71 新入社員、穂積圭吾
物語は、うさぎと古谷が出会う、ちょうど一年前に遡る。
東京都千代田区。有智館出版は、出版業を中心とする総合エンタメ企業である。新入社員の穂積圭吾は、3ヶ月間の研修を終えて、晴れて希望していた文芸誌の編集部に配属となった。怪談文芸誌『たま』と『幽怪倶楽部』を発行している。年4回発行の季刊誌だが、有名な作家も複数執筆している歴史ある雑誌だ。はやく一人前になって、将来有望な作家の担当を手掛ける事が、当面の夢であった。
それなのに。
「東北に、出張ですか?」
突然の地方出張命令が出た。
「そう。来週の土日。ちゃんと休日手当も付けるし、振替休日もあるから」
「はあ。で、僕は何をするんですか?」
「宇崎清流先生は、知ってるな」
「もちろんです」
超がつく人気作家だ。この『たま』の掲載作家の、二大巨頭でもある。大御所、不由見春彦と、新進気鋭のエース宇崎清流。
「宇崎先生は、現在仙台に拠点を置いて執筆活動をしているが、見聞を広げる為、地方での取材を希望されている。ただ、お一人で活動されるのは危険だし、不便もあるだろうから、ウチから護衛も兼ねてサポートスタッフを出す事にした。本当は俺が行きたいけど、そうもいかないからね」
そう言ってため息を吐くのは、編集長の石井奏。宇崎清流の担当編集者でもある。穂積はわざわざ防音のミーティングルームに連れ出されて、二人きりで話をしていた。
「サポート、ですか。具体的には、どんな?」
「大した事はしない。先生の好きな様に動いてもらって、危険がないようにだけ立ち回ってくれ。あと、周りに先生の正体がバレないようにして欲しい」
「あ、身分は隠して取材に当たるんですね」
それもそうか。誰もが名を知る程の有名作家だ。特に今は、代表作2本が立て続けに映画化し、連続大ヒットを記録している最中。特に注意は必要だろう。処女作は、ハリウッド映画化の話も水面下で進んでいると聞く。
「そう。取材といっても、単独で動く訳ではなく、非営利の民俗学研究チームに籍を置いて、そこで活動しながら見聞を広げて行く、という形を取る」
「非営利の……では、そのチームの面々は、先生の事はご存知で?」
「いや、知らせていない。知っているのは、団体の代表者と、活動するチームのリーダー的立ち位置にいる小田ちなみ准教授のみ」
「ええー?」
ーやり辛そうだな。
そもそも、身分をかくしながら、先生にどう接すれば良いのだろうか?まだ会った事すらないのに。
「そして、ここからする話は、うちの会社でも、数人しか知らない機密事項である。守秘義務が生じるが、守れるか?」
ーえ?守秘義務?
重苦しい空気が、室内を満たす。とはいえ、否と言える訳もない。
「はい」
覚悟を決めて、奥歯を食い縛る。
「作家、宇崎清流は未成年だ。現在高校一年生。デビュー当時、というより、処女作の執筆は、中学1年生の時だ」
「……嘘ですよね?」
そんな馬鹿な。宇崎の作品は、穂積も全て読んでいる。もちろん処女作も。子どもが書くような幼稚な文体でも無かったし、何より、子どもの脳内で生成されるような内容じゃない。非常に残虐でもあり、悲壮でもあり、そして、妖麗な物語でもあった。
「子どもが、あれを書いたのですか?ゴーストライターとかでもなく?」
「事実、先生の作品だ。何なら、最初は冷やかしで著名作家が名を変えて出品して来たとすら疑っていた。にわかに信じがたく、俺たちも何度か確認の為に目の前でショートを書いてもらったりもしたが、間違いない。稀代の天才だよ」
「それって、どうして隠してるんですか?高校生作家だなんて、話題性もありますし、公表したらさらに人気が出るんじゃ」
「それは駄目だ」
ピシャリと言って、石井は眼鏡を直す。
「宇崎先生は、容姿が端麗過ぎる。世に出すのは危険過ぎる」
「はあ」
何だか、腑に落ちない。使えるモノは、全て使えば良いのにと思ってしまう。顔が良いなら尚更、人気が出るだろうに。
「先生は、すでに家庭を破壊されている。仙台にも、単身で転居して、一人で暮らしている。ご両親は東京のご実家に残り弾除けになってくれているが、時期を見て居住を変えると言っておられる。当面は、実の娘に会う事も叶わぬだろう」
「弾除け?ですか?」
「デビューは、ウチの出版社で毎年開催している、ホラー大賞の最優秀賞受賞がきっかけだった」
「はい。それは知ってます」
「当時宇崎先生は、まさか当選するとも、デビューするとも思っていなかったらしく、作家名を考えるのが面倒で本名で出してしまったらしい。当選後も、あまり深く考えておらず、そのままにしてしまったのだが、正直、これは我々の落ち度でもあった。ヒットするであろう事は、何となく肌感で分かっていたのだが、他にも本名の作家先生は多数いたので、我々も余り気にしていなかった。本来であれば、未成年である事を考慮すべきだった。とまあ、我々の想像を遥かに凌駕する形で、処女作『死霊の筺』は空前のヒット作となった。無名の作家にも関わらず、発行部数は200万部を超え、気付いた頃には、改名は難しい状況になっていた。そうすると、ウジのように湧いてくる物がある。何だと思う?」
「野次馬、ですか?」
「近い。名も知らない、自称親戚だよ。血の繋がりとやらにあやかって、金の無心に来る名も知らない親族が、日夜家の前を彷徨くようになった。まるで魍魎だね。宇崎先生も、執筆の参考になったと感心していたくらいだ。ご両親は娘の身を案じ、極力縁もゆかりもない仙台の地に、高校進学のタイミングで娘を家から出した。ほぼ夜逃げ状態だった。ちなみに、夜逃げに協力したのは俺と村井顧問と社長だ」
「社長ですか!?」
「他に内情を知る者がいないのだから、仕方ない。正直猫の手も借りたいくらいだった。そもそも、こうなった原因は、間違いなくウチの会社の責任だからな」
さすがの石井も、苦笑いである。当時のてんやわんや感が、何となく見て取れた。
「先生は、現在高校一年生で、学校では偽名を使っている。まあ、それはお前には直接関係無いが。フィールドワーク時は、先生の事は『うさぎさん』と呼べ」
「……?うさぎ、さん、ですか?」
聞き間違いだろうか?
「そうだ。うさぎさんだ」
「あの、齧歯類の?」
「たぶん、それだ」
「何故?」
「お前が間違って、宇崎さんと呼んだとしても、誤魔化せるようにだ。すでに向こうの小田准教授と宇崎先生には通達している。くれぐれも、先生の身元がバレないように、上手く立ち回れ。先生と時間を共有する事は、お前にとっても有意義な時間となるだろう。健闘を祈る」




