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怪奇浪漫BOX   作者: 座堂しへら
姫君の鬼胎
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30 図書館のベアトリーチェ

 仙台聖華学院高等学校が誇るものの一つに、図書館がある。

 図書室ではない、図書館なのである。

 広い敷地内の一角に立つ、円錐状の建築物。本校出身の建築家、菅谷英知すがやえいちの建造物である。7階建で、一番下の階が最も広く、上の階に進むたび、狭くなっていく。一階は、ラウンジ兼現代文学フロア。2階は海外文学及び洋書フロア。3階は美術芸術フロア及び古典フロア。4階は問題集や赤本フロア兼学習室。ちなみに、エレベーターがあるのはここまでである。

 5階、日本史書フロア兼、古書、旧書物保管室。6階、世界史書フロア兼、海外文化資料室。7階、地域伝承文化資料室及び地質学フロア。

 5階から上は、ひたすら螺旋階段を上らなければならない。


 八月上旬。夏休みのとある日。


 古谷優生ふるやゆうせいは、重い足を気合いで持ち上げながら、何とか階段を上っていた。二日酔いの体には、きつかった。それでも彼は上らなければならない。


 何故か?


 それは、当番の日だからだ。


 この高校が所有する巨大図書館には、フルタイム勤務の司書が2人しか勤務していない。にも関わらず、全校生徒は夏休みも関係なく、平日毎日利用できる他、第2、第4月曜日は一般開放もしている。市営図書館にも劣らぬ貯蔵量である事から、一般人の利用客も多かった。故に、手が回らない。


「だから、5階から上の管理は、社会科教諭でやってね。六人もいるんだから、週に1、2回で済むし、なんとかなるでしょ?」


 教頭の無慈悲な言葉で、社会科持ち回りの仕事となった。もちろん、夏休み中もである。


「古谷先生、この本間違ってカウンターに返却されてたから、7階に持ってって。あと、整理ついでに空気の入れ替えして来て。結構臭い籠っちゃってたから」


 司書の茂庭珠理奈もにわじゅりなは、同期である為頼みやすい古谷に、いつも雑用を振ってくる。


「あっつ……換気なんてしたら、ますます暑くなんじゃねーかよ」


 心なし、5階から上は、エアコンの効きも悪い気がする。挙げ句図書館のくせに、午後は西日が照って異様に眩しくなる。欠陥建築ではなかろうかと、古谷は疑っている。


「7階からやろ」


 先に階段を上り切り、後は下りるだけにしておきたかった。長い長い、曲がりに曲がった階段を上り切る。

 まるで地獄だ。地獄のくせに眩しかった。

 時刻は午後3時。太陽の位置が低く、直接窓から光が差し込んで来る。


 その光の中に、彼女はいた。


 むせる様な、古書の臭い。目が開けられぬ程の眩さ。そうか、ここは地獄ではなく、天国だったようだ。その証拠に……


「ベアトリーチェがいる」


 ダンテが愛した、永遠の淑女の名を呟く。少女は振り返り、そして。


「ちがいます」


 即、否定した。

 セーラー服姿のおさげ髪。いつもの眼鏡はなかった。


「今日は世を忍ぶ借りの姿の方か」


「私、閣下かっかじゃないです」


 うさぎはまたしても、即否定した。


「眼鏡は?」


「暑いんで、その辺に置いてあります。どうせここ、誰も来ないし」


「ここ、地獄だしな」


 割と本気で、社会科教諭の間では、5階から上を地獄と称している。


「地獄じゃないですよ、失礼ですね」


 うさぎはそう言って、手にしていた本を本棚に戻す。


「それに、ベアトリーチェが居るのは、地獄じゃないです」


 ベアトリーチェ。イタリアの詩人、ダンテ・アリギエーリが生涯思いを寄せ続けた女性の名だ。ダンテは9歳の頃にベアトリーチェと出会い、一目惚れする。そして18歳の時に、もう一度再会して、再び一目惚れする。だがすでにベアトリーチェは既婚者で、ダンテの恋は叶わない。


ーなるほど、二度、一目惚れするという事は、こういう事か。


 古谷はしばし無言で、少女を見つめる。


「とはいえ、天国でもない、です」


 少女は言葉を紡ぐ。ダンテの叙事詩『神曲』の中に出て来るベアトリーチェの事を、語っているのだ。博識な少女だ。もっとも、そうでなければ、好んで7階まで足を運ぶ事もないだろう。


 神曲の中で、『永遠の淑女』ベアトリーチェがダンテを待つのは、エデンの園。天国と地獄のはざま。


「そうか、ここは煉獄山だったか」


 古谷は笑う。


「そう。でも、永遠の女なんて、いません」


「そうか。それは失礼」


 古谷はうさぎの横を通り過ぎて、窓を開ける。緩やかな風が入り込み、白いレースカーテンを揺らした。次に、返却カウンターの上に置かれた数冊の本を手に取る。5階より上の書物は、1階にある返却ボックスが利用できず、直接各階のカウンターに返却するというルールがあるのだ。その面倒臭さもあり、ここの本を借りる生徒など、ほとんどいなかった。

 古谷は返却された本に、貸し出しカードを戻そうとカードを手に取り、固まった。


「お前、猫村ねこむらって言うのか?」


 貸し出しカードの名前は、全て同じ名前。


「なんて読むの?せいりゅう?」


「それで、せいらって、読みます」


「ねこむらせいら、か」


 予期せぬタイミングで、彼女の本名を知る。それにしても。


「お前、猫に何か恨みでもあんのか?」


 猫を差し置いて、うさぎの名を語るとは。


「決して、そんな事は、ございません。これには、のっぴきならない理由が、あるのです」


「いったいどんな、のっぴきならない理由が……」


「すみません、言えません」


 さすがのうさぎも、苦笑いしていた。




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