表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

私がお花畑で会いたいと言った時、あなたは会いに来なかった

作者: すじお

「今年も、マーガレットの咲く季節が来たわね」



庭園の奥、陽だまりに揺れる白い花を見つめながら、私はぽつりと呟いた。


誰にも聞かれないように、けれど彼だけには届くように、小さな声で。

その言葉を拾ったのは、彼ではなく、彼の忠実な従者——リュカだった。


「お嬢様。侯爵閣下より伝言です。『来たる金曜、城下の収穫祭にて。赤い灯籠の下で』とのことです」

「……また、代理人なのね」


リュカは何も答えなかった。ただ淡々と礼をして、風のように去っていった。



彼——レオニス・フィルデ侯爵は、高位貴族であり、国王の側近。私のような平民上がりの伯爵令嬢とは、人目を忍ばなければ言葉も交わせない。

……と、思っていたのは最初だけ。


けれど、何度も、何度も。


「お花畑で会いましょう」

「春の夜会の庭園で」

「秘密の図書館で、夕暮れに」



私は幾度も、彼に会いたいと願い、彼の送る暗号に希望を託した。

けれど彼は、一度として姿を見せなかった。


代わりに現れるのは、リュカ。時には老騎士。時には無言の侍女。

彼らは冷たく、無表情に、彼の伝言だけを残して去っていく。


私は彼に恋をしていた。無言のやりとりの中で、淡い言葉の端に滲む彼の優しさに、心を奪われていた。

でも、会えなかった。

いつも、誰かが来るだけだった。




それでも私は、彼の婚約者になった。

国王の命で、私とレオニスは正式に婚約し、式の日程まで決められた。

しかし、婚約者になっても彼と二人きりで話すことは一度もなかった。

彼は会議に忙しく、城を離れる日々が続いた。

それでも私は、信じたかった。


——彼は私を大切にしている、と。


でも、本当は怖かった。


「彼は、私のどこが好きなの?」

「私のこと、知っているの?」


答えは、いつも風のように流されて、言葉にならなかった。



「この夜会は、侯爵閣下自ら主催されたものだとか」

「へえ、婚約者の嬢さん、また来てないらしいわよ」

「まさか、破談じゃないでしょうね?」



夜会の噂が城を駆け巡る。

それは、彼からの初めての直接の招待だった。


けれど私は——行かなかった。

もう、疲れてしまっていたから。

呼ばれても、行っても、どうせ彼はいない。

誰かが代わりに、言葉だけを届けるのだ。



「今回は、違う」と言われたとしても、信じきれなかった。


私は、お花畑で待っていた。図書館でも、祭りでも、星空の下でも。

でも彼は、一度も来なかった。



だから今さら「会いたい」と言われても、もう、心が応えられなかった。




夜会の翌朝、宮廷にて。


「この婚約は、破棄する」


彼の冷たい声が、玉座の間に響く。


「我が主催する夜会に、たった一度も顔を出さぬとは。王命による婚約とはいえ、その態度は不敬に値する」


誰かが息を呑んだ。

私は、ただ静かに頭を下げる。


「そうですね。婚約を解消しましょう。あなたは、私の言葉に一度も応えてくれなかった」

「……なんだと?」

「私が、お花畑で会いたいと言ったとき。あなたは、会いに来なかった」


声は震えず、涙も流さなかった。

けれど彼の目が、かすかに揺れたのを、私は見逃さなかった。

今さら、その目の奥にある感情を知っても、もう遅い。



季節は再び巡り、マーガレットが咲く季節。

私は今、遠く離れた小さな村で、花屋として静かに暮らしている。



「この花、侯爵様からの贈り物ですよ」


店の少女が、そう言って赤いリボンのついた花束を差し出した。

——赤い灯籠の色だ。


私はその花を受け取ると、静かに花瓶に活けた。

花瓶の花の命は短い。



「会いたかったのよ。あの花畑で。長く咲き、輪廻するお花とあなたとの愛を誓いたかった」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ