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怪奇浪漫BOX   作者: 座堂しへら
姫君の鬼胎
50/267

50 不倶戴天

 10月21日。

 その日の夕焼けは、真紅色だった。

 まるで血の様な空の色に、小華は一人、興奮していた。


 人を殺すのは、初めてだ。


 動物は、これまで何度も殺めて来た。絶命時の顔、骨を断つ手応え、水風船が割れた時の様な、血の飛沫。それらが物足りなく感じ始めたのは、いつからだったろう?


 小華は息を潜めて、竹藪に身を隠す。


 もうすぐ約束の時間だ。


 小華の家へ向かう真夏が、間も無くこの道を通る。通行人などいない。近所に家もない。居るのはこの先のボロ小屋に住む、呆けた婆さん一人だけ。農家を営む小華の両親も、この時間にはもう家に入り、酒を飲み始めている事だろう。真夏を殺した後は、この牛刀を呆けた婆さんの家の前に捨てればいい。もともとあの家の庭先から拾った包丁だ。どういう理由か分からないが、夏の終わりに庭先に捨ててあった。いつも黒猫に餌を与えていた場所だった。黒猫はもう来ないというのに。やはり呆けて居るのだろう。未だに餌が置かれている。


 多少錆びてはいるが、その牛刀は、人を殺すには十分な鋭利さが残っていた。


 きっと婆さんの、痴呆から来る凶行という事で、丸く収まってくれるはず。元々呆ける前から、頭がおかしな婆さんだった。何でも自分の事を、シャーマンだと宣っていたらしい。よく父も、気味が悪いとぼやいていた。当然ながら、家族などいない。誰も他を疑いはしないだろう。どうせ老い先短いのだから、構う事は無い。

 例え運悪く捕まったとしても、未成年である自分は、大した罪にも問われやしない。


ーあいつは最期、どんな顔をするだろう。


 自業自得だ。元々は、あいつが蒔いた種だ。身の程も知らず、礼人先輩と付き合ったりするから。


ーもうすぐ、来る。


 チリン。


 微かに、鈴の様な音がした。誰か人が来たのかと思い、小華は慌てて振り返る。誰もおらず、何の気配も無かった。


ー気のせい?


 気持ちが昂っているから、幻聴でも聞こえたのだろうか?

 小華は深呼吸する。失敗だけは、許されない。万が一やり損ねて、逃げられでもしたら終わりだ。


 大丈夫。絶対に、失敗などしない。背中から刺して、最期の顔を拝んだら、喉を掻っ切ってやる。今までずっと、そうして来た。あの時の白い猫だって。簡単な事だ。毒餌を与えて弱らせて、ぐったりした所を切ってやった。殺しなど、要領さえ得れば、なんて事ない。


 チリン。


 もう一度、音がした。小華はこの音に、聞き覚えがあった。


 あの猫が付けていた首輪の、鈴だ。


 真夏が付けたという、赤い首輪。


 小華は後ろを振り返る。竹藪の奥、暗闇の中に、それはいた。驚く間も無く、小華が手にしていた刃物を奪い取られる。


「うそでしょ?何で?だって、アンタ……」


 その時、道の向こうに、真夏の姿が見えた。

 これから約束通り、小華の家へと向かうのだろう。


 助けて!真夏!


 そう叫ぼうとした時、真夏は何故か立ち止まり、空を見上げ始めた。


 何してんのよ!早く!こっちに来て!


「たす」


 声を出すよりも早く、喉を切り裂かれた。


「何故、行来姫ゆらひめ様の忠告を聞かなんだべか。愚か者めが。ほら、シロ、クロ、餌だよ。たんとお食べ」


 ヒューっと、小華の耳に、自分の息を吸う音が聞こえた。

 そして、自分の血の臭いの先に、生臭い獣臭を感じた。


 それが、最期だった。




 赤い夕日が沈み、静寂と暗闇が辺りを支配する。今宵はどれほど待っても、金星は訪れない。


 今日は外合がいごう


 金星が太陽の裏に隠れる時。これが過ぎれば、金星は再び西の空に、宵の明星として戻って来る。


 

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