第2話「呼吸」
「この、すっごく嬉しいって気持ち、どうしたらいいんだろ」
封筒の見た目さえ確認できれば、自分が送ったファンレターか確認することができる。
それなのに、あまりにも郁登さんが大切に抱き締めるから、最後の最後まで誰が送ったファンレターかは謎なままだった。
でも、この日をきっかけに、久しぶりに呼吸ができるようになった。
「お姉ちゃん、頼みがあるんだけど……」
私は、まだ夢を叶えていない。
郁登さんとは縁のない、遠い世界を生きている人間。
そんな人間が郁登さんと一緒に仕事をしたいって思ったからには、努力を始めなきゃいけないと思った。
「可愛くなりたい……」
大好きな|GLITTER BELLが、夢を叶える瞬間に立ち合うことができている。
それはとても嬉しいことのはずなのに、大好きなGLITTER BELLが遠くに行ってしまったような寂しさを同時に感じてしまう。
(でも、嘆いている暇があったら、変わらなきゃ)
郁登さんが抱き締めた手紙に正直、嫉妬した。
「うわっ、すみません!」
同じアニメショップに通い詰めていたはずなのに、郁登さんとアニメショップで再会するのは随分と久しぶりのことだった。
「西島……さん?」
私は郁登さんがGLITTER BELLの郁登さんだって気づいていたけど、郁登さんを西島さんって呼んじゃうくらい頭は大混乱してた。
声優になる夢を叶えるために生きている萱野美紅じゃなくて、完全にGLITTER BELLのファンとしての萱野美紅として郁登さんと再会してしまった。
「美紅、大丈夫か」
「うん」
みんながみんな、笑顔のハッピーエンドを迎えるのは難しいかもしれない。
けど、少しでも幸福な結末を迎えられるように私は物語を進めていきたい。
「凄く晴れやかな気持ちで満たされていて、少し驚いちゃうくらい」
結果が、すべて。
何をやろうと、その前の過程は関係ない。どうでもいい。
身勝手な希望。
わがままな願望。
私の、独りよがり。
それらすべてを、郁登さんやスタッフの人たちは受け入れてくれた。
「覚悟はできた」
郁登さんの瞳から逃げることなく、私は郁登さんの瞳と真っすぐ向き合った。
「自信も、満ち溢れてくる。ayaseに勝つことが簡単すぎて、どうしようか……真剣に悩んでいるくらい」
嘘で、自分を着飾っていく。
心が強い自分私を作り上げていく。
「俺としては、本音を溢してくれる方が嬉しいけど」
郁登さんは、私を安心させるかのように優しく笑ってくれた。
郁登さんは、こうやって多くの人たちを安心させてきたのかもしれない。
「郁登さんは、私のことを甘やかしすぎです」
「甘やかしたいんだよ」
「っ、本番前に、そういうことは言わない……」
忘れてはいけない。
私が唄う歌は、世界を生きる誰かを癒すための歌だということを。
「絶対に、曲のことを生かすから」
何を考えよう。
何を思えばいい?
優しさに溺れないためには、どうしたらいい……?
「信じてほしい。たくさん信じて、郁登さんには、たくさんの素敵な人たちに出会っていってほしい」
そんなに優しく私に触れないでほしいのに、郁登さんは私に優しさを注ぎ続けてくれる。
私の大好きな日々を取り戻すこと、そんな私が大好きな日々を望むこと。
夢から逃げた私には許されないと思っていたけど、郁登さんは許しを与えてくれた。
「美紅」
「うん」
唄うことを、始めよう。
私が唄う未来を想像しよう。
「俺の傍にいてくれて、ありがとう」
今日から始めてみようと思っていることがある。
独りじゃないって、私はもう独りじゃないって、自惚れること。
「こちらこそ……受け入れてくれてありがとう、郁登さん」
始まりの声、音、映像に、異常なまでの期待と希望を抱く。
唄う曲の歌詞が大型モニターに映し出されて、流れてくる音源と文字情報を読み取る観客。
流れてくる一音一音が聴覚を刺激してきて、自分だけでなく観客をも、まったく別の世界へと誘われなければいけない。
(ファンの人の顔、見える……)
自分が見て見ぬふりをしてきた音の数々は、自分の出会うことができなかった世界を教えてくれる。
この世界には、こんな音があるんだよ。
この世界には、こんな音色が広がっているんだよ。
そんな風に語りかけてくるような、疑似的な感覚を与えてくれる。
(独りじゃない……)
曲がいいのは当たり前。
だからこそ、音符に歌詞を乗せたときの相乗効果が大きくなるのを知っている。
私の歌を初めて聴く人を魅了するのは並大抵のことではないけれど、目頭が熱くなるくらいの切なさが一曲の中で何度も何度も訪れる。
その一瞬一瞬を狙って、私は音楽と言葉に感情を重ねていく。
(だから、私は強くいられる……!)
大型モニターに映し出される蒼の世界。
空の色。
海の色。
空と海を繋ぐ確かで曖昧な色。
現実で同じ風景には二度と出会えないのと同じで、私の歌にも二度目の景色はない。
曲を聴くたびに、私は新しい感情と新しい景色を届けなければいけない。
「ありがとうございましたっ!」
明日の天候が違えば、視界に入ってくる明日の風景も変わる。
それらすべての移り変わりを音楽で表現する。
まるで自分が描かれた景色の世界に立たされているような感覚を観客に与えることができたら、舞台ステージ終了。
「本当に、本当に、ありがとうございましたっ!」
GLITTER BELLのファンの前で。
郁登さんが通う高校の人たちの前で。
私たちのこれからに関わっていく人たちの前で。
私はようやく、深く息を吸い込んだ。
そして、その息を大きく吐き出すことができた。




