竹林の夜
渓月は神花域へ戻ると、真っ直ぐに竹林へと向かった。
夜だからと言って、竹林に特別な何かがあるというわけではない。ただ昔から、渓月は眠れぬ夜に竹林き、ぼんやりと夜空を見上げるのが好きだった。
帝神になったばかりの夜は緑がかった満月だった。竹林の近くに浮かんでいた雲が満月を優しく覆っていたからなのか、そのような色をしていた。
月夜に照らされながら、渓月は自らの手首にある神花痕を凝視していた。ついさっき神花縁が結ばれてから、彼女の神花痕からはずっと桃色の光が放たれている。その光の意味は、ただ一つ。渓月のこれまでの修行で得た霊力が、刻一刻と永池の命へと換えられているのだ。
「はあ」
渓月はとめどなく出てくるため息をつきながら、手首を袖で覆った。
気晴らしに、竹林の竹でも切って、神花楼の屋根の修復でもしようか、と思ったが止めた。どうせ散華は寝ているのだから、そんなときに屋根の修復なんてしたらきっと目を覚ますに違いない。
仕方なしに、渓月は竹を切って、一本の剣を作り、それを振り回した。密集して生えている竹林の中で剣を振り回すと、剣先が竹に当たってしまう。それでも大して大きな音は立てていないはずなのに、渓月のもとに一歩一歩、近づいてから足音が聞こえてくる。それが誰のものなのかは、渓月には一瞬でわかった。
「師匠。起こしてしまいましたか」
渓月は師弟の礼をし、散華は帝神となった渓月に向けて礼をした。もうすでに、散華は帝神ではなく、一介の神官と大差なくなってしまったからだ。
「いえ。最近は眠れない日が多いだけです。ここで、剣の練習ですか」
「はい。なんだか、眠れなくて」
「帝神になったから、落ち着かないのかも知れませんね。かつてわたくしがその地位に就いた時もそうでした。自らの修練が主君の治世に影響をもたらすので、わたくしの修練では主君に何の結果も与えられない、と早々に絶望してしまったのです。帝神の地位には相応しくないという自責の念で、しばらくの間は眠ろうにも眠れなかったことを覚えています」
散華が懐かしそうに笑った。ふと、かつてこの竹林で渓月の修行をしていた時の散華はただの一度も笑顔を見せてくれていなかったな、と渓月は思い返していた。
「渓月にも、何か不安なことがあるのではないのですか?」
散華の穏やかだが弱々しい声に、渓月はただ静かに頷いていた。
「師匠、わたくしには自信がないのです。主君に......を与えられる自信がありません」
「何を与えるつも......りなのですか」
いよいよ耐えられなくなったのか、散華が再び空咳をする。
「神花縁とは関係のない生き方です」




