63 井蛙之見
萌音と太郎は、とぼとぼと坂道を登る。
「アタシね、今までたくさんのお地蔵様見て来たけど、目の前で破壊されてるのは、流石に見るの初めてだったわ」
「そうですね。ショッキングな風景でしたね」
ー流石に後味悪いわ!
太郎は心の中で嘆く。このまま悲しい気持ちで、萌音が秋田に帰って行くのは、やるせなかった。この後、希望者は秋保温泉へ移動し旅館へ宿泊予定となっている。今年最後の活動は、12月に予定している地蔵調査の続きだが、流石に年末は皆立て込んでいて忙しいので、今回の温泉旅館でお疲れ様の会を行い、今年を締め括る事となった。宿は既に谷川が押さえてくれている。いつも通り、毎回自宅に帰る七海は不参加となる。小田先生も、間に合えば合流する予定だが、まだ学会で東京にいる。戻りは夜になりそうだった。他にも、ZAIYAみちのくのメンバーが数名来る予定だそうだ。
時計を見ると2時半を過ぎた所。このまま秋保に向かってもいいが……
「水族館、行きましょう」
思うより先に、口から出ていた。
「へ?」
萌音も、大きな目を丸くする。
「あああ、まだ、時間ありますし!このまま旅館に行っちゃうのも、勿体無いかなって!ほら、今日の調査は終わりですし、たまには、みんなでいつもと違う事してみるのも、知見を広める意味でも、よいのでは?僕たち、あんまりお魚とか縁ないですし!」
太郎は慌てて捲し立てる。緊張で声が上擦った。
「水族館かー。この辺りだと、近いのは『うみの杜水族館』かな」
意外にも、前向きな返答が返って来た。
「はい!高速使えば、30分くらいで着きます!」
「いいねー。何年ぶりかな?いや、何十年?やば」
「自分も、小学校の遠足以来です!」
「オッケー。古谷君達も行くかな?早く戻って聞いてみよ?」
萌音の歩調が軽くなる。可愛らしい笑顔が戻っていた。太郎も安堵で頬が緩む。
「行きましょう!」
もう、きつい坂道が苦では無かった。
※※※※※
仙台うみの杜水族館。仙台港から程近くにあり、仙台駅からも車で20分程度で着く。三陸の海を再現した大水槽は壮観である。他、約100基もの水槽を有する大規模な水族館館で、深海生物から哺乳類など、多種の生物を鑑賞できる。時間が合えば、イルカのショーも観覧する事が出来る。
「自分、昔から深海生物好きだったんですよね!」
「分かるー。古代種とか、トキメキしかないわよね!」
1階の深海ラボで、暗闇の中太郎と萌音のはしゃぎ声が聞こえる。
「やっぱ、形が独特で良いですよね。顔もブサかわいいの多いですし」
「シーラカンスはいないのかな?」
「自分、シーラカンス大好きっす。子供の頃、模型持ってました!」
「いいよねー。ロマンよね。デボン紀から存在してるのよ?恐竜より古いのよ?信じられる?ある意味、生命体としては人間より完成されてるわよね」
二人から少し離れた場所で、うさぎと古谷と谷川、穂積は、リスや爬虫類を眺めていた。何となく空気を察して、気を利かせているらしい。特に谷川と穂積がニンマリしていた。
いつも通り、七海とマグロは、一足先に別れて帰路に着いていた。
「リスもいるんですね。水族館なのに」
谷川と穂積は、熱心にリスを見る。彼らは哺乳類が好きだった。
「可愛いなー。あ、あっちにもいる。尻尾大きい。リス最高」
対するうさぎと古谷は、爬虫類コーナーでカエルを見ていた。
「こうして見ると、かわいいな」
「ですね。エサは何を食べるのでしょう?」
「虫とか?」
緑色の、赤い目をしたカエルが2匹、枝の上で日向ぼっこしている。眠いのだろうか。まったりと微睡む姿は、ほのぼのとして愛らしい。
「そういえば、井の中の蛙大海を知らず、という古事が、あるじゃないですか」
唐突なうさぎの話し。慣れている古谷は、いつものペースで難なく返す。
「ああ、荘子の」
「その言葉の続き、知ってますか?」
「されど空の青さを知る、だっけか?」
「はい。あるいは、空の深さを知る、ですね。この続きの文、荘子が言った言葉じゃ無いらしいですよ」
「マジで?いかにも荘子が言いそうなのに」
「後から、日本で付けられた文、らしいです。私、続き有りの文体の方が、好きだったので、それを知った時、ちょっとショックでした」
「そうかー。なんか、小田先生の話思い出すな。小田先生は、学生時代からずっと今の大学にいるからさ、たまに親戚の集まりなんかに顔を出すと、親族から馬鹿にされるんだって。社会に出た事もない、半端者って。お前は所謂、井の中の蛙だってさ」
「はあ、あの若さで准教授まで上り詰めた方に、よくそんな愚かな事が、言えますね。それこそ、無知の為す技では?」
「この辺の田舎じゃね、結婚もせず研究職をしている人間なんてのは、出来損ないとして見なされる。あるいは、教授という肩書きが、田舎で細々と暮らす彼らのプライドを刺激するのかもしれないね。未だ男尊女卑の思想も根強いから、女性が権威と呼ばれるのも、彼らには受け入れ難い現実なのかもしれない。だから、彼ら独自の価値観に押し込めて計ることで、自分達の方が優れている、立派だと思い込み、何とか矜持を守っているのだろう。何年か前、先生のご両親が他界して、やっと田舎と縁が切れたと、弱々しく笑ってたっけね」
「珍しいく、感情的なお話し、でしたね」
うさぎは目をぱちくりさせて、古谷を見上げた。いつもと同じ、飄々とした顔で、男は笑う。
「俺は、こう見えて小田先生を尊敬してる。確かにあの人なら、空の青さも深さも、よく知っているのだろうね。俺は、荘子の言葉でなくても、後付けを含めた文が、好きだよ」
井の中の蛙 大海を知らず
されど空の青さ(深さ)を知る




