77 飛蛾撲火
目の前で燃え尽きる蛾を眺めながら、うさぎは呟く。
「火取蛾と、呼ぶそうです。よく行燈の火に、飛び込んで、火を消してしまう習性から、火を盗む、という意味で、この名が着いたとか」
感情の読み取れない、人形のような顔だ。宵の闇と提灯の朧火のせいで、この世のモノではないような、幻想的な美しさと、怖さがあった。
「どうして、火に飛び込んで行くのでしょうか?その先にあるのは、死と離別だというに」
うさぎは穂積に問う。だがその表情からは、何も読み取れない。
「それは、やはり、反射的な物なのでしょう。虫に脳はありませんから、死を予測する事はできませんでしょうし。遺伝子に組み込まれた反応に従うのでしょう」
穂積は、自分で答えておいて、実につまらない答えだと思った。うさぎとて、そんな答えが欲しかったわけでもないだろう。
「そうですね。本能に、従うのでしょう。私はまだ子供なので、愛とは何か、よく分からないのです。愛があれば、死の先にさえ、道が見えるのでしょうか?それとも、愛自体が本能であり、素直に従った先に、死があるのでしょうか?」
違った。うさぎが見つめていたのは、夜蛾に重ねたお美代伝説だ。何故二人は、心中を選んだのか。
あえて死を選んだのは、何故か。
それを問うていたのだ。
「そうですね。その場合、死の先に見たのは、来世なのではないでしょうか?今生では敵わなかった愛を、来世に託して、二人は身を投げたのでしょう」
これもまた、凡庸な答えだと思った。やはり自分は、文学は好きだが、ゼロから物語を生み出すのは向いていない。
「私なら、愛した相手がいたとして、きっと生きて欲しいと、願うと思うんです。もちろん、私を忘れて欲しくは、ないのですが。それでも、少し泣いて、惜しんでくれたら、それで十分だと、思うのです。あとはまた、他の人に恋をしても良いので、幸せに、長生きして欲しいと、思うのです。一緒に死んで欲しいとは、思えません。それは、私が幼く、煮え滾るような愛を知らないから、言えるのでしょうか」
「どうでしょう。僕も今まで生きてて、心中したいと思った事がないので、分かりませんが。うさぎさんの考えも、立派な真心だと思います。愛に正解は無く、自分が信じる形に育むしか、ないのだと思います」
少しずつ、並んだ出店の列は前に進んで行き、いよいよ次が穂積達の番になる。
「でも私、心中は理解できませんが、後追いは、理解できるんです」
ー急に怖い事を言い出したぞ、この人。
焼きそばの良い匂いがする中で、うさぎはほんの少し微笑む。
「私も、どうしようもなく恋焦がれたり、慈しむ人の死を迎えたら、追いかけるかもしれません」
「勘弁してください。そしたらきっと、僕は石井さんに殺されます」
割と本気で穂積は震える。自分の目が黒い内は、絶対にそんな事させない。そうだ!そもそも恋愛などしなければ良いのだ!
「ふふ。まあ、冗談はこれくらいにして。お美代と峰吉は、本当に心中したのでしょうか?」
「?と、言いますと?」
「私が、僭越ながら、お美代の物語の続きを、書くなら」
焼きそばが出来上がる。穂積は人数分受け取り、代金を払う。
「宇崎さんが、物語を書くなら?」
興奮気味に、穂積は問う。しっ、と、うさぎは自分の口元に、細い指を当てた。
「うさぎ、です」
「あ!すみません!」
宇崎清流を、うさぎと呼ぶように決めたのは、穂積の上司である石井だ。どうせお前は、焦ったり寝ぼけた時に、間違って宇崎先生の名を呼ぶだろう。その時に、誤魔化せるように、うさぎにしておけ。そう言われて、この呼び名が決まった。
そこまでしなくても、何なら、宇崎さんのままで、下の名前だけ変えれば良くないですか?宇崎さん、なら、そんな珍しい苗字でもないでしょう?まあ、多くもないでしょうが。
あの日、穂積がそう言うと、石井は渋い顔で首を振ったのだ。
それは危険過ぎる。宇崎先生は作風的にも、かなりマニアックなファン層が付くだろう。なるべくリスクは避けたい。ちょっとした言い回しや、話口調なんかで、勘付かれる可能性だって、皆無では無い。
ーさすがにそれは、心配し過ぎじゃないか?
そう思わなくもないが、親元を強制的に引き離された少女を、守る義務がこちらにはある。
「それで?うさぎさんなら、どんな続きを書きますか?」
穂積がもう一度問うと、うさぎはちょっと微笑んでみせたあと、続きを話してくれた。
「私が伝承の続きを書くなら、お美代と峰吉は、死ねません。川の流れは速いですが、橋からはあまり高さもないですし、途中で、どこかの河岸に、流れ着くのではないでしょうか。もしかしたら、歴代の生贄となった女性達も、死なずに流れ着いているのかも、しれません」
「なるほど。ありそうな話しですよね。では、二人は心中したと見せかけて、どこかへ逃げ落ちたと?」
「そう。身分を捨てて、賎民同等となったであろう二人が、幸せに暮らしたかどうかは、分かりませんが。川下の集落辺りを調査したら、面白い史実や言い伝えが、出てくるかも、知れませんね」
「そっか。こんな風に、調べる事が増えて行くんですね。伝承を追いかけて、次の伝承に辿り着く、みたいな」
「推理小説を読むのに、少し似てますね。この吊川の川沿い、辿って行くと、川下に『水反通り』という繁華街があるそうです。なんでも、元は小さな花街だったとか。案外、流された女性達が、匿われていたかも、知れませんね」
「へえー。よくそんな事、知ってますね」
「踊っている時、町の女性達から、色々教えて頂きました」
しっかりしている。楽しんでいるようで、あながち根幹を忘れていない。
穂積は、待ってる間ただイカ焼きを食っていた自分をこっそり恥じた。




