118 深夜のファミレスにて
「困りましたねー」
「困ったなー」
うさぎと古谷がぼやいているのは、深夜のファミリーレストランであった。
「何が困ったの?」
きょとんとした顔で、あさみはサラダをつっついている。
「うさぎを迎えに来た弁護士の先生、有智館出版から紹介してもらってる事務所らしいんだ。だから、今回事件に巻き込まれた事、出版社の方にも連絡行く事になっているみたいなんだけど、そうすると、穂積っていう、すんごい過保護な担当編集者の耳にも入っちゃうだろうから、言い訳どうしようかなーって、悩んでる」
うさぎの代わりに、古谷があさみに説明してくれた。
谷川とあさみには、前回会った時に、うさぎの身の上については説明していた。谷川は、やはり何となく察してはいたようで、驚いてはいたものの、すぐに納得していた。あさみは谷川の婚約者であり、古谷との付き合いも長い事から、信頼が置けるという事で、一緒に話を聞いてもらっていた。事情を知る関係者で、同じ女性がいるという事は、うさぎにとってもありがたい事だった。また、あさみ自身はまったく本を読まない人間だったので、宇崎清流の名前を聞いても、驚きもせずキョトンとしていて、正に谷川と古谷の予想通りであった。
「ふうん。良い人なの?その人」
穂積を知らないあさみは、うさぎに尋ねる。
「あ、はい。それはもう。絵に描いたような善人です」
うさぎは、オムライスを食べながら答える。
「ただ、面倒臭い性格ではあるな。後からネチネチしつこく言ってくる所はある」
古谷と谷川は、先程まで康太と一緒に焼肉を食べていたので、ここではコーヒーだけ飲んでいた。
「今回、穂積さんに黙って発掘調査に参加してたので、その事に関しては、いじけると、思います」
「だったら尚更、先に話して謝っちゃったら?その人だって、明日会社に行って、うさぎちゃん本人じゃなくて、会社の人からそんな話聞かされたら、面白くないでしょ?」
「ですよねー」
うさぎは隣の古谷を見上げると、彼も頷いて、胸元からスマホを取り出す。
「最初、俺から大まかな事説明するわ。後で電話代わるから、うさぎもちょっと話してやって」
「あ、はい。説明、お任せしちゃって、いいんですか?」
「もちろん。ほずみん居ない間の事は、任されてるからな、俺が。責任持って、説明させて頂くぜ」
そう言って、古谷はスマホ片手に、店の外へ歩いて行く。時計を見ると夜の10時を周ったくらい。穂積なら、まだ会社に残っているかもしれない。
「それなりに、良い彼氏してるじゃない」
「彼氏では、ありません」
あさみの言葉を、慌ててうさぎは否定する。
「まだ、ね」
あさみは笑って、ミニトマトを口に運んだ。
「もどかしいわね。誰が見ても、仲睦まじいカップルなのに」
「それじゃ困るんです。古谷さんの、教師生命に関わるので」
今だって、わざわざ遠方の、幸町のファミレスまで来て食事をしているくらいだ。
「卒業まで、あと一年ちょいかー。大変だね。優生、待てるのかな?」
「大丈夫だと、思います。手も握って来ない、くらいですから」
「へたれてんなー」
「いえ、そんな事は」
肉体に触れるだけが、愛の証明では無い。それは、皮肉にも、ナタニアが教えてくれた事である。
「そう、ですよ。愛に肉体が不要なら、首だって、要らなかったはずです」
「ん?」
あさみと谷川は、双子のようにシンクロして、首を傾げて見せた。
「ナタニアさんは、精神的愛の繋がりこそが全てだと。それだけが、神様がお許し下さる愛の形だと、言っていました。なら、本来であれば、首だって、いらなかったはずです。彼女は何故、首を欲しがったのでしょうか?」
「記念品、じゃない?」
あさみは、さらっとした表情で、残酷な事を躊躇なく言った。
「ほら。切り裂きジャックも、戦利品として心臓を持って帰った、みたいな話、あったじゃない?」
「それとも、少し、違う感じが、したんですよね」
ナタニアが言う「愛していた」も、まんざら嘘ではないように思えた。
「そっか。じゃあ、精神的愛が、強がりだったんじゃない?本当は、普通の恋人同士のように、したかった。キスして、手を繋いで、心も体も繋がりたかった。でも、それが出来ない理由があったのかな?分からないけど」
「宗教的な、価値観、ですかね。聖書の中では、同性愛は禁忌とされています。でも、ユダヤ教も、現在の解釈では、決して同性愛が否定されているわけでは、ないはずです。とくにナタニアさんが生まれたテルアビブは、LGBT先進都市です。保守的なユダヤ教徒がいるとはいえ、そこまで窮屈であったとは、思えないのですが」
少なくとも、日本よりは開放的であったのでは、ないだろうか?それなのに、故郷を捨ててここへ来たのだと、言っていた。
「なら、ナタニア本人が、保守的だったんじゃない?自覚があるかは、分からないけど。信仰深くて、保守的な自分を変えたくて、母国と似ても似つかないような、極東の国に逃げて来たとか」
「確かに、自分は信仰深いと、言ってましたね。誰にも信じてもらえないだろうけどって、言ってましたけど」
「やっぱりね。信仰深くて、だけどそれに反するような行動をとってしまう自分を、同胞に見られたくなかったんじゃないの?だから、信仰心だけを持って、逃げて来た。けど、やっぱり裏切れなくて、聖書から反する事が出来なくて」
「でも、恋に焦がれる事も、やめられなくて、道を誤ったのでしょうか?」
「んー。だったら、自分と同じ恋愛志向で、同じプラトニックを目指すパートナーを探せば良かったのにね」
「あ、それは、否定されました。人の心は、移ろうからと。だから、時間を止めなくちゃいけないんだって」
「なんだ」
あさみは鼻で笑う。心底呆れたような、気の抜けた顔でこう言った。
「人を信じられなかっただけじゃない。馬鹿ね。神様だけじゃなくて、人も信じなきゃ『愛』なんて一生手に入らないわよ」




