものとします。感想に解答があるので、ネタバレ注意。