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広い大浴場。程よい温度に保たれて、湯船には薬草と白い花が浮かべられていた。汗まみれの体を綺麗に清めて、ゆっくり湯船に浸かると、疲れも溶けて消えて行った。混み合う時間かと思ったが、思いがけず他の客はまばらでらゆっくりと寛げた。
「で、どうするのー?」
頭にタオルを乗っけて、小田は上機嫌で湯に浸りながら、うさぎに聞いて来る。ここに、さやかはいない。彼女は部屋でシャワーを浴びると言って残った。そのせいか、小田の口調も自然と軽くなる。
「どう、とは?」
うさぎは、湯に浮かぶ花を捕まえては戻すという手遊びをしながら、首を傾げた。
「古谷君の事。古谷君、うさぎさんの正体、気づいてそうじゃないかしら?あの子昔から、勘が鋭いから」
「先生は、昔から古谷さんの事、知ってるんですか?」
「そうねー。彼らが大学生の頃からの付き合いだから、まあまあ長いかしらー」
「古谷さん、先生から見て、どんな人ですか?」
「そうねー。口と態度は悪いけど、誠実な子よ。鏡の様に、人を映すけどねー」
「鏡、ですか?」
「そう。古谷君って、谷川君といる時、二人とも何か雰囲気似てると思わない?」
「はい。そうですね。古谷さんの口調も砕けますし、二人でいる時は、よくしゃべるなと、思います」
「同じように、あなたと一緒にいる時は、あなたに似てるわー。つまり、映すのよねー。無意識なのか、意図的になのかは、分からないけど」
「人を、映す」
「真心には真心を返し、邪心には邪心を返す。多分彼は、それが誠実だと認識してるんでしょうねー。だから大丈夫よー。あなたが何者でも、彼は変わらないと思うわー」
「そう、ですか」
うさぎは手のひらに薄く湯を張り、その中に花を閉じ込めて、ゆらゆらと揺らす。
「じゃあ、私が卑屈な態度を取れば、あの人も、卑屈な態度になる、のでしょうか?」
「そうね、きっとなるわ。それでも、ちゃんと向き合うと思うわよー。一度でも、自分の懐に入れた相手ならねー」
「懐に、入らなければ?」
「ああ、無情。だわねー。そう言う意味では、冷たい人よー」
「ふむ。難しいですね」
「人間だものー」
「斎木さんは、完璧な人間に、なりたいのでしょうか?」
ふと、常に女優の様に振る舞う彼女の姿が脳裏に過ぎり、うさぎは小田に聞いてみる。周りに砂を掛けてまで、自分が一番美しく有ろうとする姿に、どうしても違和感を感じてしまう。
「他人の目から見て、最優でありたい、のかしらねー。あの子はあの子で、恋をしてるのよー。だから、この場所、ZAIYAという組織の中で、最優であろうとしてるのよ」
「恋?……古谷さんに、ですか?」
彼女が必死に古谷に取り入ろうとしているのは、何となく感じていた。だが、小田はおかしそうに笑って、首を振る。
「違うわー。別の人よ。でも、ほら彼、古谷君は、間違いなくZAIYAの中では、トップクラスでイケメンでしょー?だから、彼を侍らせて、意中の彼にヤキモチ妬かせたいんじゃないー?知らんけどー」
「意中の彼。みちのくチームの方、でしょうか?」
なんか違う気がして、うさぎは言いながらも首を捻る。
「違うわー。もっと上。ZAIYAの代表よー」
「真幸さん、ですか?」
藤井真幸。民俗風習学研究チームZAIYAの、現代表である。
「そ。だから関東にもみちのくにも、陰陽にまで顔を出して、目立とうと頑張ってるみたいよー。ある意味健気よねー。まあ、愚かでも、あるかしらー」
「そう、なんですね」
「うさぎさんと藤井代表の関係知ったら、ますます嫉妬でおかしくなっちゃいそうねー、彼女。秘密にしときましょうねー」
「関係という程では。お世話になってるのは、確かですが」
「まあ、藤井代表にとっての最優先は、間違いなくあなたでしょうからー。ま、当然だけどねー。せ•ん•せ•い」
「もう。やめて下さい、それ」
うさぎが怒ると、小田は笑いながら彼女の頭を撫でてやる。
「冗談よ。あなたは私達が守るから、安心して、好きなだけここで学べばいいわー」
「私が子どもなせいで、沢山の人に、面倒掛けちゃってますね」
「それはどうかしら?例えあなたが大人でも、今と対応は変わらない気がするわー。それだけ、あなたを取り巻く環境は異常だし、あなたが背負う物は大きいわー」
「そう、ですか?」
「そうよー。日本中、いいえ、今となっては世界中の人達が、あなたを待ってるんだもの。すごい事よー」
「がんばり、ます」
うさぎは、恥ずかしくなって、目の下まで湯船に沈んだ。水面を揺蕩う花びらが、うさぎの頬にくっついて来た。




