114 やりすぎじゃない
うさぎの悲鳴が聞こえた瞬間、古谷と谷川は走り出す。急ぎアパートへと戻ると、階段を駆け上った。
『どうして冷凍庫に、人の顔が、入っているんですか?これ、本物、ですよね?』
少し上擦った、それでも冷静なうさぎの声がスマホから聞こえて来て、古谷は少し安堵するが、その会話の内容は、決して安心できる物ではなかった。
「人の顔?」
谷川は、顔を引き攣らせながらも、202号室の扉にそっと手をかける。音が鳴らない様に慎重にノブを引き、そしてすぐに手を離す。
「だめ。やっぱ鍵かかってる」
やはりうさぎは解錠していなかったようだ。諦めて、古谷は隣を見る。201号室。先ほど外から見た時に、男物の洗濯物が下がっていた部屋だ。
「こっちの部屋から、ベランダに回らせてもらおう。203号はおそらく女性の部屋だった。警戒されて、相手にしてもらえない可能性が高い」
とはいえ、201号室だって、部屋にいるかも分からない。賭けであった。もしダメなら、下から雨樋をよじ登ろうと考えている。
インターホンを鳴らす。少しの間を置いて、若い男の声が返って来た。
『はーい』
「すみません、下の階の住民なんですけど、ちょっといいですか?」
古谷は構わず嘘をついた。信じてくれたのか、若い男性がすぐにドアを開けて出て来てくれた。寝起きだろうか、寝癖頭で、眠そうな顔をしていた。
※※※※※
201号室に住んでいるのは、一人暮らしの専門学生だった。名を長谷川康太という。現在19歳。美容師を目指す青年で、昨日は仲間達と遅くまで、実技試験の練習をしていた。今日も早く起きて勉強しなければならないのに、なかなか起きれずにベッドでウダウダしていたら、インターホンに叩き起こされたのだ。
インターホンを覗き込むと、見知らぬ男性が二人立っていた。イケメンだ。二人は下の住民だと言う。何だろ?騒音とかの苦情だろうか。心当たりはあった。とりあえず無視も出来ないので、康太は素直に玄関を開けた。
「急に押しかけてすみません。隣の202号室に、俺の知り合いの女の子が監禁されているんです。すぐに、ここに警察を呼んでもらえませんか?あと、もうしわけないのですが、お宅のベランダ通らせてもらえませんか?窓から隣の部屋に押し入ります」
「え?は?え?ホントに?」
まるでドラマの様な成り行きに、康太は目をぱちくりさせて、混乱したように古谷と谷川の顔を交互に見る。
「すみません、とりあえず、警察呼んでもらえます?俺達だと、ここの正確な住所が伝えられない」
ガタイの良い方の青年が、柔らかい口調で、しかし真剣な様子でそう言って来る。
監禁。てことは、誘拐?今このアパートで、事件が起きてるって事?隣に住んでるのは、確か外国人の若い女の人だったはず。何度もすれ違っているが、挨拶すらした事がなかった。
「あ、そうだ。はい!警察ですね!」
康太は我に返り、すぐに部屋のテーブルからスマホを取り出して、戸惑いながら110とキーをタップする。人生初めての110番通報である。ちょっとだけ手が震えた。
「ごめん、中、通ってもいい?」
古谷が声を掛けると、康太は慌てた様に、2度頷いた。
「あ、はい」
耳にスマホを当てながら、康太は古谷を中に誘導し、ベランダの鍵を開けて、窓を引く。
「あ、繋がった!もしもし、警察ですか?」
通報は康太に任せ、古谷は部屋の中を突っ切る。
「優生!俺は玄関側で張ってるから、中侵入したら、なるはやで玄関の鍵開けて」
「了解」
古谷は、ベランダに出ると再び靴を履き、ベランダの柵に身軽に足を掛けて上る。そのまま長い足でヒョイと隣のベランダの柵へと移った。隣のベランダとの間には、簡単に破れる仕切り版もあるのだが、それは壊さずに行ってくれたようだ。
「すげえ、映画みたい」
康太は、通報途中である事も忘れ、それに魅入る。そして次の瞬間、もしこの二人組が嘘をついていて、この人達こそ悪者だったらどうしよう、という考えに行き着いた。
「あれ?もしかして、俺ヤバくない?もしもし、お巡りさん?何でもいいから、早く来て!うそでもホントでも、ヤバいみたい!」
もはやパニックである。電話越しに、オペレーターの警察官もやや戸惑っているのが分かる。そうこうしている間に、隣のベランダから、ガシャンと窓が割れる音が聞こえた。
「マジかよー!」
『もしもし、大丈夫ですか?』
電話の向こうで、警察官も心配している。
「あ、そうだった。警察!すみません、ここの住所言うんで、すぐ来て下さい!誘拐みたいです!隣の部屋に、小さい女の子が閉じ込められてるって!いま、男の人が助けに入ったんです!とにかく早く来てー!」
小さい女の子は康太の勘違いだが、必死さが伝わったのか、警察もいたずらとは捉えず、すぐに向かうと約束してくれた。警察に、通話を切らないように言われて、康太はスマホを耳にあてたまま、玄関に移動する。先程の二人連れの、体付きが良い方が玄関側に残っていた。
「危ないかもしれないから、もしもの時は、すぐに部屋に戻って、鍵を閉めてね」
緊張した場面のばすなのに、彼は落ち着いた口調で、優しく康太に注意を促す。
ーもしかして、探偵とかかな?だよね!なんかすげえ、場慣れしてるっぽいし!ヤバい!映画みたい!明日絶対、みんなに言う!
謎の高揚感が、康太を襲う。
ーこれが何とかハイってやつか!
すると、202号室の扉が急に開いて、康太は「うわっ」と、悲鳴をあげた。
「もしかして、俺、やり過ぎちゃった?」
扉を開けながら、不安そうに、先程ベランダから隣に侵入して行った男が、奥の人影に話しかけていた。康太がおそるおそる中を見ると、住民の外国人女性と、高校生か大学生くらいの、若い女の子がいた。誘拐されるのも納得の、美少女だった。
「あ、お巡りさん!にっ、202号室の玄関開きました!女の子、無事みたいです」
康太は安堵して、通話先の警察に報告する。しかし、次の瞬間、部屋の中にいた美少女が、とんでもない事を叫んだ。
「全然、やり過ぎじゃない。生首……この部屋には、死体がある!」
「やっぱお巡りさん、早く来てー!!」
康太はもう一度、電話口に叫んだ。




