第1話「こぼす」
「俺って、天才かも」
頭の中を新しいメロディが駆け抜けていく。
頭の中を埋め尽くすこのメロディを、楽譜に残したい。
紙に音符を並べたところで、その音楽を好きになってくれる人がいるとは限らないけど。
(それでも、書きたい)
五線譜の上に、俺が作った音を刻みたい。
歌に感情を込めることができる彩星あやせの声を生かして、活かすことが俺に与えられた使命だと意気込んだ日々から卒業。
今度は美紅が表現する音楽に、ずっとずっと惹かれてしまうほどの中毒性をファンに与えていきたい。
(残したい)
彩星から、|GLITTER BELLを卒業したいって話を聞いたときは、鉛筆を持っても、シャープペンを持っても、ボールペンを持っても、楽譜を書こうって言う意志を働かせるだけで手が震えた。
楽譜を書くことを、素直に怖いと思った。
(でも)
自然に持つことができるはずの文房具たち。
普通に手を動かすことができるはずの物たちが、これから音楽を作るぞって意気込むだけで握ることができなくなった。
でも、今は、音楽を作りたい。書きたい。残したい。
そんな気持ちが、俺を動かしていく。
(俺が書かなきゃ、美紅はずっと磨かれない宝石のまま)
もう二度と楽譜を書くことなんてないかもしれないって焦りもあったはずなのに、こんなにも音楽を作りたくなるなんて自分で自分のことが笑えてくる。
「よし」
俺と彩星が通っている高校は、高校生という年齢で職を持つ人たちにとって優しい環境が用意されている。
芸能活動はもちろんのこと、高校生で起業する人もいるとかなんとか。
それだけ自由が約束されている環境下ということもあり、今日も俺は曲作りに関する様々な機器の使用申請の許可もらって空き教室で作曲中。
(あー、今日は美紅、来れないんだよなー……)
こういうとき、相方が別の学校に通っていると面倒くさい。
でも、美紅は美紅で、基本的には一生に一度しか訪れない高校二年って時期を満喫しているから文句も言えない。
「この高校、空き教室多すぎ……」
書き終わったあとの心地よい疲労感に襲われていると、元相方が許可もなしに空き教室へと入ってきた。
「機材とかの申請は許可制で、なんで空き教室は貸し切りにしてくれないんだろ」
「密室で、悪い企みができないようにとか?」
「さすが声優志望……発想が違う……」
彩星がGLITTER BELLを卒業するとはいっても、同級生という関係性が変わるわけではない。
無視し合うって展開にもならず、かといって仲が深まることもない不思議な関係は今日も続いていた。
「この教室は、関係者以外立ち入り禁止です。なんの用だよ」
「う~わ~……郁登いくとくんが急に冷たくなってる……」
眉をひそめてはいるものの、そこまで不快な顔をしていないところは役者向きなのかもしれない。
「冷たいんじゃなくて、これが通常」
自分の大切な人たちが頑張っているのに、自分だけは何もやらないままではいられない。
もっとエンタメ業界を盛り上げてくれている人たちの力になれるような行動を起こしたいからこそ、手と頭を動かしていきたい。
「どした?」
「……あー、うん、もうすぐで声優部の部活で」
彩星は首の後ろを擦りながら、教室に置かれている時計にちらりと目を向けた。
「三年から新しい部活に入るって、結構きつそ」
「頑張るよ、私が選んだ道だから」
大勢の人たちが集まって、ひとつの作品が完成していく。
自分独りで作品を完成させることができないからこそ、一人でも多くの人たちの力になりたいのに、相変わらず俺にできることは限られているから自分のことを嫌ってしまいそうになる。
「そこで頑張るのはいいけど、何か話したいことがあったから俺のこと探してたんだろ」
五線譜が書かれたノートと、パソコンに視線を行ったり来たり。
彩星の表情は視界に入らないけど、用もないのに俺のところに来るような人間ではないことは短い付き合いの仲でも理解しているつもりだった。
「経験者の中に入るのって、すっごく虚しい」
愚痴を零すのは、別に俺相手でなくてもいいはず。
声優部の部員でも、クラスメイトでも、やらせオーディションに参加する同士でもいい。
俺を相手に選ぶ必要はないのに、俺を話し相手に選んでくれたのは素直に嬉しいと思ってしまう。
(俺、拒絶されたわけじゃなかったんだな……)
彩星は声優部の部員を経験者と称するが、声優部に立派な指導者なんてものは存在しない。
みんながみんな初心者の中でもがきながら、二年間を無駄にしなかった生徒だけが素人なりの力を身につけてきたということ。
その、努力を積み重ねることができた一部の生徒に、彩星は屈してしまっているということらしい。
「振り出し……ゼロに戻るって、やっぱ厳しいよな」
「今が、まさにそうなんだよねー……」
「俺も同じだよ、ボーカルがいなくなって大慌て」
別に、彩星を責めているわけじゃない。
彩星だって、GLITTER BELLに戻りたいって弱音を吐きにきたわけじゃない。
それを互いに分かっていながらも、俺たちは言葉を交わす相手を探していた同士。
口にはしなくても、話し相手を求めていた。
その想いが通い合って、今に至るってだけのこと。
「郁登くんが音楽を担当した作品に、出演したい……」
「彩星が出演する作品の音楽、担当したい」
彩星の言葉が聞こえなかったわけじゃない。
だけど、互いの声が重なったため、もう一度、聞き返さなければいけなくなる事態に遭遇した。
「……えっと」
「聞こえなかった?」
欲しい言葉があった。
俺に、そんな言葉を言ってくれる人が欲しかった。
「郁登くんが音楽を担当した作品に、出演したいって言ったんだよ」
年齢性別問わず、次から次に夢を叶えていく人たちの中で戦わなければいけない虚しさ。
俺は若いうちに成功したって部類に入るのかもしれないけど、レコード会社のコンペに参加させてもらうときは何度も負け戦を強いられていた。
ファンが見えないところで負け続けて、次第に俺なんて音楽業界にいなくてもいいんだろうなって思考に襲われていく。




