7 行来姫伝説
「また後ほど、お話しましょう。2人きりで」
古谷は諦めない。似非紳士のスマイルで、少女にせまる。
少女の返事を待たず、向こう側から「ちょっとー!」と言う叫び声が聞こえた。
フラフラしながら、大きなダンボールが二箱近づいて来る。よく見ると、若い青年が、荷物を抱えて何とか歩いている所だった。
「うちのうさぎさんに、変なちょっかい出さないで下さい!必要以上に近づかないで!」
「誰?」
言いながらも、古谷は荷物を代わりに持ってやる。青年がフラフラしていたのが嘘の様に軽々しく持つ古谷の姿に、青年はショックを受けてプルプルしていた。
「松永さん、斉藤さん。この荷物、どこに下ろすの?」
「悪いねえ。祭事の飾り付けに使うから、お堂の中に入れてくれるかい?」
「はいはい」
さっさと荷を下ろし、古谷は青年を見下ろす。
「で?あんたは?」
教育者とは思えない威圧感である。
「うう…僕は穂積です!穂積圭吾!」
「ふうん。で?あの子とどういう関係?」
「ひぃっ!決して怪しい関係では……!いや、僕は、彼女の親戚です!彼女の親御さんから、よろしく言われてるんで、僕の前では好き勝手させませんからね!」
「じゃあ、見てない所なら、いんだ」
「そんなわけないでしょ!!」
涙目である。
パンパン、と手を叩く音がした。
小田と町民2人組が、タバコの火を潰して立ち上がる。いつの間にか、仲良くタバコ休憩していたらしい。
「そろそろ作業に戻るわよー。うだうだしてると、お昼になっちゃうわー」
『はい!』
皆の返事が、しっかり揃った。
掃除が終わり、続いて祭事の飾り付けに入る。穂積達が調達して来た針金や、ビニール紐を使って準備を進める。御堂の中の壁3面を、全面華美な布で覆うのだ。それだけで、なかなかに大変な作業である。そこは長身の谷川と古谷が受け持つ。脚立無しで、二人とも余裕で天井に手が届いた。
「すごい。お二人共、背が長いですね。作業が捗ります」
褒めるうさぎの横で、穂積が悔しそうにしている。彼は小さかった。
その他、藁で作られた装飾を、御堂入口に飾りつける。これは松永さんと斉藤さんの、町民コンビが行う。
今年の秋の豊穣を祈る、祈祷祭なのだという。
「元々ここに祀られている行来姫は、里に養蚕と機織りの技術を伝えて下さった神様なのだけど、信仰が根付くに連れて、豊穣の祭も御前で行われるようになったのさ。まあね、この辺じゃ、何でも一緒くたにお祈りしちゃうからねえ。それこそ家畜の健康まで。ウチの神様は、ホント大変だと思うよ」
斉藤さんは、面白可笑しく、惜しみなく里の話しを聞かせてくれる。
「行来姫は、都からこの町へ逃げていらしたのですよね?」
谷川が、布を画鋲で止めながら、話を聞いている。
「1400年ほど前、時の天皇が暗殺されて、行来姫も、実の娘と一緒に命からがら逃げて来られた。元々は、先に逃げていた息子を探してここまで来たんだけど、見つからなくてね。そのうち、姫の故郷とよく似たこの里が気に入り、ここに留まり、この地に養蚕と機織りの技術を与えて下さった」
「行来姫は、息子には、会えなかったんですか?」
神事に使う盃を、一つずつ拭き清めながら、うさぎが問う。少し悲しげに、落ちるまつ毛の影が美しい。
「会えなかった。姫は最後、娘に死なれ、息子に会えぬ悲しみに打ちひしがれ、入水自殺しちゃうんだ。伝承では、息子は山形の方に逃げ延びて、長生きできたらしいけどね。行来姫様も、あっち側に行ってたら、無事息子に会えたのかもなあ」
「娘さんも、先に亡くしてしまうんですね」
「病気か、美貌を妬んだ里の娘に、騙されて死んだなんて、伝説もある。今となっては、真実はわからないけど、姫様が最後まで、子供達を思っていたのは、確かだねえ」
「行来姫が入水した池にも、御霊を安らげるように里人が作った、ちいちゃな祠があるよ。里人はみんな、行来姫に御恩を感じていたんだね」
行った事があるのだろう。七海が優し口調で語る。
「この地の行来姫信仰は厚い。御神体は、神社に納められ、その他にもお堂が、ここともう一箇所、町場の方に祀られている。隣町にも行来姫伝説があって、そちらにも立派な神社と、銅像が祀られているよ」
「すごい。大規模なんですね」
せっせと敷紙を切りながら、穂積は感心した様子で聞き入っていた。敷紙とは、お供物を置く際に敷く紙の事である。
「このお堂も、立派ですね。見た感じ、まだ新しいですよね?」
谷川が言うと、斉藤さんは「そう!」と、嬉しそうに答えた。まるで、この質問を、待っていたような雰囲気さえあった。