悪役令嬢、女騎士と共に街の浴場施設で湯に浸かる。
騎士団屯所を後にした私たちは、夕暮れのセトランド王都の石畳の道を並んで歩いていた。
セリスティア「……ふぅ……。」
思わずため息が漏れる。今日は本当に、朝からずっと動きっぱなしだった。騎士団員らとの実戦訓練、バークマン様との本気の決闘、フレイジェルとの一件、クリムゾン団長との対面、特別訓練生の許可、そして冒険者宣言……。頭の中がぐるぐる回って、身体も鉛のように重い。
カレンが心配そうに私の顔を覗き込む。
カレン「セリス、大丈夫? 顔色が悪いぞ。……今日はもう、ゆっくり休もう。」
セリスティア「うん……ありがとう、カレン。でも、ちょっとだけ……疲れちゃったかも。」
カレンは少し迷った様子で、ふと足を止めた。そして、優しい笑みを浮かべて私の手を引く。
カレン「じゃあ、良い所に連れて行ってあげよう。セトランドで1番、身体の疲れが一気に取れるって評判の浴場施設だよ。今日は特別に、私が奢るするから。」
セリスティア「え……浴場?」
カレン「ああ! 温泉ではないが、魔力石で温めた湯が凄く気持ち良いらしい。騎士団の皆も良く利用している。何たって叔父上の」
そう言って、カレンは私を王都の中央広場から少し外れた、瀟洒な石造りの建物へと案内してくれた。入口には『月影の湯』という看板が掲げられ、ほのかに硫黄のような、でも優しい香りが漂ってくる。
中に入ると、受付のカウンターに立っていたのは40代くらいの落ち着いた雰囲気の女性従業員だった。彼女は私達を見て、にこりと微笑みながら私達を出迎える。
番頭の女性「いらっしゃいませ。お二人様ですね。入浴料は大人・子供問わず、銀貨1枚ずつでございます。」
カレンはすっと懐から革袋を取り出し、銀貨を2枚、カウンターに置いた。
カレン「はい、2人分です。」
番頭の女性「ありがとうございます。……あら、今日はお嬢様お二人でいらっしゃるのですね、どうぞ、ゆっくりとお疲れを癒してくださいませ。脱衣所は右奥、湯殿は奥の扉からどうぞ。」
私たちは礼を言って、脱衣所へと向かった。脱衣所は清潔で、木の棚と籠が整然と並んでいる。カレンが先に鎧を外し、を脱ぎ始め、私も少し照れながら服を脱いでいく。
セリスティア「……カレン、こういう所って、よく来るの?」
カレン「いいや、実を言うと私も初めてなんだ。叔父上が『疲れた時はここに行け』って教えてくれただけ。でも、評判は本当みたい。……ほら、見て。」
カレンが扉を開けると、そこには広々とした湯殿が広がっていた。大きな湯船が二つ。片方は白い湯気が立ち上る熱い湯、もう片方は少しぬるめの薬湯。壁には淡い青のタイルが貼られ、天井からは柔らかな魔法灯の光が降り注いでいる。湯船の周りには、大きな岩や観葉植物が配置され、まるで自然の中にいるような錯覚を覚える。
セリスティア「わぁ……綺麗……。」
カレン「そうだろう、さあ、入ろうか。」
私達はそっと湯船に浸かった。熱いお湯が、じんわりと疲れた身体に染み込んでくる。思わず、深いため息が漏れた。
セリスティア「……はあぁ……生き返る……。」
カレンは隣で目を細め、気持ちよさそうに湯に肩まで浸かる。
カレン「ふふ、セリスったら。今日は本当に頑張ったからな。……お疲れ様。」
セリスティア「カレンこそ……。私ばっかり守ってもらってばっかりで……。」
カレンは首を振って、私の肩にそっと頭を寄せてきた。
カレン「そんな事はない。セリスがいてくれるから、私も強くなれるんだ。……これからも、ずっと一緒にいよう。」
湯気の向こうで、魔法灯の光がゆらゆらと揺れている、私達は湯船の中で、しばらく無言で温もりに身を委ねていた。
ふと、カレンが小さく息を吐く。
カレン「……セリス。覚えてるか? 出会った頃のこと。」
セリスティア「え……?」
カレン「川で……2人とも裸になって、水に浸かった。あの時も、こうやって……肩を寄せ合ってたな。」
その言葉に、私の胸がきゅっと締め付けられる。あの時の記憶が、鮮やかに蘇ってきた。まだお互いのことをよく知らなかった頃。でも、なんだか自然に、肌を寄せ合って寒さをしのいだ、あの温かさ。
あの時は、足を滑らせてしまって溺れそうになった所をカレンが助けてくれたんだっけ。
セリスティア「……うん。覚えてる。あの時は、まだカレンのこと……全然知らなかったのに、今となっては、何だか安心したんだよね。」
カレンはくすりと笑って、私の肩に頭を乗せる。湯気が2人の間を優しく漂う。
カレン「セリス……背、伸びたね。しかも……少し、筋肉が付いて、少しずつ逞しくなって来てるよ。」
彼女の指が、私の肩から腕へと、そっと滑る。触れられたところが熱くなる。
セリスティア「え、そ、そうかな……?」
カレン「ああ。これも訓練の成果だ。……綺麗だ。」
その言葉に、照れくさくて顔を赤らめる。でも、視線を下げると――カレンの胸が、湯の表面にふわりと浮かんでいるのが目に入った。
……あれ? 私より、ずっと……大きい。
セリスティア「……カレンの方が、胸……大きくなってる。」
思わず、ぽつりと呟いてしまう。
カレン「え?」
セリスティア「ずるい……!私、こんなに頑張って訓練してるのに、何でカレンは胸ばっかり……!」
カレンは一瞬きょとんとして、それからくすくすと笑い出した。
カレン「ふふっ、嫉妬か?セリスったら、可愛い所もあるんだな。」
セリスティア「もうっ! 笑わないでよ!」
頬を膨らませ私はむくれながら、勢いよくカレンの胸に両手を伸ばした。――鷲掴み。
セリスティア「それっ!」
カレン「ひゃっ!? セ、セリス!?」
柔らかくて、温かくて、弾力が凄い。思わず、両手でぐにぐにと揉みしだいてしまう。
セリスティア「ほらっ! ずるいんだから! 私だって、私だってもっと大きくなるもん!」
カレン「や、やめ……あはっ、くすぐったいからぁ!」
湯の中でばしゃばしゃと水しぶきが上がる。カレンが逃げようとして、私の腰を抱き寄せようとする。2人とも笑いながら、じゃれ合う。
――でも、次の瞬間。
セリスティア「あっ……!」
足が滑った。
身体が前のめりに傾き、そのままカレンに向かって倒れ込む。
カレン「セリス!」
カレンは咄嗟に両腕を広げ、私の身体をしっかりと受け止めてくれた。私の胸が、カレンの胸にぴったりと重なる。顔と顔が、息がかかるほどの至近距離。
2人『……っ』
二人とも、ぴたりと動きを止める。
カレンの瞳が、すぐ近くで揺れている。長い睫毛に、湯気が絡みついて、まるで宝石のように輝いている。頰が、ほんのり赤い。
セリスティア「……カレン……。」
カレン「……セリス……。」
心臓が、ドクドクと鳴っている。自分の物なのか、カレンの物なのかも、もう分からない。そのまま、何秒か――永遠の様に感じる時間が流れ感じていた。やがて、我に返ったカレンが慌てて顔を背け、咳払いをする。
カレン「……あ、あの、え、えっと、その……もう、ちょっと熱くなってきたかもな。そろそろ、上がろうか?」
セリスティア「う、うん……そうだね……。」
私たちは慌てて湯船から立ち上がり、互いに目を合わせないようにしながら脱衣所へ戻った。身体が火照って、顔が熱い。湯のせいだけじゃないのは、分かっていた。
脱衣所で身体を拭き、着替えを済ませると、施設の休憩スペースに移動した。そこには小さな売店があり、冷えた果実入り牛乳が売られている。
カレンが2本買ってきて、並んで座る。
カレン「はい、セリス。冷たいの、飲もう。」
セリスティア「ありがとう……。」
瓶を傾けると、甘酸っぱい果実の香りと、冷たい牛乳が喉を通る。火照った身体に、心地よい冷たさが広がっていく。
セリスティア「……ふぅ。生き返った……。」
カレンも一口飲んで、微笑む。
カレン「良かった。……今日は、本当にありがとう、セリス、そして済まない、無関係だったセリスにまで騎士団内の派閥抗争に巻き込まれてしまって。」
セリスティア「ううん、私の方こそ……。カレンと一緒にいられて、幸せだよ。」
少し間を置いて、私はふと思いついたことを口にした。
セリスティア「……ねえ、カレン。今度……レイラも誘って、3人で此処に来ようよ、ゆっくり出来る日にね。」
カレンは少し驚いた顔をして、それから優しく微笑んだ。
カレン「……そうだな。レイラも、きっと喜ぶだろう。3人で、ゆっくりお風呂に入って……たくさん話そう。」
セリスティア「うん! 約束だよ。」
夕暮れの光が、休憩スペースの窓から差し込んでいた。
果実入り牛乳の甘い香りと、二人の小さな約束が、静かに部屋に満ちていくのであった。
*
side KAREN。
休憩スペースの木製の長椅子に並んで座り、冷えた果実入り牛乳をゆっくりと味わう。
セリスは湯上がりの火照りがまだ残る頰を、両手で軽く押さえて息を吐いた。濡れた髪が首筋に張りつき、薄手の浴衣が少し肌に貼りついて、いつもより幼くも、どこか色っぽく見える。頰はほんのり桜色で、瞳は湯の温もりで少し潤んでいる。
私は、そんなセリスの横顔を、牛乳の瓶を握ったまま、じっと見つめていた。
……さっきの、浴場でのこと。
足を滑らせて倒れ込んできたセリスを、咄嗟に抱き止めた瞬間。胸と胸が重なり、息がかかるほどの距離で瞳が合った。あの時の、心臓の鳴り方が、今もまだ耳の奥で響いている。
ドクン、ドクン。
それは、ただの師弟の絆なんかじゃなかった。
弟子を守るための、当然の行動のはずなのに――あの瞬間、あの瞬間だけ、私の胸に広がったのは、もっと熱くて、もっと切ない何かだった。
12歳とは思えない成長したセリスの柔らかい身体の感触、湯気で火照った肌の温もり、至近距離で見た大きな瞳……。その全て、頭から離れない。
私は、牛乳の瓶を握る手に少し力を込めた。指先が白くなるほど。
カレン{……私は一体、何を考えてるんだろうか。セリスは、私の大切な弟子で……それなのに……。}
視線を逸らそうとするのに、何故か眼がセリスから離れない。彼女は果実入り牛乳を飲み干し、空の瓶をテーブルに置いて、ふぅっと息をついた。
セリスティア「ん?カレン、どうしたの?何か、ぼーっとしてるけど……。」
私はハッとして、慌てて笑顔を作った。
カレン「あ、いや……何でもない。セリスがその、湯上がり姿でも可愛いなって思ってて……。」
セリスティア「えっ!?か、可愛いって……!急に何!?」
顔を真っ赤にして、セリスが両手で頰を覆う。その仕草がまた愛らしくて、私大きな胸がきゅっと締め付けられる。
カレン「……うん。本当に、可愛いよ。セリス。」
声が、少し低く掠れた。自分でも気づいてしまうほど、甘く。セリスは照れくさそうに眼を逸らし、私は自分の服の裾をぎゅっと握った。
セリスティア「……カレンこそ……。湯上がりで、いつもより綺麗だよ。赤い髪も、肌も……。」
今度はカレンの番で、頰が熱くなる。
カレン「……そ、そうか、ありがとう。」
2人は暫く、無言で並んで座っていた。
窓の外では、すっかり夜の帳が下り、王都の街灯が淡く灯り始めている、私は、そっとセリスの手に自分の手を重ねた。指先が触れ合うだけで、胸がまた高鳴る。
カレン{……これは、きっと……ただの師弟の気持ちなんかじゃない。}
でも、今はまだ、その思いを言葉にする勇気はない。ただ、こうして隣にいてくれるだけで――それだけで、十分に幸せだった。
セリスティア「……カレン?」
カレン「ん……?」
セリスティア「今度、レイラも誘って三人で来ようって言ったけど……今日は、2人きりで良かったかも。」
カレン「!」
私は、優しく微笑んだ。
カレン「……ああ、そうだな。私も、そう思う。」
2人の手は、そっと、離れずに繋がったままだった。月影の湯の休憩スペースに、甘い果実の香りと、私とセリスの静かな鼓動だけが、優しく満ちていくのだった。




