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怪奇浪漫BOX   作者: 座堂しへら
姫君の鬼胎
32/267

32 ガードレールの呪詛

 最初は、虫だった。

 セミの死骸を見つけては、爪先で掴んで、そっと真夏の家の庭先の、目立つ所に放り投げていた。それだけでも、胸がスッキリして気持ちが良かった。でも、虫に触るのは、ちょっと気持ち悪かった。


 ある日、道端で鳥の死骸を見つけた。何の鳥かは知らないが、黒い羽の小さな鳥だった。死骸は、置物のようにカチカチに固まっていたので、案外紙にでも包めば、不快感もなく運べた。また庭先だとバレるかもと思い、今度は車庫の前に捨てた。前に父が、分家の立場でこんな見栄張った車庫を建てるなど生意気だと、怒っていたから。綺麗なコンクリート床の上に、黒光した死骸はよく目立った。ああ、快感だ。すごく、気持ちが高揚したのを覚えている。


 いつしか。虫や鳥では、もの足りないと感じるようになった。もっと、血生臭いものが良かった。ぐちゃくちゃのドロドロで。見つけた時に、寒気がするような。

 たぬきやハクビシンの死骸でも落ちていれば良いのだが、タイミング良く見つけるのは難しい。それでも、高速道路開設の工事で、大型車両が多数通るこの年は、運良く野生動物の死骸を拾う機会は幾つかあった。


 ああ、そうか。死骸がないなら、作ればいいんだ。

 ふと、そんな事を思いついた。


 でも、野生の動物を捕まえて殺すのは、難しい。

 人に馴れている動物で、問題視されないような。


 猫。良いのではないか?

 飼い猫ではない、餌だけ与えられて、人慣れしていそうな猫。


 近所の婆さんが、ノラ猫達を餌付けしていたはずだ。元々変わり者だった婆さんは、最近呆けて、ますます訳が分からなくなっていると聞いた。例え見られたって、問題ないだろう。それに、普段から頭に鈴の着いた髪飾りを付けている、変な婆さんだったので、来れば音で分かるはずだ。

 婆さんの家の近くに、餌を置いて待ち伏せしてみた。読み通り、黒猫が来た。何の警戒もせず、むしゃむしゃと餌を食べている。近づいてみると、何だという顔で見上げて来たが、別段気にする様子もなく、またモシャモシャと餌を食い始めた。


 これならヤレる。


 黒猫をネットで覆った。親が畑で野菜を作る時に張っている、緑色のネットだ。程よい大きさの物をくすねて来た。ネットを被せると、流石に猫は思いっきり暴れ出した。思ったより力が強い。


 まずい。早くしなきゃ!


 片手で金槌を掴んで、思いっきり頭の辺りを叩きつけた。黒猫の動きが止まった。


 あ、たぶん死んだ。


 呆気なかった。簡単過ぎて、拍子抜けした。


 つまんないの。次やる時は、刃物で刺してみようかな。まあ、いいや。これ、アイツの家に置いてこないと。でも、この時間じゃ、誰か見てるかもしれない。


 猫の死骸は、いったん竹藪に隠して家に帰った。金槌は綺麗に拭いて、ネットは血で汚れていたので、竹藪に捨てて来る。どうせ誰も、掃除などしないのだ。バレやしない。


 夜明け前。

 家をこっそり抜け出して、猫の死骸を竹藪から拾うと、アイツの家の前に捨ててやった。

 初夏の朝、空気は澄んでいて、ひんやりと心地良かった。来年は中学生になるのか。

 ふと、そんな事が頭に浮かぶ。

 空をみると、群青の空、白糸の様に細い月の側に、金星が瞬いていた。


 夜が明ける。


 満ち足りた気持ちでいっぱいになる。

 この日から、少女にとって死は、身近なものになった。


 今日の朝、アイツはどんな顔で、学校に来るのだろう?少し早く家を出て、待ち伏せでもしてやろうか?

 ざまあみろ!

 次は、どんな動物にしよう。どうやって殺そう。何がアイツを苦しめるだろう?

 

 大きい動物が良かったが、犬は殺せなかった。やはり警戒心が強く、足も速い。抵抗されれば手に負えなかった。その点、猫は簡単だ。人に馴れてさえいれば、餌を食べたり、撫でて油断している最中に襲えば良い。手懐けてしまえば、容易に殺せる。手足も細いし、切るのも簡単だった。


 人も案外、簡単に殺せるのでは、なかろうか?

 そんな事をふと思ったのは、中学一年生の春だった。


 そして。

 その年の冬。赤いスプレーで、ガードレールに落書きしながら、考えていた。


 どうしてこんなに、自分はアイツを憎むようになったのだったか?


 だがこのスプレーを持つ手に、意味はある。


 今日アイツは、模試の結果で、第一高校がA判定だったと言っていた。たまたま職員室で、アイツと担任が話しているのを聞いた。

 確か、礼人あやと先輩も、第一高校を希望しているのではなかったか。ふざけている。ウチらの事を、馬鹿にしているのか?わざわざ模試なんて受けやがって。お前らとは違うんだとでも、言いたいのか?


 どうして、こんなに憎いのか?


 そんなの、決まってる。格下のくせに、ウチより幸せになろうとしているからだ。格下のくせに、裕福なふりしてるからだ。だから、お嬢様ぶりっ子というあだ名を付けてやった。みんな、嬉々として陰で呼んでいた。


 そうだ。ウチだけじゃない。皆嫌いなんだ、お前の事を。だからウチは、皆の気持ちを代弁しているに過ぎない。この赤いスプレーは、全員の総意だ。



『分家の癖に、馬鹿にしやがって』


 常々、父も言っている。アイツは分家だ。だから、無条件に見下して良い存在のはずだった。

 そのはずだったのに。


 この年、祖母が亡くなった。秋の穏やかな日だった。

 父は金が掛かるからと、葬儀場は使わずに、自宅で通夜も葬式も行った。近所の人を手伝いに呼んで。家は広いので、住民が集まっても問題無い。葬儀は無事行われた。沢山の住民が焼香に集まってくれて、花輪もそれなりに上がった。賑やかな良い葬式だった。父も満足そうにしていた。

 そして、その後を追う様に、アイツの祖母も亡くなった。確か一月後だったか。

 アイツの家は、通夜も葬儀も、葬儀場を使うらしい。手抜きだと、父は笑う。


『勤め人だからって、楽しやがって。罰当たりめ。まあ、いくら新築だってあんな狭い家じゃあ、葬式など出来やしないか。惨めなもんだ』


 父はそう言って、笑っていた。それなのに。


行平ゆきひらさんとこ、全部葬儀場でやるってね。そうして貰えると助かるわー。おかげでアタシも仕事休まなくて済むしね。手伝いに出ると、丸三日はダメになるからね。やっぱ金ある家は、葬儀場でやるわよねー、今時』


 近所のおばさん達は、そう言って喜んでいた。ウチの葬儀の手伝いに来ていた人達だった。

 そして、告別式の日に、現実を目の当たりにする事となった。


 その日葬儀場は、半日貸切となっていたそうだ。それ程に、弔い客が多かったのだ。沢山の花輪には、沢山の企業名が書かれていた。個人の名前も多数ある。葬儀場の外塀一面に花輪が並べられていた。それだけではない。式場内には、一面の生花が飾られていた。アイツの父親の会社が手配した分と、アイツの叔父達が手配した花のようだった。弔い客の多くは、父親の仕事関係の人達や、叔父達の会社の人達が大半で、近所の住民が少なく感じた。ウチの祖母と同じ顔ぶれが、集まっているにも関わらず。


「いやあ、さすが行平さんだなー。こんな立派な葬儀、初めてだわ」


 近所の爺さんが、目を丸くしていた。



 ウチが本家で、アイツは分家。

 うちより格下の癖に。



 でも周りは、社会は、そう見てはいない。

 

 格下だと嗤っていたのは、自分と父だけだったのだ。

 

 許さない。絶対に、許さない。

 喉の下辺りに、ドロドロした何かが、溜まっていく。まるで、マグマのように、それは熱を帯びていた。



 嫉妬だよ。



 誰かが囁く。認めない。格下のアイツに、ウチが嫉妬するわけない。



 認めない。見えない。

 そんな物は、決して見ない。


 スプレー缶を素早く鞄に仕舞うと、急ぎ自転車に乗ってその場を離れる。冬の夕刻。午後6時、辺りは既に真っ暗だった。街灯なんて、ほとんど無い。車すら、滅多に通らない。


 あるのはただ一つ。白く輝く、宵の明星。


 ガードレールに呪詛を刻み、彼女自身は、嫉妬の蟲に臓腑を貪られ、巣喰われていく。


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