後妻ではございませんわ
エスコット家のご当主であったリチャード様のご葬儀は、屋敷と近隣の者だけでしめやかに行われた。
ご壮健の頃は商売に精を出し、堅実に蓄財されてきたリチャード様。
奥様はすでに亡くなられており、一人息子のレイフ氏は十年も前に、財産の一部を持ち出して出奔したままだ。
一応、喪主となったわたしではあるが、実際に取り仕切ったり、きめ細かく仕事をこなしてくれたのはエスコット家の使用人たちだ。
「グレンダ様、ご逝去をお知らせする方の名簿はこちらでございます」
埋葬を終えた数日後。
やっと少し気持ちが落ち着いたところで、執務室の机に座った。
すると執事が必要な書類を渡してくれる。
「ありがとう。
一連のことは無事に済んだけれど、なかなか気持ちが落ち着かないし、仕事があったほうが気がまぎれそうね」
亡くなられたリチャード様はご高齢だったので、連絡の必要な知己も少ない。
わたしは十名ほどの名前に、ゆっくりと目を通した。
ドアをたたく音で顔を上げると、メイドの声がする。
「失礼いたします、少々よろしいでしょうか?」
わたしが頷くと、執事がドアを開けた。
「お母様! お花をもらってきたの」
入ってきたのは、わたしの十二歳になる娘。
「まあ綺麗ね。どうもありがとう」
小さな花瓶に活けられた花を、メイドが机に置く。
「……寝室にもね、もういらっしゃらないけど、お花を飾ってもらったの」
「そう、きっと喜んでいただけるわ。
ジョージアは本当に、あの方が好きだったものね」
「はい」
少し鼻声になった娘の肩を抱いて、窓辺に置いたソファに移動する。
「ごめんなさい、手紙は後で書くわ」
「そんなに急がれなくても大丈夫ですよ。
そろそろ、お茶の時間ですから、ここへ用意させましょうか?」
「ええ、お願いするわ」
娘の肩を抱いたまま、ソファで隣り合う。
子供の少し高い体温が、心を温めてくれるようだった。
使用人たちは、娘にもよく気を使ってくれている。
家庭教師が促して娘に花を選ばせ、庭師がそれを切って、メイドが活けてくれたのだろう。
悲しみに沈む娘が、少しでも気を紛らわすことができるように。
リチャード様は本当に、よい使用人たちを遺してくれた。
そうして少しずつ日常を取り戻しながら静かに暮らしていたエスコット家に、招かれざる客が来たのは半月後のことだった。
「お前が親父の後妻か?」
安物の服をコーディネートでごまかすような着こなしの中年男が家に乗り込んできたのだ。
「坊ちゃま……」
と執事が残念そうにつぶやいたので、この家の一人息子だったレイフ氏で間違いなかろう。
「嫡男の俺がいない隙に、まんまと入り込みやがって。
さっさと出てけ出てけ!」
いない隙と言うが、彼は十年以上は帰ってきていないのだ。
「後妻に相続なんてさせない。この家は俺のものだ!」
恫喝まがいの、いや恫喝そのものの大声で叫ぶ男。
しかし、彼は大きな勘違いをしている。
「残念ながら、わたしは後妻ではありませんし、相続もいたしませんわ」
「は? 何を言っている?
もしそうだとするなら、お前はどうしてここにいるのだ?」
出奔した身で何を言うと思うが、説明しなければ納得しないだろう。
「ご当主のリチャード様は、わたしの娘を養女にしてくださいましたので、わたしは養育係として雇われておりましたの。
更には、身体が弱ってしまわれたリチャード様を補佐し、将来は娘の助けにもなるべく執務のお手伝いを少々していただけで……」
横で黙って聞いていた執事が首を振る。
「いえいえ、少々などとご謙遜を。
グレンダ様は、よく勉強されて、今では当家になくてはならない存在です。
これからも、ぜひ、よろしくお願いいたします」
「ええ、こちらこそ」
和やかに笑っていれば、レイフ氏が割り込む。
「ちょっと待て、お前の話が本当だとして、後継ぎは男子と決まっている。
養女では話にならないではないか」
「ええ、もちろんですわ。
ですから既に、娘には婿入りしてくださる婚約者が決まっておりますのよ」
「婿!?」
「僕がその婿ですが、何か御用でしょうか?」
タイミングよく現れたのは、ジョージアの婚約者であるエドウィン様。
彼はとある大商会の息子さんである。
亡くなられたリチャード様と親しくされていた、先代のご当主の孫にあたる。
彼は祖父に連れられて当家を訪れた際に娘のジョージアを見初め、ぜひとも婿入りしたいと粘りに粘って、その座を勝ち取った。
「お母様、そろそろお茶をご一緒に……」
丁度その時、勉強が一段落した娘が執務室にやってきた。
エドウィン様が輝くばかりの笑顔で迎える。
「やあ、ジョージア。今日も可愛いね!」
しかし、娘も負けない笑顔だ。
「まあ、エドウィン様。今日も素敵です!」
エドウィン様はさりげない雰囲気ではあるが、上質で品の良いコーディネートで決めている。
「今日は、注文していたチョコレートが届いたので持って来たんだ」
「わあ、嬉しいです。ありがとうございます」
「君の母上はお客様の相手で忙しそうだから、むこうで先にいただこう」
「お客様?」
お客の姿を探す娘の視線を、自然なエスコートで遮るエドウィン様。
大事な婚約者に不要なものは見せないという、素早い判断である。
「ジョージア、それがいいわ。エドウィン様とゆっくりお話ししていらっしゃい」
「はい、お母様」
婚約者とともに部屋を出ていく娘。
その後には、チョコレートだけではなく、山積みのプレゼントの箱を持った三人の従僕が続く。
件のレイフ氏は娘に声をかけようとしたのだが、部屋にいた護衛騎士に素早く止められた。
筋肉隆々の騎士に真正面に立たれ、凄みのある笑顔を見せられて平気な人間はそうはいない。
「な、なんなんだ!」
「失礼! 我が主の大切な婚約者様のご気分を害するような言動がありますと、穏便に事を済ませられなくなりますので、やむを得ず」
「お、脅す気か!?」
まだ吠える気でいる気弱な犬に、わたしも声をかける。
「エドウィン様のご実家は、たいそうお付き合いの広い大商家ですから、そこと事を構えたとなれば、この国にいられなくなると申し上げても過言ではありませんわ」
「大げさな……」
「サンダーソン商会の名を聞いても?」
「……」
さすがのレイフ氏も黙りこくる。
サンダーソン商会は裏稼業の者たちにも顔が利き、逆らえば明日はないと言われている。
本当のところは、数代前の当主が少々暴れん坊で、裏稼業の者を何人か叩きのめして配下にしたことがいまだに噂として残っているだけなのだと現当主から聞いていた。
……事実かどうかは、わたしにはわからない。
けれど、その話を聞いた時にはニッコリ笑って『まあ、そうでしたのね!』と言う以外にできることはなかった。
「さて、それであなたのご用件は後妻は出ていけ、でしたかしら?
わたしは後妻ではないので、どういたしましょう?」
「そ、それは撤回するが、遺産……そうだ、俺は実の息子だから少なくとも半分は遺産相続の権利があるはずだ」
よく言う。
レイフ氏は出奔の際に財産の一部を無断で持ち出したため、父親に勘当されているのだ。
「あなたが十年前に持ち出された財産を相続分としてくれてやったことにする、と亡くなられたリチャード様からうかがっております」
「……もう手持ちがない。なんとか都合をつけてくれないと、困るんだ」
本音が出ましたか。
最初から低姿勢で頼んできたのなら、少しは考えなくもなかったのだけれど。
わたしが考え込んでいると、控えていた執事が告げる。
「この家から財産を引き出そうとすれば、十年前の持ち出しが罪に問われるかもしれません。
坊ちゃま、諦めてご自分でなんとかなさいませ」
「無理だ……借金がある」
沈黙が落ちたが、護衛騎士が朗らかに割り込んだ。
「でしたら、サンダーソン商会で仕事をなさったらどうですか?
先代ご当主の息子さんなのですから、さぞかし商才がおありでしょうし」
「そ、それは……」
「そうしましょう、そうしましょう!
善は急げです。すぐに商会のほうへ繋ぎますから!」
「え? え? ちょ、ちょっと……」
屈強な護衛騎士に肩をがっしりつかまれて、部屋から押し出されるレイフ氏。
二度と姿を見ることはないだろう。
「グレンダ様、申し訳ございません。
坊ちゃまは、更生なさっていらっしゃいませんでしたな」
「あなたが悪いわけではないでしょう。
きっと、あちらの商会がうまくやってくださるわ」
「そう願います」
少し身支度を整え、遅れて談話室に向かえば、若い二人は楽しく会話していた。
「お邪魔でしょうけれど、わたしにもチョコレートをいただける?」
「お待ちしておりました、お客様はお帰りに?」
娘の口に高級チョコレートを放り込み、話せない隙に婿殿が訊いてくる。
「ええ。護衛騎士の方が、ご親切に仕事をお世話してくださるのですって。
お金に困ってらしたようだから、これで安心ね」
「それは良かった」
一粒のチョコレートをしっかり味わった娘が会話に加わる。
「お客様はどなたなの?」
「あなたのお義父様のお知り合いでね、わざわざお悔やみにいらしてくださったのよ」
「そうだったのね」
素直な娘は素直に納得。ああ、可愛い。
「さあ、お姫様。次は何の味をご所望かな?」
「ナッツのクリームはあるかしら?」
「もちろんさ。さあ、召し上がれ!」
「ありがとう……わあ、美味しい!」
そして、この可愛いわたしの娘を見初めたエドウィン様は、なかなかの曲者。
三人兄弟の三男ではあるが、商才は長男次男に引けを取らないから、商会長の座を競うつもりでいたらしい。
だが、わたしの娘を一目見て、大商会の跡取りの座をあっさり手放した。
と言ってもエドウィン様は、すでに自分の商会を立ち上げているのだ。
婿入り後は先代に負けないほど、家を盛り立ててくれるだろう。
「ジョージア、美味しいのはわかるけれど、あまり一度に食べ過ぎると良くないわよ」
「はーい」
「す、すみません、グレンダ様。
僕がついつい勧めすぎてしまうばかりに」
娘より五歳年上の彼は、ことあるごとに娘を甘やかす。
溺愛というものを、こんなに間近で見せつけられることになるとは思ったこともなかった。
「あなたたちには、一緒に長く幸せを味わってほしいわ」
わたしは心からの言葉を告げる。
あの時、突然の病で夫を失い、幼い子供を抱えたわたしを、父の知り合いであったリチャード様が拾ってくださった。
実家で働かせてもらうことも考えたが、おそらく他家で仕えるよりは気まずいことが多かったはずだ。
凡才のわたしではあるが秘書という役割をいただき、一心にお仕えしたつもりだ。
他の使用人たちもよくできた人ばかりで、優しく迎え入れてくれた。
だからなおさら、なんとか役に立てるようにと頑張れたのだろう。
子連れで迷惑をかけると思っていたが、リチャード様は娘をとても可愛がってくださった。
養女に迎えたいとおっしゃったときの目は同情よりも本心を強く感じさせた。
さすがに、それなりの財産を引き継ぐとなれば簡単には返事ができない。
ところが、一緒に働いていた使用人の皆さんが口々に言ったのだ。
『旦那様はお歳ですから、万一のことがあれば、わたしたちも路頭に迷うかもしれません。
わたしたちのことも助けると思って、お引き受けください』
などと、泣きの芝居が入った説得をされた。
やがて、ジョージアに婚約者ができると、その溺愛が凄まじい。
リチャード様が建てられたこの家は、なかなか立派な構えだが敷地が広いため、集落からは離れていた。
しかし、今ではこの家をぐるりと囲う村のようなものができている。
それらの建物はすべて、娘の婚約者のエドウィン様が建てたものである。
最初は、娘に会いに来るたびに家の者を煩わせるのは申し訳ないと、滞在用の別荘を一軒建てるつもりだったとか。
しかし計画するうちに、それならいっそ守備を固めようと二十軒以上の建物が建つことになった。
もはや、城壁とも言える建物群だが、一流の設計士や庭師などたいそうな人々が呼び寄せられて作り上げたものだ。
囲まれていても息苦しさはなく、むしろ、長閑さを感じさせる自然豊かな城壁内で安全に過ごさせてもらっている。
執務室にいた護衛騎士も、エドウィン様が我が家の安全のためにと常駐させている。
屋敷内の者には、いつも親切で朗らかで、威圧感などかけらも感じさせない。
しかし、いったん何か起こったときには非常に頼りになる人だ。
先ほどのレイフ氏はこの家と所縁のある人物であり、きちんと話をつけなければいけない相手だから、ここまで来ることができた。
しかし、怪しい人物は城壁内に入ることなく、エドウィン様の配下によって処理されてしまうだろう。
どこかの悪人がこの家を標的にしても、得られるのは無残な結末だけである。
大事な娘を託すには、この婚約者以上の人物はいないと思うわたしも、相当な親馬鹿だ。
それから四年後、娘の婚姻と同時にすべてが婿殿に託された。
婿殿が自分の滞在用に建てた立派な別荘が新しいエスコット邸となり、旧邸はわたしの隠居所となった。
泣きの芝居が上手いやや平均年齢が高い使用人たちも、もれなくついてきた。
気心の知れた彼らと、これからはのんびり暮らしだ。
一線を退いた後のリチャード様は、ごくごく小さな規模の商会を経営されてきた。
近隣の人々が買い物に困らないようにと半ば善意で立ち上げられたものだが、その経営だけはわたしが引き受けた。
実は数年前から、婿殿が仕入れを引き受けてくれたので、儲かる割に楽な商売になっている。
「あんまり暇だから、旅行にでも行こうかしら?」
養女になったジョージアの母親だから、まるで主人の家族のように扱ってもらっていたにもかかわらず、実はちゃんと給料もいただいていたのである。
その資金もあるし、この機会に、と思い立った。
「サイラスさんを護衛に連れて行ってください」
と、執事から言い渡される。
サイラスとは、屋敷で何かと世話になったあの護衛騎士だ。
彼もまた、変わらずこの屋敷の護衛を務めてくれていた。
「でも、男女二人旅ではまずいでしょう?」
「グレンダ様、けして不埒な真似はしないとお誓いしますよ。
これでも騎士ですからね。
それから私は婚約中に振られて以来、モテたことがなく独身のままです」
「それで?」
「ですから万一、私との間に恋が芽生えても、後妻になる心配はありません」
「それは素敵ね」
わたしは笑ったが、執事は護衛騎士をつついているし、家政婦長はちょっと彼を睨んでいた。
冗談なのか本気なのか。新しい友情か新しい愛情か。
歳を重ねたわたしだからこそ、旅の間に何かを見つけるかもしれない。




