9 姫神の加護
話は、御堂を建て直した一年後に移る。
「お堂を建て直したのは、2010年の3月。その一年後っていうと、何があったか、覚えてるかい?」
「地震」
東日本大震災。2011年3月11日。
「正解。そして、福島といえば、もう一つの悲劇が起きた」
「原発事故」
「そう。事故があった福島原発から、ここまでおよそ50キロ離れてる。にも関わらず、地形と風の流れの影響で、ここまで高い放射線が届いた。あの時の絶望感といったらなかったさ。この辺は農業地帯。汚染されれば、生活は壊れる。土が除染されるまで、何年掛かるかも分からないと言われた。死ねと言われた様なもんさ。そんな最中、国の指示で、各大学や医療機関が、各地の放射線量を綿密に測るってんで、色んな人達が放射線量測定器を持って、防護服着てあちこち線量を測って回る様になったんだがね。みんな口を揃えて、驚きながらこう言うんだよ。ここを境に、一気に数値が下がるって」
ここ、とは。
斉藤さんは、横にある道路を指差している。東に伸びる県道。さほど広い道でもなく、片側1車線で、歩行者がいるとやや手狭に感じる程度。古谷達も、来る時はひたすらこの道を登って来た。道に沿う様に、穏やかに沢が流れる。川の向こうは、山の断面が迫る。人の立ち入りを許さない、険しい山だ。
「この県道は真っ直ぐ東に伸びている。山を登り、越えていくと、やがて海に着く。この先の山の山頂に登ると、天気が良ければ海が見えると言われている」
海。太平洋。その海岸沿いに件の原発はある。
「俺らが子供の頃は、車なんて滅多に無かったから。この道を自転車でずっと走って行けば、海に辿り着けるなんて、夢見てたもんだよな」
「今じゃ、自転車で行けなんて言われても、死んでも嫌だけどな」
「いや、実際ジジイじゃ死んじゃうよな」
斉藤さんと松永さんの、ジジイトークである。
「ま、そんな道だからさ。真っ直ぐ山から下って来てるし、別にここが谷間な訳でもない。どう考えても、ここで風の流れが変わる訳ないのさ。それなのに、まるで見えない壁が、ここに。このお堂の位置から壁が生えているかの様に、線量が変わるんだそうだ。偶然でも、故障でも無さそうだった。何故なら、他の研究機関の連中が、違う測定器持って来て測っても、同じ結果になる」
「日付が違っても、ですか?」
「そう。みんなバラバラに、いろんな日に来てたし、風向きも毎回違ったと思う。だから、測ってる研究員や役所の人達が、こぞってびっくりしたんだろうな」
「その話は、初めて聞いたわー」
小田も、驚いた様子だった。
「この、側道からの風、とか?」
うさぎも、小首を傾げる。
柔らか風が、丁度県道に向かって吹いた。黒髪がふわりと靡く。
「だとしても、立派な神風だな」
古谷も珍しく、迷信じみた台詞を吐いてしまう。
「分からんけどねー。もっと科学が発展したら、いつか解明されるのかも、しれんけど」
でもね、と松永さんは続ける。
「俺らは、行来姫が助けてくれたんだと、思ってる。こうなる事を知っていたから、力を蓄える為に、姉妹に助けを求めたんじゃないかなー、なんてね」
この小さな町は、姫神様の加護の元、今もささやかな営みを、続けているのだ。