65 孤軍奮闘
20歳になり、お酒を嗜むようになってから、太郎には分かった事がある。酒の勢いというのは、実に便利であるという事。特に太郎のような内気なタイプの人間には。
ー酒の神よ、我に力を!
今日、この場で、必ず萌音に聞いてみせる!
年下は有りか無しか!何歳差まで許容範囲か!
どうすればいい?どうやって会話を盛り上げれば!?
如才ない萌音は、太郎が上手く話さなくても、適度に会話をふってくれて、それなりに楽しい場の空気を作ってくれる。だが、これではダメなのだ!
いい感じの男女の会話とは、これ如何に?
手掛かりを求めて、太郎は前方を見る。目の前の座席では、古谷とうさぎが仲睦まじく会話していた。
「古谷さん、カニバリズムって、どう思います?」
「カニバリズム?人喰いのあれ?」
古谷は喉を鳴らしてビールを飲みながら、首を傾げる。
「はい。それです」
うさぎはもぐもぐと刺身を食べながら、カニバリズムの話しを聞きたがるという地獄画図。
「んー。寄生虫とか怖いし、あんまり人肉を食べる事はお勧めできないかな」
「すみません、聞き方、悪かったです。カニバリズムを題材とする小説って、多いじゃないですか。古谷さんは、どんな印象を持ってますか?」
カニバリズムとは、人間が人間の肉を食べる行為、または習慣の事である。
「うーん、そうねえ。戦時中の、飢餓に苦しんだ上での人喰いとかは別として。行き過ぎた愛の終着点、ていうイメージかな。俺がカニバリズムと聞いて一番に思いつくのは、雨月物語だ」
雨月物語。江戸時代後期に、上田秋成によって書かれた読み本。
「青頭巾、ですね」
「そう。徳の高い僧侶が、寵愛していた稚児の死を受け入れられず、埋葬せずに側に置き、やがて腐りゆく姿に耐えきれず、その肉と骨を食べ尽くしてしまう。僧侶はやがて鬼になってしまう。確か、そんな話しだ」
「食べれます?愛した人の肉」
「うーん。自ら進んで食う事はないかな。でも、死後、愛した人の一部を、どうにかして自分の中に取り込みたい、と願う気持ちは、何となく分かる。形見とかじゃ、ダメなんだよな。その人自身の、どこか一部」
「どこか、とは?」
「例えば、髪とか、爪とか」
そう言って、古谷の指はうさぎの長い髪を弄ぶ。
「あるいは、骨。『骨噛み』という風習を、知ってるか?」
「いいえ」
「日本各地に残る社会文化的儀礼で、葬儀の時、死者の魂を受け継ぐ為に、家族や親しい人が死者の骨を食べる風習だ。喉仏は特に、近しい人が食べるという」
「魂の継承、ですか」
「そう。または、最愛の配偶者への、強い情愛の念から」
「何故、骨なのでしょう?」
「荼毘に付した後、人界に残された最後の軀だからね。他には何もない。全部、神様に持ってかれちまう。思い出以外、全て」
「なら、私の骨も、あげますね」
「いらない。その時は、俺も一緒に骨になる」
「なら、100歳くらいまで、生きなきゃですね。私の方が若いですし、女の方が寿命長いですし」
「俺が先に行くのは無し?」
「却下です」
太郎は震えた。全くもって、二人の会話は参考にならなかった。
ー真似ようも無いし、真似しちゃいけない気がする!
こうして、太郎の孤軍奮闘が始まった。
「萌音さんは、お地蔵さん調査以外は、ZAIYAの活動に参加しないんですか?」
太郎の質問に、萌音は少しバツが悪そうに答える。
「うーん、そうねぇ。元々、お地蔵調査がしたくてZAIYAに参加したから、他の調査はあんまり来た事ないかな。どうしても人手が足りなくてって時に、一度くらいは来た事あったけど。旧佐和切村の調査の時だったかな」
「やっぱり、お地蔵さん調査以外は、興味ないですか?」
「どうかな?前に手伝った時は、それなりに楽しかったけど。まあ、休みの日はなるべくあっちこっち行って、お地蔵様見たいってのが今までは強かったかな」
「さっき、萌音さん言ってたじゃないですか。お地蔵様は、祈りそのものだって」
「うん。そうね」
「自分、あの話聞いて、すごいしっくり来た事あって」
ここまで話して、太郎は勢いよくカシスオレンジを飲んだ。本日二杯目である。
「自分、昔から民俗学に興味があって。でも、進学する時に、親や周りから言われたんですよ。そういうの好きなら、考古学とか、地質学とかの方が就職先も多いから、そっちにしなよって。でも、確かに化石とか遺跡とか、そういうのもすごく好きなんですけど、やっぱり一番は民俗学なんですよ。でも、その理由が自分でもよく分からなくて。何でそんなに好きになったのかなーって、自分でも不思議だったんです」
「うんうん」
「だから、萌音さんの祈りって言葉を聞いて、はっとしたんです。そっかーって!自分、古い物が好きなんじゃなくて、古い物に残されたり、託されたりした、昔の人々の思いを調べるのが好きなんだって。どうして、こんな摩訶不思議な祭りが生まれたのか、とか、へんな文化が根付いてるのか、とか。ちょっと怖い伝承とか。でも、それらって全部、昔の人から、未来の彼の地の人の為に残された、祈りや警鐘なんですよね」
「うん。そうね」
「ずっとここに住む人達が、豊かでありますように、とか。これは危険だから、気を付けてないとダメだ、とか。そういうのを伝える為に、人の生活に溶け込んで、当たり前のように継承されて来た。確かにそれは、祈りなんです」
「そうね」
「だから!お地蔵様が好きなように、萌音さんが好きな物、他の調査でも見つけられると思うんです」
もう一度、勢いよくカシスオレンジを飲む。飲み干した。
「だから、他の調査も、一緒にやりませんか!?絶対、楽しいと思います!!」
「う、うん」
戸惑いながらも、萌音は頷く。
「え?良いんですか?」
「う、うん。そこまで言ってくれるなら……」
やった!太郎は魂でガッツポーズを作る。
「え?萌音ちゃん、お地蔵様の調査以外も、来る事にしたの?」
「お、いいじゃん!」
勢司と安達が会話に混ざって来る。こちらはだいぶ酔っ払っていた。まだ小田先生も到着していないというのに。
「まあでも遠いから、秋田か青森辺りでやる時にしようかな。流石に毎回福島や宮城に来るのは、大変だからね」
「全然、オッケーだよ。ね?谷川君!」
「おう。逆に青森秋田の時は、メンバー集まりにくいから、助かるかも」
「そっか。遠いと、七海さんも来れなくなるしね。ウチら主婦ズもだけど」
「俺はどこへでも行くけどね」
勢司が笑うと、太郎も「自分も、どこへでも行きます!テスト期間以外は!」と同調した。萌音が笑う。その笑顔に心奪われたタイミングで、勢い良く小田ちなみが登場した。
「遅くなったわー!ごめんねー!!お土産買って来たから許してー!」
相変わらずの、のっそりとした口調で、珍しいスーツ姿でやって来た。
「お疲れ様です。学会どうでした?」
古谷が小田の荷物を預かり、上座に誘導する。
「いつも通り、ジジイの話しが長かったわー。あれがなきゃ、あと2時間は早く帰れたのにー。疲れたわー。ビール飲みたい」
「はい。ビールですね。他、グラス空いてる人いたら、一緒に頼むよ。小田先生来たから、もう一度乾杯するよ」
「あ、自分、頼むんで、先生の分も持って来ます!」
太郎は立ち上がり、萌音のグラスを見る。
「萌音さんも、同じので良いですか?」
「うん、ありがとう」
にっこりと笑う萌音。あと少し!どうにかして、年下が好きか、問わねばならぬ。太郎の孤軍奮闘は続いた。




