102 図書館にて
学年末考査まで、あと半月。仙台聖華学院高等学校の図書館の自習室は、この時期賑わっていた。
「ねえ、聞いた? S高の事件、今、週刊誌に載ってるみたいだよ。なんか、遺族と虐めてた側で、争ってるんだって」
「あー、見たよ。SNSで記事回って来た。なんか、遺族の話じゃあ、自殺なんてする子じゃないから、虐めてた奴らが海に突き落としたって言ってるんでしょ?」
「うそー、もうそれ殺人じゃん!やば」
「何か、目撃者もいるらしいよ。まあ、未成年だし、ニュースとかにはなんないだろうって、ウチのお父さんは言ってたけど」
「こわー!そういえば、一緒に見つかった腕って、どうなったの?」
「何か、DNA鑑定したら、若い女の人の腕だったらしいってさ。やっぱ、行方不明になってる女子高生なのかな?」
「あんた、めっちゃ詳しくね?でもさー、腕だけって怖いよね。他のパーツどこいったのよ」
女子生徒二人の会話を聞きながら、うさぎは螺旋階段を上る。上り切った最上階。眩しい西日の中で、彼は眠そうにあくびを噛み殺していた。
「先生、こんにちは」
「うお!うさぎ、じゃなくて猫!」
声を掛けると、古谷はのけぞって驚いて見せる。
「そんなに、驚かなくても」
「しょうがないでしょ!あんな事あったのに、平常心でなんていらんないから」
ちなみに『あんな事』とは、過日のキスの事をいっている。事あるごとに恥じらっているので、うさぎもいい加減ウザくなっていた。
「男子中学生みたいで、ウザいです」
「ひどい」
「冗談はさておき」
うさぎは机にタブレットとキーボードを取り出して、古谷に伝える。
「私、有智館出版さんで、長編書く事に、なりました」
「へえ?BOXシリーズ?」
「実は、違うんです。全く別の話を、考えてて。纏まったので構成決めて、今日から、書き始めます」
「まじか。すっご。あれ?俺、その話聞いて大丈夫?ほずみんに刺されない?」
「大丈夫です。一応、許可とってます」
「謎の申請スタイル」
「ふふ。だから、頑張ります。テスト前だけど」
「そうじゃん。え?テスト大丈夫なの?」
「まあ、一応、たぶん」
「俺、邪魔?今からここで仕事するんでしょ?」
古谷は遠慮気味に、お伺いを立てる。子供の様な仕草に、うさぎは思わず笑ってしまった。
「大丈夫です。むしろ、いて下さい」
「そう言われると、逆に落ち着かない。ドキドキするんですけど」
台詞の割に、古谷は眠そうに目を瞬かせている。
「眠そうですね」
「そー。ボチボチ、テスト作って出さなきゃだからさー。昨日夜なべして作ってた」
そう言って、古谷は反対側の椅子にゆったりと座る。
「でも、ドキドキしてるのも本当」
「どうしてでしょうね」
うさぎはキーボードを叩きながら、小さく笑って見せる。
「聞きたい?」
手元の本を開いて、膝の上に置いた古谷は、ゆっくりと視線をこちらに向けた。
「いいえ。心当たりが、無くもないので、大丈夫です」
「残念」
そこからは黙って、古谷は本を読み始める。うさぎの指も、軽快にキーボードを叩く。最近、日常となって来た風景でもあった。毎日とは言わないが、古谷も時間がある日は、図書館に足を運んでいる。相変わらず、6階より上に来る者は居なかった。当たり前のように、二人だけの空間となる。
「何読んでるんですか?」
「オスカーワイルドの童話集。ナンバリングが間違ってたみたいで、こっちに返却されてた」
「童話集ですか。ワイルドは、サロメしか読んだ事、ないです」
「童話集も面白いぞ。『幸福な王子』とか有名かな?一見、いかにもキリスト教らしい、宗教美溢れる物語だが、その背景として、19世紀初頭、イギリスが背負った産業革命の闇をねっとりと表現している」
「ワイルドは、あまり模範的な信者ではないのかと、思っていましたが」
「そうでも無い。宗教的にタブーとされている同性愛者だったからね、世間の風当たりは強かったみたいだけど。唯美主義の代表格のように言われていけれど、ワイルド自身、道徳無視の芸術至上主義かといえば、そうとも限らない。敢えてその様に演出して、イギリス国民の度肝を抜いたのは確かだけど。それが『戯曲サロメ』だよ」
「見事、成功したわけですね」
「当初、成功したとは言い難いけどね。英語訳したダグラス卿は、ワイルドと恋仲だったらしいが、あまり優秀な翻訳家とは言えなかった。だが、問題作として、世間を大いに騒がせたのは、確かだね」
「ワイルドが童話集に書いた、宗教美とは?」
「自己犠牲的愛、だね。キリストは、人類の罪を身代わりに背負い、十字架に架けられる」
「なるほど。その宗教美を、際立たせるべく、描かれたイギリスの闇とは、何ですか?」
「霧のロンドン、という言葉を、知ってるか?」
「聞いた事は」
「どういう意味だと思う?」
「?イギリスは雨が降りやすいので、その例えでは?」
「霧はスモッグを意味する。スモッグは、スモーク(煙)とフォッグ(霧)を合わせた混成語らしい。要は、大気汚染だな。産業革命後、ロンドンは黒い霧に閉ざされる。ちなみに地球温暖化はこの時から始まる。経済は活性化され、鉄道が通り、町は仕事で溢れかえるが、資本主義は貧富の差を拡大させた」
「少し、現代日本と通ずる部分も、ありますね」
「ただ、混乱と激動の時代は、沢山の名作を生み出す。ワイルドだけじゃない。スティーヴンソンの『ジキル博士とハイド氏』、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』、コナン・ドイルの『シャーロックホームズ』などなど」
「そういえば、切り裂きジャックも、この時代でしたね」
「貧民街には売春婦が溢れかえり、女達は数多犯罪の犠牲、あるいはファム・ファタールとみなされ警察の粛清を受けてた時代だからな」
「ファム・ファタール?」
初めて聞く言葉に、うさぎは首を傾げた。
「妖艶かつ魅惑的な容姿を持ち、男を破滅させる魔性の女のこと。代表格はサロメや妲己、褒姒辺りがよく言われる」
「また、サロメ」
うさぎは思わず呟いていた。




