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一.揃いの鞘(3)

 

     ***


 新調の刀は後日悦蔵の手元に届けられることになり、泰四郎も差し慣れた朱鞘を腰に収めて店を出た。

 道場を出た時分にはまだ日も高かったが、思ったよりも店に長居していたらしい。西の稜線に程近いところまで沈みかかった日が、薄い橙色に空を染めていた。

 揃いの仕立てに出来ると聞いて、隣を行く悦蔵の足取りは上機嫌である。

「出陣に間に合うかなー。じゃないと意味ないからなぁ」

「別に間に合わなきゃ、そいつで行けば良いだろう」

 御満悦ながらもちらりと不安をこぼす悦蔵に、泰四郎はその腰の得物を目で示して言う。

 そしてまた、悦蔵はつい先刻も店の中で話したことをもう一度、今度は躍起になって語り聞かせるのだった。

 同じことを二度も三度も聞かされることに、泰四郎がげんなりとした頃。

 入相の朱に染まる往来の向こうで、わいわいと賑やかな声がすることに気が付いた。

 幾人かの子どもたちの集団で、恐らくはどこかの私塾からの帰り道なのだろう。

「ぐあっ! おいあれ泰四郎さんだ! かかか帰ろうかっ、なあみんな!」

 その中の一人がこちらに気付いたようで、あからさまに慌てた様子で仲間に注意を促す。

 すると。まだ前髪を下げた、けれど小生意気で元気の有り余っていそうな子供たちは、三々五々に散り始めたのだ。

 泣かれるよりは逃げられた方が幾分ましなもの。……という達観が出来るまでには、まだ泰四郎も精進が足りなかった。

「おいこらおまえらっ! 人の顔を見て散るとは何事だっ!!」

 商家の軒を三、四軒数えて向こう側の子供たちは、その叱責一つでさらに走り去る速度を上げてしまった。

「まったく、何もなければ挨拶して行き過ぎれば良いだけだろうに。逃げ足だけは速いんだな、あいつらは」

 憤懣遣る方も無く、ぶつぶつと愚痴をこぼす。既に蜘蛛の子を散らすようにして逃げてしまった後では、そうするより他にない。

 そして、勿論腹は立つものの、泰四郎なりに若干の自己嫌悪も覚えるのだ。

 悪戯や不手際を叱ったり注意したりはするが、何もなければ無為に怒鳴ることだってしないのに。これでは悪循環も良いところである。

 それともやはり、顔を見るだけで怖いものなのだろうか。

「あはは。天晴れなほど怖がられてるなぁ」

 挙句、すぐ隣で傍観していた悦蔵は、人の気も知らずに暢気に笑い飛ばしてくれると来た。

 泰四郎はこめかみに手を宛がうと、どっしりと重い口調で悦蔵に言い返す。

「笑い事じゃないだろう。童に好かれたいとは思わんが、こうも怖がられると案外自信をなくすんだぞ」

「泰四郎が思うほど、あいつらは怖がってないと思うよ。充分慕われてるじゃん」

「馬鹿を言え、慕っていたら顔を合わせるなり逃げ出したりせんだろう」

「いいや、あの逃げ方は慕ってるからこそ出来る逃げ方だな」

 天晴れな怖がられ様だと言ったその口で、今度は慕われているなどと言っても説得力は微塵も無い。

 悦蔵は如才ないようでいて、実のところ、誰より人を落ち込ませる技に長けているのではないだろうか。

 だが、悦蔵の口振りは妙に自信有りげなものでもあった。

「厳しいのと怖いのとは、似てるようでいて全然違うからさ。泰四郎は怖い人じゃなくて単に厳しい人なだけだもんなー。あいつらもそれがちゃんと分かってるんだよ」

 悦蔵は浩然と断言するのだが、泰四郎は今一つ素直に頷く気になれなかった。

 結果、泰四郎は渋面で沈黙してしまった。

 そんな苦い面持ちの泰四郎を見て、悦蔵は何を思ったか、間もなくして急に吹き出した。

「なんだ、思い出し笑いか?」

「あー、あはは。泰四郎は昔っから、自他共に認める厳格者だよなー、ってさ。自分にも厳しいけど、他人にもめちゃくちゃ厳しいもんな」

 やはり人の性格云々での思い出し笑いか、と泰四郎は三度辟易した。

 それも、今度は昔の話を持ち出してくるのだから堪らない。

 昔馴染みとは、平素は良いようでいても、時折面倒なものだ。

「そういえば泰四郎、変に強情なとこがあるから、煙たがられて闇討ちにあってたよな」

「! お、おまえ、一体いつの話を持ち出すんだ! いや、そもそもなんでそんなことまで……!?」

「知ってるさ。あの頃は俺、泰四郎しか仲の良い奴いなかったし、泰四郎ばっか追いかけてたからな。多分なんでも知ってるよ」

 闇討ち、それは即ち、子供同士の間では暗黙の了解とされる制裁である。

 仲間内で余りに身勝手な振る舞いの目立つ者や、学館の上級生への挨拶や礼儀を欠くなどする者が、その標的となる。

 だが、礼儀は慇懃なほど徹底していたし、他者へも厳しく徹底させていたくらいだ。泰四郎の場合、理由は逆だった。

 他者に厳しく小言を言い過ぎたがために、闇討ちに遭ったわけだ。

 そんな不名誉な事は、悦蔵に限らず、誰にも打ち明けたことはなかったのに。

 やや露骨に憤慨顔になったかもしれないが、泰四郎は一呼吸置いてから悦蔵に言い返す。

「そう言うおまえだって、いつも除け者にされていただろう」

 学問の成績は優秀でも、何かにつけて及び腰になっていた悦蔵は、確かに周りの者たちにはあまり快く受け容れられてはいなかった。

 度胸が足りない、意気地が無い、そんな揶揄や罵声は毎日のように浴びていたはずだ。

 思えば、あの頃に比べれば悦蔵も随分と胆が据わったものである。

 漫ろ歩く足は止めず、泰四郎は当時の自分の姿と、今も隣に居る悦蔵の昔の姿とを胸に思い起こしていた。

 いつだって泰四郎の後ろからちょこちょこと付いてきていた、気弱だったあの子供の頃の面影が、今では見る影も無い。莞爾とした笑みの似合う、浩然の気を備えた立派な青年だ。

 それに比べ、泰四郎自身は幼少の時分から何か一つでも成長しているのだろうか。

 不意にそんなことを考えてしまい、なんとなく気が滅入った。

 あの頃は、鈍間な悦蔵よりも自分のほうが絶対的に優れているのだと、明確な根拠も無く信じ込んでいた。

 だが、今ではどうだろう。

 決して悦蔵に勝れるものは持っていない気がした。

 強いて挙げるならば剣術の腕だけだろう。それすらも今に追い越されそうな程で、越されてしまえばもう悦蔵より優れたものなど何もなくなってしまう。

 内心で焦っているのを、泰四郎自身よく理解していた。

 その不甲斐無い我が身のさまに、思わず項垂れるかと思った時、悦蔵の快活な声が再び聞こえた。

「何をするのも一番愚図だったしなぁ、俺。でも、除け者じゃなかったよ」

「遊ぶのにも仲間に入れてもらえなかった奴が、何を言っていやがる。俺が見た限りじゃ、おまえ常にひとりぼっちだったろう」

「うん、まぁ確かに。でも、そういう時は泰四郎が声かけてくれてたじゃん」

「……見るに見かねて仕方なく、な」

「またまたぁ。そうやって自分の優しいとこ隠すなんて、損だぞ?」

 気になって気になって、放っておけなかったくせに。と、悦蔵は楽しげに言った。

 放っておけなかった、というのも勿論あったはずだ。

 何しろ、そうやって仲間内で不和を為すような曲がった事は当時から大の嫌いだ。

 ただ、それが心根の優しさから来る信条でないことは紛れも無い。単なる正義感の一種に過ぎないだろう。

 裏を返せば、それは優しいどころか時に驕ったものでもあり、決して他に誇れる事ではないことも知っている。

(こいつに声をかけながら、俺はこいつよりも優位に立っていると自負していたのかもしれないな)

 気分の滅入る日というのは、何もかもが悪しくなりがちだ。

 何気なく交わす会話の中でふと振り返った過去にさえ、自己嫌悪を覚えてしまうのだから。

 そういう負の思考の堂々巡りで、殊更自分というものが卑小な存在に見えてくる。

 悦蔵と話していると、どうにも劣等感に苛まれる気がして、泰四郎は短く息をついてからぐっと顔を上げた。

「用はもう済んだな。俺はもう帰るぞ」

「え? なんだよ、もう帰るのか? 付き合ってもらった礼に、何か奢るよ」

「いや、今日は遠慮する」

 これ以上悦蔵の思い出話に花が咲かぬうちにと、泰四郎は手短に断り、一人歩みを速めて家路についた。

 さっさと切り上げたのが幸いだったらしく、悦蔵もその日はそれ以上泰四郎の後を追っては来なかった。


 

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