29 福原ヒロ
「ねぇ、聞いた?礼人君、一高受験するらしいよ」
「やっぱそうなんだ。頭良いもんね。じゃあバス通だね。もう会えなくなるのかー。残念」
妙と美羽が、スマホをいじりながら雑談しているのを、福原ヒロは苛立ちを隠しながら黙って聞いていた。
ここは妙の家で、家族が皆仕事で出ているのを良い事に、ヒロ達は朝から晩まで居座っている。ここ最近、平日はいつもそうだった。3年生になり、部活動もなくなってしまうと、夏休みはやる事が無くて暇になる。時々部活動に顔を出して下級生をしごいて来るが、流石に毎日行くわけにもいかない。とはいえ、進学校を受験するわけでもないので、今更勉強をする気にもなれない。
「礼人君と言えばさ、卒業式の時、あいつに告白するつもりらしいよ。斗真が言ってたから、間違いないと思う」
「あいつって、あれ?佐藤真夏?最悪!女の趣味わっる!」
妙は顔を歪める。老け顔が、さらに老婆のように醜く皺を刻む。
「でしょー?アタシさあ、前に礼人君に言ってやった事あるんだよね。佐藤真夏は、3年生女子全員に嫌われてるよって。だからやめとけっつったのにさ。そしたらあいつ、何て言ったと思う?」
「え?分かんない。何?」
「そんなの俺に関係なくない?だって。こっちがせっかく、忠告してやってんのにさー。絶対後悔するに決まってるのに」
美羽は頬杖をつく。唇を尖らせて、天井を見上げた。
「だよねー。アタシも絶対さー、あいつより、ヒロとの方が、お似合いだと思うんだよねー、礼人君は」
そう言って、妙はヒロに媚を売って来る。礼人はずっと、ヒロが想いを寄せている相手だ。それこそ、小学生の頃からずっと。それを知っている妙は、すぐに礼人とヒロをお似合いだと褒めそやす。自分だって、密かに礼人に憧れているくせに。
「でも、ウチらはチャリで高校行くし、市内の高校に通う連中はバス通だし、なかなか会う機会無くなっちゃうよね」
ヒロと妙、そしてこの美羽は、隣町の県立高校に通うつもりでいる。この近隣の県立高校ではもっともレベルが低く、市内までの高いバス代が払えない家庭は、皆この高校に通う事になる。バスも電車も無い為、片道10キロもの距離を、自転車で通わなければならないのだ。
「そういえば、彩菜も市内の私立校目指すらしいよ」
「うっそ。私立のバカ高なんてって、あんなに見下してたくせに?今更?」
ヒロは歯軋りする?
高い金を出して、レベルの低い私立校にわざわざ行く奴は、馬鹿だ。それが、ヒロ達の共通認識であり、矜持を守る為に、大切な価値観だったはずだ。
ー彩菜も、こっち側だったくせに!裏切り者!
ヒロは爪を噛む。
ーそれでなくても、こっちは高校進学だって、危なくなってるのに!
先日、2歳上の兄が警察に捕まった。町に来ていたキャンプ客の女性を襲ったらしい。被害者が車のナンバープレートを覚えていて、兄の友人が捕まり、その時一緒にいたらしい兄も連行された。
多分、兄は高校退学になるだろう。親はそう言っていた。兄が警察に捕まったのは、これで2度目だ。1度目は謹慎処分で済んだが、次はないと言われていたらしい。良くて停学だろう。最悪なのは、その高校が、正にヒロが進学しようとしている高校だという事だ。
『兄貴が退学になったら、妹のアンタも入学させて貰えないかもね。そしたら、就職しなよ?ウチには私立に行かせる金なんて、ないんだから』
母にそう言われて、目の前が真っ暗になった。
『どうしても高校出たかったら、定時制にでも行ったら?日中働いて学費稼いで、行ったら良いじゃない。どうにでもなるわよ』
まるで他人事のように、母は言い放った。
ー何でそうなるんだよ!クソババア!悪いのは兄きなのに、何でアタシがこんな目にあうわけ?今時中卒なんているかよ!
それなのに、父も母も、兄の事を叱りもしない。だから兄も、いつもの様にヘラヘラ笑って、何事も無かったように過ごしている。
ーほんと最悪!こんなバカの貧乏一家にさえ生まれなければ!こんな思いしなくて済んだのに!
何の仕事をしているのか分からない、日雇いで稼いでいる父。近所でパート勤務している母。いつも金がないと愚痴っている。祖父の代まで豆腐屋を営んでいたので、未だに近所からは豆腐屋と呼ばれ、家には塗装が剥がれた看板が残っていて、うっすらと福原豆腐店という文字が浮き出ている。とうの昔に廃業しているのに、未だに豆腐屋と呼ばれるのが、何故か恥ずかしかった。
『とにかく、ウチの娘に手を出すのはやめて下さい!さもなくば天罰が下ると、夢に出た行来姫はおっしゃっていたそうです』
真夏の父親の、奇妙な言葉が脳裏に浮かぶ。ある日突然やって来て、行来姫がどうたら、天罰がどうたら叫んでいた。なんでも、佐藤真夏をいじめると、私に天罰が下るらしい。どっかのおばさんが、夢で見たらしい。知らねえよ。馬鹿じゃねえの?
ーきもいんだよ。何が天罰だよ。宗教とか、キモ。
でも。
本当に最近、ろくでもない。
幼い頃は、それなりに仲が良かったはずの礼人は、ドンドン心が離れて行き。
兄は犯罪者になり。
そのせいで、高校進学できないかもしれなくて。
それなのに、親は知らん顔で。
貧乏だから、家でエアコンの電源を付けるだけで怒鳴られて。
友達だと思っていた奴には、裏切られて。
ー何が祟りだよ。クソが。どいつもこいつも、クソだ。
『礼人君、一高受験するらしいよ』
県立第一高校。市内一の、進学校だ。そのまま東京の大学に行って、遠い人になってしまうのだろうか?このまま、疎遠になってしまうのだろうか?
『卒業の時、あいつに告白するらしいよ』
佐藤真夏。一学年下の、生意気な女子。礼人と同じバスケ部に入りやがった。いつもいつも、礼人に色目を使って、ぶりっ子して媚びていたあざと女子。
『真夏ちゃん、クラスで言ってましたよ。私と礼人先輩が仲良くしてるから、ヒロ先輩に目をつけられちゃったんだって』
ニタニタ笑いながら、そう告げ口して来たのは、1学年下の佐藤小華だ。ヒロと同じバレー部で、佐藤真夏の幼馴染。妙と同じ、媚びる様な顔で擦り寄って来て、同学年の内情を細かく報告してくれた。
『真夏ちゃん、ヒロ先輩の事、山猿みたいって、裏でバカにしてますよ。田舎のクソヤンキーって言って、笑ってます。妙先輩の事も、おばさんみたいって』
『バレー部は女子しかいないから、僻んでバスケ部の事、コートの向こうからすぐ睨んで来るって、バカにしてましたよ』
『今日、あいつ髪にヘアピン付けてますよ。病院で、おでこに火傷してるから、髪の毛かかんないようにしろって言われたとか、言い訳してるけど、そんなの嘘ですよ。男子に色目使ってるんです』
『昨日、あいつ礼人先輩と一緒に帰ってましたよ。待ち伏せして、偶然装ってました。気持ち悪いですよね』
それこそ、毎日毎日。飽きもせず。
ーお前だって、媚びる様な目で礼人を見てただろうがよ。知ってんだよ、あわよくば、礼人に近付こうとしてる事くらい!
どいつもこいつも、気に入らない。誰も彼も信用できない。
「ねぇ、ヒロ。やっぱ礼人君に告白しちゃいなよ。このまま、あいつに騙されるなんて、礼人君可哀想だよ。ヒロなら行けるって」
妙は隣で、ニヤニヤ笑っている。その顔が、佐藤小華にそっくりで、ヒロは吐き気さえ覚えるのであった。
良いお年を!




