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「何?斎木さん?」
振り返ると、古谷がタオルで濡れた髪を拭きながら、足で布団を端に寄せていた。初めは綺麗に敷かれていた布団が、隅に追いやられて皺を寄せているのを見ると、宿の従業員の方々に申し訳なく思う善人谷川であった。されど、古谷の足は容赦ない。
「テーブル、一個でいいですよね?」
布団を寄せて、空いたスペースに穂積がテーブルを持って来る。浴衣を着ているのは、古谷と穂積の二人で、谷川と勢司は、いつも愛用しているTシャツとハーフパンツ姿で寛いでいる所だった。買い込んだ酒は、入るだけ備え付けの冷蔵庫と冷凍庫に入れて、急ぎ冷やしている。勢司はサイドテーブルにパソコンを立ち上げて、何やら確認してから、つまみの袋を持って来て穂積に渡す。それをテーブルの上に置いて、穂積は一息つく。
「おう、サンキューほずみん。んで?」
古谷は、穂積に礼を言ってから、谷川をみやる。
「そ。斎木さん。待てないって、一人で来た」
「やだ、怖い」
勢司がふざけて、胸に両手を当てて見せる。
「何なんだろうね、あの子。何が目的なの?」
不審がる古谷に、勢司は指を立てて見せる。
「そりゃ目的は、ZAIYAのマドンナに君臨する事。オタサーの姫、的な?」
「はあ?」
「んで、最終的に王様に見初めてもらってゴール」
「王様って?誰ですか?」
穂積も首を傾げる。
「ZAIYAの王様っつったら、藤井さんでしょ」
「ああ、代表の。一回だけ、お会いした事あります」
穂積は頷く。確かに若く、端正な顔をしていた気がする。テレビなどにも出ているので、知っている人は多いだろう。所謂、メディア御用達の知識人、という奴だ。
「えー?俺、てっきり優生狙いだと思ってたわ。なんかあからさまに態度違かったし」
谷川が顔を引き攣らせていると、勢司は笑った。
「もちろん、古谷さんもロックオンされてるよ。まさか彼女も、オタサーに、こんなイケメンいるとは思って無かったろうからね。この間色々古谷さんの事聞かれたし。俺も知らねーっつっといたけど。キープしてやる!くらいの意気込みはあるだろ」
「この人、だいぶ人相悪いんですけどねー。やっぱモテますね。どこが良いんですかね?理解できないや」
「ほずみん、ちょっと冷静になって。だいぶ今酷い事言ってたよ」
古谷は苦言を呈する。穂積は笑って、古谷にチョコ棒を渡す。ここまでの付き合いで、すっかり古谷の甘党は認知されていた。
「あ!古谷さん、先に言っときますけど、あんまりうさぎさんに、甘いの食べさせ過ぎないで下さいね。彼女もあれで、かなりの甘党なんで。ほっとくと、ココアの粉まで食べるんですから」
「ティーンズ女子なんて、大概そんなもんでしょ。白湯の様にチョコレート飲むんでしょ。だが、確かにお肌には良くないな。気をつけて監視しとくわ」
「はい。飲み物も、極力お茶になる様、買ってありますので」
「さすが、自称保護者」
「確かに、過保護よなー。毎回わざわざ、東京から来て付き添ってんだろー?うさぎさんって、いいとこのお嬢なの?」
「まあ、そんな所ですね。賢い子なので、本人に心配はないのですが、何せほっとくとすぐ害虫が寄って来るので」
「俺の事か?」
「確かに、そんじょそこらじゃ見かけない美少女だもんなー」
「学校でもモテてるの?やっぱり」
谷川は古谷を見る。チョコ棒を咥えながら、古谷は首を振った。
「んにゃ。学校じゃ、地味なカッコしてる。もっさい眼鏡して」
「なるほど」
「お待たせー!」
小田が、ノックもせずに乱入して来る。
「きゃー!ちょっと!ノックくらいして!」
勢司が慌てる。
「あ。ごめーん!待ってるって聞いたからー!ごめんね、お待たせしちゃって」
「お邪魔、します」
おずおずと、小田の後ろからうさぎが出て来る。浴衣姿で、まだ少し髪がしっとりしていた。
「最高かよ」
古谷はスマホですかさず写真を撮る。
「え?」
「通報して良いですよ」
穂積に襟首を掴まれて、古谷は不貞腐れる。
「誰も俺の遅れて来た青い春を、応援してくれない」
「応援されたいなら、もっと爽やかに初々しく行動して下さい」
「流石に27歳の初々しさは、キモいと思うの」
照れる古谷に、うさぎは嗜める。
「初々しさはいらないので、ちゃんと許可を得てから、撮って下さい」
「はい」
「あはは!良いでしょー?女子の浴衣姿!なんかこういうの、久しぶりよねー。さ、まずは反省会するわよー」
小田が豪快に笑って、どかっと座るとさっとテーブルに資料を広げる。皆、適当にテーブル周りに腰を下ろすと、慣れた様子で資料を眺め始めた。さやかだけが、戸惑った様子で周りを見渡した。
「今後のアクションを、ここで軽く、打合せするんです。誰が、論文纏めるのか、とか。添付資料の精査と許可取り、誰がするか、とか」
気づいたうさぎが、簡略に教えてくれる。この辺のやり方は、チーム毎に違いがあるからだ。
「論文は俺がやるよ。久しぶりだから、ちょっと時間欲しいけど。確認は小田先生よろしく」
古谷が申し出る。一番面倒で、大変な役割だ。2年ぶりに顔を出した古谷が担うわけだが、そこは経験者。小田の信頼も厚い。
「もちろんよー。助かるわー」
「んじゃ、資料関係は俺が確認しとくわ」
この辺りは、いつも谷川が請け負っている。
「取材写真は、適当に見繕って纏めて送るっすわ。後でパソコンのアドレス教えて」
この辺りも、毎回勢司の役割だった。
「うさぎちゃんは、何もしないの?」
「はい。いっつも、こんな感じです」
「ふうん。そうなんだー」
何故か嬉しそうに、さやかが笑みを浮かべる。
「メインは、御堂の信仰の現状と、棒術や雅楽の継承にポイントを置きたいわねー」
「姉妹の夢の話、どうします?」
「入れても良いわよー。そこから発生した住民意識の変化や行動を、記録するのも大事なお役目よー。姉妹の許可は、しっかり取ってね」
「あ、それも俺やっとくよ」
谷川が手を挙げる。
「オカルト色、強くなんないっすかね?そっちは切り分けて、俺の動画で編集した方が、良くないっすか?」
「そこは書き方次第かしら。確かに、毛嫌いする人もいるからねー。でも事実として、記録して行く事は大切な事。あまり気を使い過ぎる必要もないわー。実際必要なければ、私が遠慮なく削るから、大丈夫よー」
「その辺りは、信頼してます。じゃ、あと纏めて、先生の大学の方のメールアドレスに送っときますね」
「オッケー。久しぶりの共同作業ねー、古谷君。懐かしいわ。まあ、今回はだいぶイレギュラーに振り回されちゃって、不完全燃焼な部分もあるけど、谷川君と古谷君が、段取り良く下調べしてくれてたから、問題無さそうねー。またよろしくね。古谷君も、また参加する余裕はありそうなのー?」
「そうですね。仕事の方も、やっと緩急の付け方も分かって来たので、時間は作れると思います。まあ、部活の顧問外れたってのが、一番でかいですかねー」
「そう。それは何よりだわー。やっぱりいてくれた方が、谷川君も嬉しそうだし、なんか穂積君も懐いてるしねー」
「それはないです」
穂積は間髪入れずに否定する。
「そうかしらー。最近楽しそうじゃない。七海さんも喜んでたしねー。まあ、何が言いたいかっていうと、おかえりなさいって事。じゃ、真面目な話はここまでにして、乾杯しよっかー」
「そうですね。さっそく、お酒持って来ますね!」
穂積はウキウキで立ち上がる。本人は隠している様だが、彼は飲み会が大好きなのであった。




