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攫われた花嫁・6

 こんな夜中に、何だろう。

 不思議に思ったノエリアは、そちらに視線を向けようとして、ふいに聞こえてきた怒鳴り声に身を震わせる。

 今度こそ立っていられなくなって、その場に座り込んだ。

 孤独よりも不安よりも、争う声が何よりも恐ろしい。

「ちょっと、何事なの?」

「襲撃は、まだ先の予定だろう? まさか、本物の盗賊か?」

 今までノエリアを嘲笑っていた侍女と護衛騎士の、焦った声が聞こえてきた。

(盗賊……)

 国境で激しく争っていたというあの盗賊達が、この宿を襲撃したのか。

 ノエリアは恐怖から立ち上がることもできず、ただ自分を抱きかかえるような体勢のまま震えることしかできなかった。

 しばらく争うような声が聞こえてきたが、やがて静かになる。どうやら護衛騎士も侍女も、ここから逃げ出したらしい。

 誰ひとり、ノエリアを救おうとこの部屋を訪れる者はいなかった。

 どうせ半年後には殺される予定なのだ。少しくらい早くなっても問題ないと思ったのだろう。

 けれど戦闘の気配がなくなったことで、ノエリアも少しだけ落ち着きを取り戻していた。

(ここから逃げないと)

 いくら恐ろしくとも、この場に留まっていれば盗賊に殺されるだけだ。

 震える足で必死に立ち上がり、カーテンの影に隠れて窓から外の様子を伺う。

 宿の入り口には、武装した男達がいる。

(たしか、もうひとつ出口があったはず)

 きっと侍女たちもそちらの方から逃げ出したのだろう。ドレス姿で走れるかどうかわからないが、このまま部屋にこもっていては危険だ。

(怖い……。でも……)

 ノエリアがこんなところで殺されてしまったら、父も兄も嘆き、ロイナン国王にもイースィ国王にも不信感を抱くだろう。両方の王家の血を引き継ぐ兄が、争いを引き起こすきっかけになってしまう可能性もある。

 だからノエリアは、何としてもここから逃げ出さなくてはならない。

 そっと扉を開き、左右を見渡す。

 狭い廊下には誰もいない。

 けれど階下からは、人の話し声が聞こえてきた。

 ノエリアはとりあえず自分の部屋から抜け出すと、そっと隣の部屋の扉を開く。

 鍵が掛けられているかもしれないと思ったが、すんなりと開くことができた。

 ほっとしながらも、その部屋に隠れる。

 明かりもない暗い部屋を手探りで進むと、カーテンの影に身をひそめた。

 すると、ノエリアのいた部屋の扉が、やや乱暴に開かれる。

「いないぞ」

「まさか、ひとりで抜け出したのか?」

 ふたりの男の声がした。

 しかし予想していたような荒々しい声ではなく、落ち着いた静かな口調に、違和感を覚える。

 彼らは本当に盗賊なのだろうか。

「まだ遠くには行っていないはず。探そう」

「了解した。俺はもうひとつの出口を見張る」

 そう言って、ふたりはノエリアの部屋を出ていく。

(どうしよう……)

 目指していた出口が塞がれてしまったことを知り、ノエリアは唇を噛みしめた。

 彼らの目的がもしノエリアならば、逃亡をふせぐために、当然建物の構造は把握しているだろう。あの部屋から出たこともなく、体力もないノエリアが逃げ切れるとは思えない。

 どうしたらいいか迷っている間にも、足音は少しずつこちらに向かって移動してくる。

 窓から逃げられないだろうか。

 そう思って窓枠に手を掛けた途端、ノエリアが隠れていた部屋の扉が開かれた。

「……っ」

 悲鳴を上げそうになり、慌てて声を押し殺した。

 侵入者はランプを持っていた。

 明るい光が、部屋の中を照らし出す。

 どうせもう逃げられないのならば、無様にカーテンの中から引き摺りだされるような姿を晒したくない。

 そう思ったノエリアは、自分から姿を現した。

 男は、部屋の入り口をふさぐようにして立っていた。

 目が合った瞬間に、思わず息を呑む。

 年齢はきっと、兄と同じくらいだろう。

 細面で優しげな雰囲気だが、そのまっすぐな視線は強い意志を感じさせる。さらに美貌で評判のノエリアやその兄にも劣らないほど、その容貌は整っていた。

 整えられた短い黒髪に、澄んだ緑色の瞳。

 すらりとした長身に、引き締まった体躯。

 とても盗賊には見えない。

 魅入ってしまいそうになり、慌てて視線を逸らす。

 その隙に、彼はノエリアに近寄ると、突然その身体を抱き上げた。

「きゃあっ」

 突然のことに、今まで抑えていた悲鳴が上がる。

 だが彼はそれを顧みることなく、そのままノエリアを連れ去ろうとする。

「は、離して! 私をいったいどこに……」

「静かに。護衛騎士が味方を連れて戻ってくるかもしれない。その前に、安全な場所まで移動しなくては」

「え……」

 まるで閉じ込められ、殺されるのを待つしかないノエリアの事情を知っているかのようだ。

「あなたたちは、何者なの?」

 そう問うと、強い意志を宿した緑色の瞳が、まっすぐにノエリアを見つめた。

「俺達は、ロイナン国王イバンに対抗する組織。彼の不正を暴き、この国を正しい方向に戻すことを目標としている」

「ロイナン国王と対立……。不正を暴く……。もしかしてあなた達が、あの盗賊なの?」

 彼らの言葉を聞いた者は拘束されてしまうと、父が言っていた。

 それを聞いてノエリアは、その盗賊達がよほどロイナン国王にとって都合の悪い事実を知っているのではないかと思ったのだ。

 そんなノエリアの言葉に、彼は悲しそうに目を細める。

「たしかに俺達はロイナン国王に従う者達と対立しているが、人を襲ったことも、金品を略奪したこともない」

「あ、ごめんなさい……」

 あまりにも悲痛な声に、ロイナン国王は、自らの敵を盗賊と呼び、徹底的に情報規制をすることによって、正当性を高めようとしたのだと悟った。

 それを鵜呑みにして、彼を盗賊と呼んでしまったことを謝罪する。

 彼らの主張も聞いていないのに、どちらが正しいか判断することはできない。

 それに、ノエリアはこのままでは殺されるのを待つだけだった。

 ロイナン国王の企みに加担して、裏でノエリアを嘲笑っていた侍女と騎士のことを考えると、彼のほうがよほど信用できるのではないかと思えてしまう。

「いや、何も知らないあなたを責めるつもりはない。だが、このままでは危険だ。俺と一緒に来てほしい」

 ノエリアの謝罪に彼は首を振り、そうしてあらためて手を差し伸べる。

「一緒に? どこへ?」

「俺達の本拠地だ。あなたに会わせたい人がいる」

「私に?」

 彼は頷くと、静かにノエリアの答えを待っている。

(どうしたらいいの?)

 両手をきつく握りしめて、必死に思案する。

 もし先ほどの悲しげな様子が巧妙な演技なら、自ら盗賊に身を委ねてしまうことになる。

 けれどロイナン国王はノエリアを冷遇し、王都にさえ足を踏み入れさせずに、幽閉した。このまま何もできずに殺されてしまうよりも、ここから逃げ出したほうがいい。

(それに……。彼はどう見ても盗賊には見えないわ。信じていいのかもしれない)

 ノエリアは決意を固め、自分を抱き上げている彼を見上げた。

「あなたの名前を教えて」

「アルだ」

「……アル。私はあなたを信じてみます。ここから連れ出してください」

 そう告げると、彼は安心したように頷いた。

 それからアルは慎重に周囲を探りながら、ノエリアを連れて宿屋の敷地を出て、そのまま町に足を踏み入れていく。

 港町だけあって、夜中にも関わらず多くの人がいた。

「まぁ……」

 あまりの喧騒に、思わず驚きの声を上げてしまう。

 こんなにたくさんの人は、見たことがない。

 多くの船乗り達は、ひさびさの陸地を堪能すべく、夜通し飲み明かしている様子だ。

 そんな中、ドレス姿のノエリアを連れて歩くなんて目立つに決まっている。

 でもアルはうまく人目を避け、歩くことに慣れていないノエリアをうまく導いてくれた。だから何の不安も感じることはなかった。

 彼に付いて行けば大丈夫。

 そんな気持ちにさえなっていた。

(だめよ。彼が本当に私の味方なのか、まだわからないのに)

 ノエリアは、慌てて首を振る。

 アルを信じて宿を出たことを後悔していない。

 それでも、今まで世間知らずだった自分の目を、信用してもいいのかと思う気持ちもある。

 ノエリアが葛藤している間も、アルは足を止めることなく進んでいく。

 やがてふたりは、町はずれにひっそりと止まっている馬車までたどり着いた。

 古ぼけた幌馬車の御者台には、ひとりの男が座っている。

 アルとはまったく違い、騎士というよりは傭兵といった容貌の大男だった。

 手綱を握っている腕はアルの二倍くらいありそうだ。年齢も、アルより上だろう。

 短く刈った金髪に緑色の瞳。彼にその鋭い視線を向けられて、思わずびくりと身体を震わせた。

 彼ならば、盗賊と言われても納得してしまいそうだ。

「お待ちしておりました」

 だが彼は、ふたりの姿を見ると安堵したような顔でそう言った。その声の思いがけない優しさに、ノエリアはほっと息を吐く。それに、ノエリアの部屋でアルと会話をしていたのは、この声だった。

 そんなノエリアに、その大男は声をかける。

「ネースティア公爵閣下の御令嬢、ノエリア様でしょうか」

「は、はい。そうです」

 丁寧な口調で尋ねられ、こくりと頷いた。

「このような手荒な真似をしてしまい、申し訳ございません。私はラロと申します。私達のアジトに案内をさせていただきます。詳しい話は、そこですべてお話いたします」

「はい。よろしくお願いします」

 ノエリアはそう答えると、アルの手を借りて馬車に乗り込む。夜の港町をひっそりと抜け、馬車は山間の道を走り出した。

「ここからはかなりの悪路になる。馬車に酔ってしまうかもしれない」

 一緒に馬車に乗り込んでいたアルは気づかわしげにそう言うと、ノエリアの手を引いた。逆らわずに身をゆだねると、彼はノエリアを自らの膝の上に座らせてしまう。

「え、あの……」

 突然のことに、思わず頬が染まる。

 こんなふうに兄以外の異性と触れ合うのは初めてだった。慌てて離れようとするノエリアを、アルは押しとどめる。

「じっとしていて。ここからは本当に危険だ。馬車が大きく揺れることもある」

「……はい」

 危険だと言われてしまえば逆らうこともできず、ノエリアは恥じらいながらも、そっとアルにしがみついた。

 背中に優しく添えられた手から、彼の体温が伝わる。

 それを意識しないようにしながら、ノエリアはただ馬車が少しでも早く目的地についてくれるように祈った。

この状態が続いたら、心臓が持ちそうにない。

(どうしてかしら。何だかとても、懐かしいような気がする……)

 だが、緊張していたのも最初だけ。

 触れ合った場所から伝わってくる温かさが、なぜか涙が滲みそうになるくらい、懐かしい。

 ここは安全な場所だと思ってしまいそうになり、慌てて気を引きしめる。

 彼の言うように道はとても険しく、馬車は揺れ続けた。

 アルが抱きかかえるようにして守ってくれなかったら、座席から転がり落ちていたかもしれない。

 いつしか、あまりの揺れに羞恥も忘れて彼にしがみついていた。

 アルもラロも、ノエリアを優しく気遣ってくれる。

 その優しさは、祖国を思い出させた。

 もし自分がロイナン国王のもとから逃げ出し、名前しか知らない男達と行動をともにしていると知ったら、父も兄も驚くに違いない。

(でもこれしか方法はなかった。あのままでは私、どうなっていたかわからなかったから……)

 本当にもう無理だと思ったら、すぐに言ってほしい。必ず迎えに行く。

 そう言ってくれた兄なら、きっと理解してくれるだろう。


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