80 恋愛談義
「勢司さん、お疲れ様でした」
11時過ぎにお開きとなり、皆でホテルに戻る。ほてった顔を覚ますには、熱帯夜の夜風はぬる過ぎた。赤い顔のまま、穂積は隣を歩く勢司を労う。勢司が始終さやかの相手をしてくれたおかげで、小田はその後絡まれる事なく、藤井代表の話題も出なくなり、最後まで楽しく食事をする事が出来た。
「いえいえ、お気になさらず。珍しく谷やんも苦手なタイプだったみたいだからね、たまには俺も気を利かせないとね。大丈夫、それなりに楽しく過ごせたよ。俺もチーム関東に出入りしてるからね、そっちの話しで盛り上がった」
「関東チームの活動も、ここみたいな感じですか?」
「まあ、基本やってる事は一緒だよ。向こうの方が年齢層が若くて、人の流動は激しいかな。1、2回来て終わりの人が大半。学生さんが多いかな」
「へえ、そうなんですね。こっちは、社会人がメインって感じですよね」
「学生が多いほうが、助かる面も多いんだけどね。どうしても社会人だと、論文まとめたり資料転用の許可取りしたりする時間が、捻出するの大変だからさ」
「そっか。フィールドワークして終わりじゃないんですね。これを纏めなきゃいけないのか」
仕事の後や、少ない休みの日にそれを行うのは、難儀な事だろう。ここにいる面々も、やれ大学教員だ、公務員だ、会社社長だ、小説家だ…
ー誰がやるの?
え?僕?無理だよ?いっつも11時頃まで残業してるからね?終電ギリギリまで会社にいるからね?
「まあ、いつもの流れなら、論文纏めは小田先生、申請系は谷やん、画像整理や動画編集は俺、てとこかな。自己申告だから、無理矢理やらされる事はないよ。心配いらない」
「……すみません」
顔に出てたか。恥ずかしい。
穂積は己を恥じた。
「皆さん、すごいですね」
「なー。スタミナあるよなー」
勢司も笑うが。本人とて、忙しい日々を送っているのだろう。
僕ももう少し、余裕を持てるようにならなければ。
そう思い、後ろを振り返る。後ろでは、うさぎと染香が話しながらついて来ていた。
「死んでまで、夫婦になる必要があったのかって事よね?うさぎさんが疑問に思っている事は」
「はい。結ばれる事って、生きる事より、大事なのでしょうか?」
「そうねえ。お美代の場合は、死ぬより選択肢が無かったから、他の心中とも事情が違うのかもしれないけど。夫婦になる事がゴールの人間には、心中も立派なゴールなんじゃないかしら」
「夫婦になる事が、ゴール、ですか?」
「そうよ。シンデレラが、王子様と結婚してお城に引っ越してゴール、みたいな?その先になんて、興味ないのね、きっと。むしろ、その先にある人生は生々しいから、不要なのかもしれないわね。美しい恋愛を成就して、めでたしめでたし。結婚した後のお金の問題とか、育児の問題とか、家事の分担とか、親の介護とか、パートナーの病気とか?そんな物は、見たくないのよきっと。人生、その後の方がずっと長いのにね」
「結婚の後には、苦労が待ってるって事、ですか?」
「そうね、人生だもの。苦楽は付きものよ。でもね、苦労イコール不幸ではないのよ。苦労は人を育むわ。そこを避けて生きれば、ただのろくでなしになるわ。大事なのは、苦楽どちらも共に歩んでくれる相手を選ぶ事よ。楽の時だけ寄り添って、苦の間は尻尾を巻いて逃げてるような相手は、選んじゃダメ」
「そんなクソ、いるんですか?」
「いるわ。しかも一定数。男女共にね」
「ど、どうやって見極めれば……」
「簡単よ。言葉を沢山交わす事。いくつもの価値観を共有しあって、相手の善悪や好き嫌い、興味や思考の癖、感情の動き方を知るの。尊敬できるだけじゃダメ。真心も大事。お互いにね」
「それでもダメ人間を、愛してしまったら?」
「好きにすれば良いわ。でもその愛を成就できるのは、あなたが健康で自由な間だけよ。それを覚悟できるなら、愛すれば良いわ」
「勉強になります」
「おほほ。まあ、話しを戻すけど、『この人と結ばれないなら、死んだ方がマシ!』みたいな意地は、あるんじゃないかしら。それでホントに死を選ぶのは愚かだけど、それでも守りたかった矜持なのかもしれないわね」
「愛が矜持、ですか……」
うさぎが考え込む。あまり納得出来てない風だった。染香は優しく笑う。
「愛の比重は、人によって違うわ。愛に生きる者もいれば、愛を捨てて我が道を行く者もいる。どちらも正しいから、そういう意味では、心中を否定もできないわ」
「そうですね。太宰治も、四回は心中してますものね」
「数こなせば良い訳でもないけどね」
女性二人の冷めた恋愛談義は、この後も淡々と続いた。




