105 可愛い人
谷川とあさみと合流した後は、手早く食事を済ませて、帰路に着いた。あさみは見た目通りの、快活な女性だった。かなりの健康志向の持ち主で、うさぎの食べる物にも、色々アドバイスしてくれた。これまで、食べる事は好きでも、さほど栄養や健康について考えた事が無かった為、かなり参考になった。いつどこで、小説の話の種になるか分からない。
「こいつは常々、健康の為なら死んでも良いと豪語する変態だ。あまり参考にし過ぎないように」
古谷が苦言を呈する。
「もはや、本末転倒ですね」
そして車の中では、またナタニアの話になった。
「今週の土曜日、一緒に発掘作業する約束してるんでしょ?なんか粘着質そうだし、断った方が良いんじゃないの?」
心配して、谷川が言うと、古谷も同意見だと言った。
「そうですね。私も少し悩んだのですが、やはり発掘調査は参加しようと、思います。調査ボランティアには、かなりの人数が参加しているようなので、二人きりにはならないでしょうし、ご友人のダリアさんもいらっしゃいますし、あまり心配は無いかと、思います。すぐ近くに、古谷さん達もいる訳ですし。今回を逃すと、次いつ発掘調査なんて参加する機会があるか、分かりませんし」
「そう言うと思った」
隣で古谷は、諦めたような声で応える。
「それでも心配なら、参加は午前中だけにして、午後は大人しくしてようと、思います」
「まあ、それなら。穂積さん呼んだら?」
谷川の提案に、うさぎは慌てて首を振る。
「今回は、ZAIYAの活動から逸脱しての、ボランティア参加ですし、あまり不要にお呼び立てするのも、気が引けます。それでなくても、お仕事、激務のようですので」
「そっかー。東京のサラリーマンは、忙しそうだよね」
「ごめんねー、タイミング悪くて」
あさみが謝ってくれる。都合が良ければ、あさみが一緒に来るつもりでいてくれたようだが、丁度仕事のミーティングが入ってしまっていたようだった。
「とんでもない。心配して下さり、ありがとうございます」
話をしている内に、車はうさぎの住むマンションに到着する。入り口前まで車をつけてくれて、わざわざ部屋の前まで、古谷が送ってくれる。
「流石に、過保護すぎます」
うさぎの言葉に、古谷は首を振る。
「いいの。俺が二人きりになりたかっただけだし」
エレベーターが止まり、うさぎの部屋の前に到着すると、うさぎは古谷の顔を見上げた。
「それでは、また明日」
「おう。朝も迎えに来ようか?」
「ダメに決まってます!ほら、下で谷川さん達、待ってますよ!おやすみなさい」
「おう、おやすみー」
古谷はあっさり引き下がり、数歩歩いてから、何か思い出したようで、ぱっと振り返る。
「そうそう。この間、言おうと思ったんだけど」
「はい?」
「オスカーワイルドのサロメ。世間では悪女の代表みたいに言われてるけど。俺は彼女を、結構可愛い女だと思ってるんだ」
「はあ」
「じゃな。今度こそ、おやすみー」
何故、急にそんな事を、言い出したのだろう。うさぎは首を捻りながらも、自分の家に入り、電気を点ける。
サロメは、可愛い女だろうか?
エアコンの電源を入れて、コタツもつける。寒いので、ケトルでお湯を沸かしてコーヒーの準備をする。一応、今から試験勉強もしなければならない。
「好きな男の首を刎ねて、無理やり自分のモノにして、キスをした女が?」
可愛いか?
「それでも、恋をしていたのは、確かかな。ヨハネに」
非常に幼稚で、拙い恋心だったのかも、知れないが。
「初恋だったり、するのかな」
だから、どうしても、キスをしたかった。
どうしても、キスをしてみたかった。
ーその気持ちは、分からなくも、ないかもしれない。
初めてのキスは、爽やかなミントの味がした。
ーサロメのファーストキスは、血の味だったのかな。
その冷たい唇は、恐ろしくも、魅惑的な味だったのかもしれない。




