表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
怪奇浪漫BOX   作者: 座堂しへら
姫君の鬼胎
31/267

31 ブルーミントガム

「さて、猫村さん、あるいはうさぎ」


「学校では、猫村でお願いします」


「では猫村。今、何となく神曲の話をしたけどさ、煉獄の中でダンテも対面する『七つの大罪』だが、もっとも罪深いのは、7つの罪うちの、どれだと思う?主観でもいいぞ」


「7つの大罪ですか?あまり、考えた事、ないですね。うち仏教でしたし。でも、そうですね……」


 七つの大罪。人間を罪に導くとされる源の感情。

 傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲。


「あえて選ぶなら、傲慢ですかね?神曲の中でも、第一の罪とされますし。傲慢な人間は、自分しか見えていないし、独りよがりで、他者を顧みる事すら、出来ないでしょう?」


 うさぎは再び視線を本棚に移す。肩に掛かっていたおさげ髪が揺れて、背中に落ちる。紺色のセーラー服。夏休み期間なので、別に図書館の利用は私服でも良いのだが。意外と真面目な性格なのかもしれない。


「先生は?何だと思いますか?」


「俺?俺は嫉妬一択かな」


「どうして?」


「やつらは心に棲みつくなんて、生易しい物じゃない。宿主を乗っ取る寄生虫のように、心を操り、肉体を奪い、自我を書き換え、矜持を蝕み、人生の殆どを費やす事さえ、厭わぬほどに魂に巣喰う」


「こっわ」


「己の人生を賭してまで、相手の人生を壊そうとする」


 嫉妬とは。


「人類最悪の、テーマだ」


「どうしたんですか?急に、こんな話」


「ここが煉獄山の巓なら、人は乗り越えねばならない。罪を背負い、浄罪の苦しい旅に出なければならない。だが、罪を犯す前に、その原罪に気付けたなら、悔い改める事が出来たなら、その荷を背負わずに済む」


「はい」


 うさぎは困惑気味に頷く。


「行来姫は、ベアトリーチェだ。まだ死を迎えていないダンテに、己の行動を悔い改め、行いを正すよう叱責しながらも導いたベアトリーチェのように、行来姫もまた、導こうとしているんじゃないかな。何者かが、罪を犯す前に」


「行来姫の娘は、その美貌に嫉妬した里の娘に弑虐された、という伝承も、ありましたよね」


 自分の娘と、重ねて見ているのだとしたら。

 我が子のように可愛がっている、氏子の娘。その子を守る為、そして、里の娘が嫉妬に駆られて、罪を犯さぬよう。


 何故なら、彼女は里を守る、姫神だからだ。




 古谷はカウンターの上にあった書物を棚に戻し終えると、換気していた窓を閉める。


「いい時間潰しになったよ。サンキュー。じゃ、気を付けて帰れよ」


「なんか、先生みたいですね」


「先生だから!」


「違います」


「あん?」


「友達、でしたよね?」


「おお。いつの間にか、チームメイトから友達に昇格してた」


「あ」


「じゃあな、親友」


 手を振って、古谷は軽い足取りで階段を降りていく。


 まだ、親友とまでは言っていない。


「変な人」


 いまいち、掴みどころが無くて。

 どこまで本気なのか、分からないけれど。


 この図書館を、神曲の煉獄と称する辺り、自分と感性が似ているのかもしれない。


「本、好きなのかな」


 夏目漱石の夢十夜も、ダンテの神曲も知っていた。


 どんな本が好きなのだろうか?


「私の本、読んでる、かな?」


 急に恥ずかしくなって、うさぎは眼鏡を探した。度の入っていない、伊達メガネ。


 世を忍ぶ、借りの姿。


 そんなに大それたものでも、無いけれど。


「私の本名、知ったら、どんな顔、するのかな?」


 他の大人達のように、なるのだろうか?それとも、変わらずに居てくれるのだろうか?


 急に親戚を名乗り出した見知らぬ大人達。お友達だと言い張る、顔しか知らない同級生の保護者達。突然馴れ馴れしく話しかけて来るようになった教師達。彼らは性急に、うさぎから居場所を奪って行った。


 知られてはいけない。


 うさぎは、今の生活を気に入っている。この仙台の町が、気に入っている。ここにいたい。


 だから誰も、懐に入れてはいけない。今、自分の背後には、人を豹変させてしまう程の、誘惑があるのだと知ったから。


 人は簡単に変わるのだ。


「先生。私、やっぱり一番嫌いなのは、強欲かもしれない」


 七つの大罪。人を罪に導く源の感情。種子は根付き、人の心に深く潜り込む。


『どうして助けてくれないの?血の繋がった親族なのに!』


 昨日まで、顔も知らなかったような自称親戚が、誠意を見せろと騒ぎ立てる。自らは、一抹の誠意も持ち合わせていないくせに。両親が、その度に丁寧に対応しては、どうにか家から追い出していた。それでも鳴り止まなかった電話。


ーひとが、嫌いになりそう。


 そう思った次の瞬間、ふと鞄の横にガムを見つける。自分で置いた物ではない。そして、ここに来た人は、一人しかいない。


 今時珍しい、板ガム。

 爽やかな、ブルーミント。2枚。



ーまだ、下のフロアにいる、かな?


 うさぎは急ぎ階段を降りる。ポケットに、甘いミルク飴を忍ばせて。踊る様な足取りで。



 あの人はああ見えて、甘い物が好きだと、もう知っているから。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ