帰ってきた師
「もちろん、知っていますとも」
雨にかき消されるかどうかと言う狭間の声で、緒明は言った。
「それなら、なぜ拒まれるのですか。これまでも、緒明殿は後継者の指導を行ってきたのではないですか。天君が病にかかっており、天界の安寧もいつ壊されるのかもわからない今、どうして永池殿下の指導を断られるのです?」
「霊力がないからですよ。わたくしも長く後継者のお立場となられている方の指導をしてきましたが、あれほどまでに霊力がない者は初めてです。わたくしには、とてもではないですが手に負えません」
「霊力に関しては、わたくしが何とかいたします」
渓月は全身だけでなく声まで震えそうになるのを無理矢理に押さえ込みながら、それでいて確信を持っていった。
「何とか、とは一体どうするつもりですか?」
「もしも、わたくしの霊力を全て彼に移すことができるとしたらいかがでしょう?」
渓月はわずかとは言え、希望を込めながら言ってみたつもりだったが、対する緒明は相変わらず、氷のような視線で彼女を眺めるばかりだった。
「主神。夢を見るのもほどほどにしてください」
秋桜閣に行った日から、ふた月が経った頃、神花域に散華が戻ってきた。だからといって、何か特別なことがあるわけでは全くないが。
「渓月。少し良いですか」
午の刻、ちょうど渓月が永池に竹林にて修行を施している間に、散華が彼女を探して訪れる。
「永池。そのまま、瞑想を続けていなさい」
永池は瞑想していたせいで、一切の反応を見せない。渓月と散華は彼を竹林に残したまま、神花楼へと向かう。
神花楼内、神花湖の脇で、渓月と散華は並んで湖の水面を眺めていた。
「師匠、どうなさったのですか。てっきり数日は神花楼でお休みになるかと思っていたのに」
散華が三月前に天宮に滞在するようになった時、天界では正体不明の者により邪術で天人を害する事件がはびこっていた。それに対処するため、強力な霊力を使って邪術を封印する陣を敷いた永聡は、陣を敷き終わったふた月前から病に伏せっていると聞く。
「ふふ。本当はそうしたいのですが、そうはいきません。主君の病状は日に日にひどくなるばかり。わたくしが主君のそばにいて、何とか命をお繋ぎしなくては。後継者も、未だ出現していないことですし」
「師匠。一つだけまだお話ししてなかったことがあります」
渓月は視線を神花湖に向けたままだが、散華は視線を弟子に向ける。
「まだわたくしに伝えていなかったこととは?」
「師匠、後継者は既に天界に現れております」
楼内にある窓からわずかに漏れていた陽光が、一段暗くなる。近い時間で雨が降るかもしれない。
「まさか、あの......」
「はい。今竹林で修行をしている永池こそが天界の後継者です」




