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朝霞は、今日中には横浜へ帰ると言うので、佐藤家にタクシーを呼び、その到着を待っていた。時計を見ると3時半と少し。タクシーも隣町から来るので、到着までにしばし時間を要した。
「では、夢の中の行来姫は、少し怖い感じだったんですね」
夢の話を改めて聞いた神主さんが、驚いた様に目を開いていた。
「はい。前に夢でお会いした行来姫様は、とても高貴な雰囲気でいらして、ただ物悲しそうに、泣いていらっしゃいました。その姿は大層儚くも、美しかったのを覚えています」
しかし、此度の夢は。
「怒っているというか、焦っているというか。唯ならぬ様子でいらっしゃいました。まるで、本当の娘が危機に晒されているかのような」
このままでは、相手は祟られるという。
「実際、我が子の如く可愛がっている氏子、と言ったんですね」
古谷の問いに、朝霞さんは自信を持って頷く。
「はい。そうです」
「それについては、どう思われます?」
真夏の父親である行平さんに尋ねると、代わりに神主さんが答えた。
「真夏ちゃんは、実際に他の誰よりも行来姫に近い氏子だと思います。真夏ちゃんに行来姫伝説を教えたのは先代、私の父が神主だった頃です。よく幼い真夏ちゃんを膝に乗せて、絵巻を見せながら語って聞かせていました。真夏ちゃんも熱心に話を聞き、時には真夏ちゃんの方から、お話し聞かせてと、父にねだる事もあったくらい、熱心でした。小学生に上がってからは、毎年正月や夏祭りに、神社の手伝いをしてくれて、中学生になった今は、巫女さんをやってくれてます。神社にとっても、大変ありがたい存在です」
「娘は、不思議と、もの凄い強運を見せる事があります。勿論、ただの偶然かもしれませんが」
行平は、言ってから少し恥ずかしそうに、先を話すか悩んだようだった。親バカ発言のように思えたのかもしれない。
「例えば?」
古谷が促すと、行平は言葉を続ける。
「小学校一年生の頃です。夏に親戚一同で海に行き、民宿に泊まった時でした。夜に花火をして宿に戻ろうとしたら、いつの間にか真夏がはぐれていなくなってしまったのです。恐ろしい話ですが、旅行者を狙った女の子の誘拐でした。慌てて探し始めた時、偶然海辺の防災サイレンが故障して、鳴り響いたんです。皆驚いて騒いでいたら、すぐに警察や消防の方が大勢来て、誤作動だと教えてくれたのですが、その時駆けつけた警察官達が、挙動不審な男と大声で泣く真夏を見つけて、取り押さえてくれて、事なきを得ました。何故、誤作動が起きたのかは、分からず仕舞いでしたが、私は神様が守って下さったかのように、思えたのです」
「トラック突っ込んだ時もだよなー。あれも驚いたわ」
松永さんの言葉に、斉藤さんも同意する。
「そうそう。あれも偶然だよな。この県道下がってくと、小学校あっただろ?あの小学校から帰る途中、真夏ちゃん一人で歩いていたんだけど、道を塞ぐように、アオダイショウがいたんだと」
「アオダイショウ」
人里に生息する蛇だ。比較的大人しいとされる。
「蛇に通せんぼされて、立ち往生してたら、大型トラックが凄い勢いで追い越してって、先の民家に突っ込んだんだと。運転手のながらスマホが原因だったみたいだけどな。蛇がいなくてあのまま歩ってたら、ちょうど轢かれてたってなタイミングだったってさ。目の前の工場でタバコ吸ってたヤツが、えらい驚いてたよな。ありゃ神様の遣いの蛇だっつってな」
「本当に。あれ以来、俺蛇殺さなくなったもんな」
「俺もだよ。バチ当たりそうでな」
斉藤さんと松永さんが互いに笑う。
「確かに、強運ですね。二度も、偶然にも命が助かってたとなると」
行来姫の加護だと、感謝もするだろう。
「先代も、真夏ちゃんは姫神様に守られてるから、大丈夫だと良く言ってました」
神主さんもそう言って、道路の方を見やる。ちょうどその時、一台の車が佐藤家の庭に入って来た。てっきり朝霞の待つタクシーかと思ったが、役所の車だった。
「すみません、佐藤さん。来るの遅くなっちゃって!」
作業服姿の男が二人、慌てて降りてくる。
保健所の職員だった。
「いえいえ。度々ですみません」
行平さんが頭を下げる。
「これですね。すみません、袋に入れて頂いて。お手間を掛けました。慣れてらっしゃるとは思いますが、良く手を洗って下さいね」
そう言って、ゴム手袋をして、ポスト下にある麻袋を開いた。
「あー、猫?いや、ハクビシンかな。まだ子どもですね」
中を改めてから、また袋を閉じて、車のトランクに積まれたコンテナに、袋ごと入れて蓋をする。
「それにしても、今月は2回目ですね」
職員二人が、苦々しく眉を寄せた。行平さんも、似た表情で頷く。
「駐在さんに言って、ちょっと巡回の回数増やしてもらいますね。我々も、時間みて、見回りしてみますよ。何だか物騒で、嫌ですね」
「忙しい中、ありがとうございます」
「いやいや、仕事ですから、いつでも気兼ねなく、ご相談下さい。あ、また麻袋、いくつか置いて来ますか?」
「いえ、前回持って来てもらったのが、まだありますから、大丈夫です」
「そうですか。では、我々はこれで」
慌ただしく、保健所の職員は去っていった。随分と、慣れたような態度に、古谷は疑問を抱いた。




