第4話「維持」
「美紅!」
俺が美紅の名前を呼んでも、肝心の美紅らしき女子生徒は一向に振り向いてくれない
彼女の様子を確認したいと思ったから急いだのに、俺の言葉は威力を失って失速した。
その代わりに誰よりも速く、真っ先に美紅の元へと駆けつけることができるように足を急がせた。
「美紅!?」
「郁登さん……」
今は太陽が照りつける夏の日差しが差し込む季節でもなんでもなく、直射日光に当たっても痛さを感じない季節。
それなのに美紅は、体育館脇にある大きな木に自分の体を預けるようにしてしゃがみ込んでいた。
「郁登……さ……」
「もしかして、朝から体調……」
首を横に振って、俺の言葉を否定する美紅。
だけど、覗き込んだ美紅の表情は今朝見たときとは比べ物にならないくらい別物に思えた。
「熱は……」
美紅の意向なんて無視して、俺は美紅の額に自分の手のひらを当てた。
「……熱は……なさそう?」
「ない……健康そのもの……」
額から感じる熱は思っていたよりも平常で、俺はひとまず安堵した。
でも、美紅の様子が可笑しいのは見るだけで伝わってきてしまう。
「ごめなさ……ちょっと、怖くなって……」
美紅はなんとか立ち上がろうと勢いをつけて立ち上がろうとするが、思っていたよりも美紅は自分の体を上手く操れない様子だった。
「美紅、俺の手、使ってくれていいから」
俺は美紅を支えようと、自分の右手を彼女に差し出す。
すると美紅は俺のことを拒むことなく、俺に力を預けることでなんとか自力で立ち上がることができた。
「頼りたくても、この環境だと無理だよな……」
「郁登さんには、ayaseが、いるから……」
大きな不安に襲われると、人は言葉すら紡げなくなるもの。
それなのに美紅は俺に喋らせる余裕を与えることなく、意地を張るかのように言葉を伝えることをやめない。
「元相方でも、ayaseが、郁登さんの大切な人だって、わかってるから……」
他校の文化祭に参加するってだけでも緊張が走るのに、美紅は俺のことを気遣いながら一生懸命訴えかけるように話しかけてくる。
「そういうこと、考えなくていいから」
美紅の目線に合わせるように、美紅を見上げて、なるべく優しい声で美紅に話しかける。
「|GLITTER BELLを、押し上げるのが、私の役目……」
「正直に怖いって話してくれたのに、なんでそこで強がるんだよ」
「これくらい、自分で乗り越えなきゃ……」
人の言葉を聞き入れないような姿勢を見せてくる美紅の、凝り固まった考え方を解してやりたい。
「追い詰めんな」
美紅の頭に、ポンと手を乗せる。
女性経験が豊かでもない俺が頭を撫でるっていうのはハードルが高いけど、美紅には少し落ち着いてもらいたい。
頭を撫でるっていうか、頭を触っているっていうか、とにかく落ち着いてほしいと願いを込める。
「美紅がいるから、今の俺がいるんだって」
「私、まだ、誰からも認めてもらってない素人だから……」
「美紅がいてくれるから、俺、頑張ろうって思えるんだって」
元相方と今の相方、どっちが大事?
そんな質問が頭を過った。
「ちゃんと甘えるって約束……はしてないけど、したようなものなんだから」
どちらが大切かって言われたら、どっちも大切に決まってる。
どっちかを選んでしまったら、描く未来はどこか絶望的なものになってしまう。
だから、両方が欲しいと思った自分を否定しない。
そして今の俺は、萱野美紅かやのみくを手に入れるために生きていきたい。
「アニメショップで、声かけてくれてありがと」
美紅の言葉が止まったのをいいことに、俺は自分の気持ちを美紅に伝えていく。
「ファンでいてくれて、ありがと」
でも、それでいい。
言葉は一方通行になってしまっているけど、気持ちは一方通行じゃないって気づいている。
「俺と出会ってくれて、ありがと。美紅」
これが、俺たちの関係だから。
これが、新しく築き上げていく俺たちの関係。
「大丈夫だよ、俺は美紅の声に夢中だから」
相手を安心させるための声を届けたいのに、それができているか分からない。
「美紅以外のボーカルなんて、想像もできないくらい惚れこんでるよ」
でも、聴かせてほしい、美紅の声を。
だから、俺は声をかけることをやめたくない。
「郁登さん」
「ん?」
響かせてほしい、美紅の声を。
「声、出せる」
「ん」
仮設テントの近くで美紅を発見したときよりは、少し顔色が良くなって見える。
「私、唄える」
「よしっ」
一歩前へと踏み出して、ほんの少し俺との間に距離ができた。
そして美紅は、こっそり深呼吸をして心を落ち着かせる。
「……本当……努力している人たちみんなが……プロになれる世界ならいいのに」「なれないから、続けるんだよ」
「……うん」
夢を叶えてやるって宣言したくても、本当に自分の夢を実現できるかどうか分からなくて不安。
いつかは自分の大切にしてきた夢が壊れてしまうことへの恐怖。
「プロで活動する権利を得たんだから、俺たちは活動を続ける」
そんな、いつかが来てしまうことへの寂しさと恐怖を抱えながら毎日を生きてきて、俺の場合は彩星がいなくなることで本当に夢が壊れてしまった。
「ありがとう、郁登さん」
「こちらこそだよ」
一作タイアップをもらったところで。
一曲の代表作を手にしたところで。
この先の仕事が安泰するような業界じゃない世界で仕事をしていく俺たち。
俺が、私が、成功者になってみせるって意気込んでも、そうなることができない確率の方が高い。
みんながみんな幸せになれる世界ではない場所で俺たちは仕事をしていく。
「それにしても、よく、私のこと、見つけたね」
「文化祭の雰囲気いいなーって、適当に歩いてたら見つけた」
「運命?」
「いや、そういう言い方は恥ずかしい……」
成功している人はしている人で、いっぱい悩んでいる。
「郁登さんと私は、運命共同体……」
「合ってるんだけど、恥ずかしいんだって!」
美紅が、こうやって俺の名前を呼んでくれるのは、あと何回あるのか。
「私、郁登さんと一緒に、ファンのみんなを笑顔にする一番の方法を探したい!」
出会ったばかりの美紅と過ごす時間が、あまりにも楽しいものすぎて。
出会ったばかりだってことを忘れてしまうくらい、美紅と過ごす時間があまりにも幸せなものすぎて。
「一緒に、ってところは百点満点」
「やった」
ずっと、こんな時間が続けばいいのにと思ってしまう。
ずっと、こんな関係でいられたらいいのにと思ってしまう。
「俺もそうだけど、ちゃんと俺たちを支えてくれる人たちもいる」
「その人たちも含めて、一緒」
「そう! 一人で音楽は完成しないんだよ」
みんながみんな将来の夢に向かって真剣に挑んでいる。
誰もがみんな等しく仕事のできる業界を目指しているわけではないのに、みんながみんな夢に近づくために。
夢を現実のものにできるように、物分かりのいい大人になったフリをしていく。
「美紅がいたら、すっげー心強い」
美紅が、こうやって俺に対して笑いかけてくれるのは、あと何回あるのか。
「私も、郁登さんと一緒で力強いよ」
「力強い……?」
「そう、力強い」
なんとか背伸びをして、美紅の頭をゴシゴシと効果音がつきそうなほど撫でてみる。
でも、その撫で方は上手くいかなくて、結局は美紅の髪型をめちゃくちゃにしてしまう。
「美紅のためになれるかは完全に未知だけど!」
なるべく大きな声を出す。
でも、文化祭の賑やかさの中では、俺の声がかき消されてしまう。
「美紅のためになるきっかけ……作りにいきたいと思ってるから」
そんな中でも、美紅は俺の声を聞き逃さないでくれる。
どれだけの人数がいるのか把握できない人混みの中にいても、美紅なら俺のことを見つけてくれるんじゃないか。そんな甘えを、美紅に抱いた。




