57 賽の河原
「お地蔵様は、仏教、ですよね?」
前方を歩くうさぎが、隣を進む古谷に問う。
何となく、お人形の様なうさぎに対して苦手意識を持つ太郎は、ついつい穂積にばかり話し掛けてしまい、うさぎ達と距離が出来てしまった。とはいえ、うさぎも気にする様子は無く、古谷と親しげに会話を交わしていた。申し訳ないと思いつつも、ほっとしてしまう。
「そう。地蔵菩薩。わざわざ地獄にまで出向いて行って、衆生を救おうとするほど、慈悲深い神様だ。日本では、子どもを守る神様としても、親しまれている」
「地獄……賽の河原とか、ですか?」
「賽の河原もそうだな。むかしむかし、親より先に死ぬ事は罪深い事とされていて、亡くなった子供は賽の河原で永遠に石を積む苦行を強いられると言われていた。せっかく石を積み上げても、鬼が来ては崩してしまう。なかなか酷い話だが、実はこれ、仏教の説じゃない」
「え?そうなんですか?」
ーまじで?
心の中で、太郎も驚く。
「日本で自然発生した俗信だ。まあ、親より先に死んじゃいけないよ、という教えからなのか、親がいつまでも泣いていては、死んだ子の霊が救われないよ、という教えなのか。お地蔵様の信仰と共に、全国に伝えられて行った伝承だね」
「そうなんですね。やはり宗教が絡んでくると、少し複雑です。大学では、宗教学を専攻するのも、良いかもしれないですね」
うさぎは唸る。
「来年受験生だもんな。第一志望どこなの?」
古谷が問うと、うさぎは少し照れ臭そうに答えた。
「M大です。出来れば、引っ越したくないので」
「お、俺と谷川の母校じゃねえか」
「え?そうなんですか?知らなかったです」
「そう。学部は?」
「人文社会学です」
「一緒じゃねーか」
「受験勉強よろしく、です。先輩」
「よし。俺に任せておけ。手取り足取り教えてやろう」
「でも、受験問題なんて、覚えてるんですか?先輩」
「俺を誰だと思ってる?俺、一応高校教師だからね?お前の学校の」
「あ、そうでしたね。ちょっと、忘れてました」
「おい」
「でも私、日本史専攻ですよ?古谷さん、世界史の先生ですよね?」
「だーかーら!日本史の教員資格も持ってるから!社会科教諭なめんなよ。894年、白紙に戻そう遣唐使!」
きゃっきゃしながらズンズン進んで行く二人の最中を眺めながら、太郎はなんだか寂しい気持ちになってくる。
「なんか、お二人仲が良いですね」
古谷など、2年ぶりに戻って来たと言う割には、すっかり周りと馴染み、皆と親し気にしている。万年人見知りの太郎とは、大違いだった。
「そうですねー。古谷さんは、うさぎさんに絶賛猛アタック中ですからね。必死なんです。いい大人が、見苦しいですよね」
「全部聞こえてるよ、ほずみん。何だい?言いたい事あるなら、直接言ってくれていいんだよ?」
古谷がぐるんと振り返る。荒んだ目をしていた。
「手出したら、即通報しますからね。そしたらあなた、そっこー無職ですからね」
「ださねーし!お友達から始めてるし!口説いてるだけだし!」
「お友達は口説きません」
「いいでしょ、別に!友情は自由でしょ?毎日息する様に口説くお友達がいたって、いいじゃない。ねえ?」
「ええ……」
急に古谷に振られて、流石にうんとは言えない太郎であった。うさぎはどう思っているのだろうと思い、その表情を盗み見るも、相変わらずの無表情である。何も分からなかった。だが、しかし。
「大丈夫ですよ、穂積さん。この人、手も握って来ないので」
ふふっと笑って、うさぎは遠い目をする。
「この腑抜けが!何うさぎさんに寂しい思いさせてんすか!それでも男ですか!?この甲斐性無し!」
「ほずみん?君は一体、何がしたいんだい?」
「僕はいつだって、うさぎさんの味方です!」
喚く穂積の前で、古谷は呆れた顔で頭を描いている。隣でうさぎは無表情だか、ほんの少しだけ、顔がほてっている様にも見えた。
ーああ、当たり前だけど、感情、あるよね。
太郎は驚きながらも、妙に納得する。
「ほら、生コン工場見えたぞ。この先にも道は続いてて、採取場で行き止まりになる。サクッと行って、昼飯にするぞー」
「はーい」
「昼ごはん、何にしますー?」
気の早い穂積が、もう昼食に思いを馳せている。
「この辺は、はらこ飯が有名かな。海近いしね」
古谷が言うと、穂積の顔がパァッと輝き、うさぎも目をキラキラさせる。二人共、海鮮が好きなのだろうか。
ーああ、そうか。ちゃんと見れば、顔に感情が出てるんだな。
穂積ほどでは無いが。ちゃんと、うさぎも感情を出していて、それを巧みに引き出しているのは、さり気ない古谷の言葉だった。
ー好きなのだろうか?本当に?
そつなく何でもこなす、器用そうな大人なのに。
ー確かに、うさぎさんは美人だけど。でも、それだけだ。
危険を冒してまで、わざわざ未成年に手を出さなくても、充実した恋愛など、いくらでも選べそうな男なのに。
愛しむ様に彼女を見つめる古谷のその瞳は、どこか先程の、水辺の地蔵菩薩と、通じる物があった。




