第7話:精密測量と山なりの死神(間接射撃)
僕は塹壕の隅で二本の細い枝を突き立て、その間にピンと糸を張っている。さらにその数歩先には、手のひらサイズの「土の山」を盛り上げ、その向こう側に一枚の落ち葉を置いた。
僕は右目にパチリと自作の測量用モノクルを嵌め、泥山を睨みつけながら、小さな小石を指先で弾く準備を整える。
「……基準線の距離、ヨシ。目標物への角度、ヨシ。あとは放物線を描いて『見えない目標』を叩くだけだ」
僕のモノクル越しには、泥の隙間を縫って走る補助線と、小石が描くべき弾道曲線が、正確な設計図のように重なって見えている。
指先から放たれた小石は、僕が作った小さな泥山をふわりと飛び越え、その裏側に隠された落ち葉を正確に撃ち抜いた。
「おい、ドルト。この前は地面を叩いてネズミ捕りをしてたと思ったら、今度は泥の山に向かって『おはじき』か?」
通りかかった歩兵が、泥水を跳ね上げながら鼻で笑う。
「……遊びじゃないですよ。これ、目に見えない敵を座標だけでブチ抜くための、縮小モデル試験なんです」
僕が力なく言い返すと、彼は「ハハッ、石ころで世界が救えるなら砲兵はいらねえな」と肩をすくめて去っていく。
(……笑ってられるのも、山の向こうから砲弾が飛んでくるまでの間だぞ。理屈のない射撃なんて、ただマナを雨雲に捨てるのと変わらないんだから)
降り続く雨が、地下のネズミを駆除して数日の拠点に冷たく降り注いでいる。
「……あー、やっぱり昨日のコンクリート、あそこの目地から少し水が染みてるな。後で防水処理しないと」
僕は拠点の白い壁を眺めながら、不満を漏らす。
地下の脅威は去ったが、今度は頭上から「目に見えない死神」が飛来し始めた。
敵軍は切り立った山の向こう側、こちらの射程外から一方的に魔導砲を撃ち込んでくる間接射撃を開始したんだ。
ドォォォォォォンッ!
着弾の衝撃で、自慢の床暖房が激しく震える。
「ひるむな! 撃ち返せ! 敵の煙が見えたあたりを狙えッ!」
味方の砲兵隊長が闇雲に指示を飛ばしているが、山に遮られて目標が見えない以上、放たれるマナの弾道は空しく雨雲を切り裂くだけだ。
「あーもう! 数学をサボって運任せに撃つなんて、工期の無駄遣いですよ。図面がないなら、今すぐ描けばいいだけでしょ!」
僕はスコップを「測量竿」に持ち替え、観測用のモノクルをパチンと弾いた。僕の脳内にある「現場監督」のスイッチが切り替わる。目に見えない目標を叩くのは、地図のない場所に道路を通すのと同じだ。
――――カール・フリードリヒ・ガウス。
いわずと知れた天才数学者だ。実地での測量や天文観測、双曲幾何学の発見、電磁気学などの功績を残した科学の巨人。
ガウスは、観測した無数のデータから「最も確からしい真の値」を数学的に導き出す『最小二乗法』を確立した。これによって現場のバラつき(誤差)を綺麗に補正し、数十キロ先でも寸分の狂いもない正確な座標を弾き出せるようになった。そのほかにもヘリオトロープやら地球を平面に直す図法などの功績もある――――。
「資材調達係! どこにいますか、遊んでる暇はありませんよ!」
僕は資材担当のガリクを呼び出し、彼と彼の同僚に二つの観測点に向かわせる。
「ガリク、あの岩陰と、あっちの突き出た倒木付近に印を残してあるので、そこに向かってください!角度さえわかれば、敵の座標は丸裸にできます。そしてあなたは向こうにいってガリクと敵陣の同じ目標を指さししてください!」
僕は軍学校時代に叩き込まれた「測量学」と、前世で現場の座標を割り出していた「三角測量」の知識を組み合わせる。ベースラインとなる二点間の距離を精密に測定し、そこから敵の砲撃地点への角度を割り出していく。
僕の視界には、雨に霞む山岳地帯が、無数の補助線で構成された正確な三次元地図として再構築されていく。
(……水平距離よし。高低差よし。敵の座標、確定)。
「隊長、その無駄撃ちは止めてください! 砲身を貸せ、計算を流し込みます!」
僕は呆然とする砲兵隊長を退け、魔導砲の調整ダイヤルに手をかける。
「仰角42度、マナ出力80%。……山なりの軌道で、あの雲の切れ目を狙って放り込んでください!」
「ドルト、本当にお前に見えているのか……?」
隣で剣を握りしめていたシギュン様が、半信半疑の声を漏らす。
「理論だけじゃ当たりませんよ。着弾地点は、純粋な『数値』が決めるんです!」
轟音と共に放たれた一撃は、美しい放物線を描いて山の向こう側へと消えていった。数秒後、山影から先ほどまでの砲声とは比較にならないほど巨大な爆発音が響き、真っ黒な煙が立ち上がった。敵の弾薬庫をピンポイントで直撃したんだ。
「……ふぅ。安全確認、よし。これでやっと、工期遅延は回避できました」
泥にまみれたメモ帳を閉じ、僕は大きくため息をつく。
シギュン様は、敵の姿を一度も直接見ることなくその拠点を沈めた僕を、戦士としての恐ろしさではなく、世界を「数値」で支配する工兵としての異質な才能を再認識したような、なにやら納得したような眼差しで見つめていた。
「魔法はきっかけですよ。正しい『位置』に正しい『力』を加えれば、戦場なんてただの計算ドリルなんですから」
空を見上げれば相変わらずの雨だが、僕が描き出した座標は、昨日よりも正確に僕たちの工期を、確かな勝利へと導いていた。




